ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

大口里の諏訪神社(長峯諏訪社)、大口城の南の丘の上に鎮座

鹿児島県伊佐市は、諏訪神社がやたらとある。Googleマップで調べたところ、伊佐市内の諏訪神社は10社確認できる。また、南方神社(明治時代に諏訪神社から改称)も5社が見つかる。 大口里の諏訪神社は、大口の諏訪神社の中でもっとも規模が大きいと思われる…

岩波文庫の『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』(編訳/石原道博)

日本の古代史を考察するとき、中国の史書が重要な史料とされる。例えば、このあたりの本。 これらに書かれている情報は、興味をそそるものばかりである。 で、中国発の古代の倭国(日本)の情報をコンパクトにまとめた本が、「岩波文庫」にある。重要なとこ…

広津田の田の神、大きいぞ!/鹿児島県曽於市大隅町月野

タノカンサァ(田の神)に鹿児島県内あちこちで出くわす。車で田舎道を走っていて「何かの像があるな」って見つけることがしばしば。で、鹿児島県曽於市大隅町の月野で、大きなタノカンサァと出会った。 こんなのが座っている なお、タノカンサァ(田の神)…

月野の太田神社、こんなところにオオタタネコ

太田神社(おおたじんじゃ)は鹿児島県曽於市大隅町月野に鎮座する。御祭神は太田田根子命(オオタタネコノミコト)。月野はかつての日向国救仁院(くにいん、志布志、しぶし)のうちで、大隅国との国境の地でもある。 オオタタネコを祭る神社が、なんでここ…

上之原の原五社神社、安永大噴火で桜島の黒神から、移住者が故郷を思う

鹿児島市の吉野に上之原(かみのはら)というところがある。吉野台地の端のほうにあたり、鹿児島湾と桜島をのぞむ。この地に原五社神社(はらごしゃじんじゃ)が鎮座する。桜島の大噴火と深いかかわりを持つ神社だ。 安永大噴火、黒神からの移住者 地域の守…

薩摩羽月の白木神社(白木観音堂)、茅葺の社殿は中世の建築様式を伝える

白木神社(しらきじんじゃ)は鹿児島県伊佐市大口白木に鎮座する。かつての薩摩国牛屎院(うしくそいん)の羽月(はつき)のうち。国道447号沿いで看板が目に入る。まえまえから寄ってみたいと思っていた場所だ。 看板のあるところから脇道に入る。こちらの…

島津家久の上京日記【8】 織田信長を見にいく/天正3年4月17日~4月21日

天正3年(1575年)4月、島津家久(しまづいえひさ)は入京。しばらく京に滞在してあちこち見てまわることになる。織田信長の軍勢が出征から戻ってきたところにも出くわす。『中務大輔家久公御上京日記』では、そのときのことも詳しく記される。 天正3年4月17…

曽木の滝は大迫力! 曽木発電所遺構は幻想的!

曽木の滝(そぎのたき)は川内川(せんだいがわ)の中流にある。滝の幅は約210m、高さは約12m。日本でもっとも幅が広い滝である。場所は鹿児島県伊佐市。周辺は「曽木の滝公園」として整備。多くの人が訪れる景勝地だ。 見どころは滝だけではない。明治時代…

『薩摩の密偵 桐野利秋 「人斬り半次郎」の真実』(著/桐野作人)、実像は世間のイメージとちょっと違う

桐野利秋(きりのとしあき)について知りたいと思い、資料を探す。それで、こちらの本にたどりついた。 『薩摩の密偵 桐野利秋 「人斬り半次郎」の真実』著/桐野作人 発行/NHK出版 2018年 薩摩の密偵 桐野利秋 「人斬り半次郎」の真実 (NHK出版新書) 作…

鹿児島吉野の「実方」、桐野利秋と別府晋介の故郷

鹿児島市の北部は吉野(よしの)と呼ばれる。かつての薩摩国鹿児島郡の吉野村にあたる。吉野の南のほうにある「実方(さねかた)」に立ち寄ってみた。 吉野はシラス台地の上にある。「吉野台地」「吉野原(よしのばる)」とも呼ばれる。鹿児島の平野部から、…

谷山の如意山清泉寺跡、島津大和守久章の大きな五輪塔がある

薩摩国谿山郡福本に如意山清泉寺(にょいざんせいせんじ)はあった。現在の鹿児島市下福元町のうち。古い寺院であったとされ、岸壁には摩崖仏がある。明治の初めに廃寺となり、寺院の遺構が残っている。 そして、寺院跡には大きな五輪塔も。この地で討たれた…

島津家久の上京日記【7】 摂津国に入る、戦の匂いも/天正3年4月8日~4月16日

『中務大輔家久公御上京日記』で島津家久(しまづいえひさ)の旅程を追う。天正3年(1575年)4月半ばのこと、播磨国室津(むろのつ、兵庫県たつの市御津町室津)から摂津国へと入っていく。 前回の記事はこちら。 rekishikomugae.net この頃、織田信長が京を…

『かごしま戦国絵巻』(著/岩川拓夫 絵/東雲ののか)、戦国島津氏をユルく解説、シッカリわかる

「戦国時代の島津氏に興味がある! でも、ぜんぜん知らないんだよね……」という人は、この本を読むといいと思う。 『かごしま戦国絵巻』著/岩川拓夫 絵/東雲ののか 出版/南方新社 岩剣城跡の前で かごしま戦国絵巻 作者:岩川 拓夫 南方新社 Amazon 南方…

玉池山日新院跡(竹田神社)、肝付高山に島津忠良を祀る

鹿児島県肝属郡肝付町前田に、竹田神社(たけだじんじゃ)が鎮座する。この地はかつのての大隅国の高山(こうやま)のうちで、肝付(きもつき)氏の本拠地の高山城からも近い。 御祭神は島津忠良朝臣(しまづただよしあそん)。もともとは玉池山日新院という…

母智丘神社にのぼる、山頂には巨石群

母智丘神社(もちおじんじゃ)は宮崎県都城市横市町に鎮座する。「母智丘」と呼ばれる山があり、その周辺は母智丘公園として整備されている。 三島通庸が大改修 長い石段をのぼって 碑名のない記念碑 三島通庸が大改修 御祭神を豊受毘賣神(トヨウケヒメノカ…

島津家久の上京日記【6】 道すがら小早川殿の城を眺めてみたり/天正3年3月26日~4月7日

島津家久(しまづいえひさ)は天正3年(1575年)3月に安芸国の厳島神社(広島県廿日市市宮島町)を参詣。『中務大輔家久公御上京日記』では、その様子を興奮気味に伝えている。 前回の記事はこちら。 rekishikomugae.net 宮島をあとにして、一行は京を目指し…

『三州大乱そして下剋上/南九州戦乱史1』っていう電子書籍を出版してみました

南九州の中世史は面白い! 14世紀と15世紀が熱い! と個人的には思っています。 Amazonのkindleにて、電子書籍を出版しました。南北朝争乱期から島津忠良(しまづただよし)・島津貴久(たかひさ)の下剋上までの情報を中心にまとめました。古代のこともちょ…

市来川上の諏訪神社、石段をのぼると並立鳥居があらわれた

鹿児島県内には諏訪神社(すわじんじゃ)がやたらとある。南方神社(みなかたじんじゃ)と改称したところもある。というわけで、行った先々で諏訪神社(南方神社)と出くわすのである。 そしてお詣りすると、強烈な雰囲気であることが多いように思う。鹿児島…

串木野城(亀ヶ城)は名将と縁あり、島津家久とか島津豊久とか山田有信とか川上久朗とか

串木野城(くしきのじょう)跡は鹿児島県いちき串木野市麓にある。別名に亀ヶ城とも。かつての薩摩国日置郡串木野(櫛木野)のうち。13世紀初め頃に串木野忠道(くしきのただみち)により築かれたとされる。その後、南北朝争乱期に島津氏の支配下となる。 永…

肝付の柏尾山道隆寺跡、蘭渓道隆の開山とされる

柏尾山道隆寺(はくびさんどうりゅうじ)は大隅国肝属郡高山の新富(鹿児島県肝属郡肝付町新富)にあった。場所は高山城(こうやまじょう)跡の近く。雑木林の中に石塔類が残っている。 寛元4年(1246年)に蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が開山したとされ…

島津家久の上京日記【5】 厳島に大興奮!/天正3年3月22日~3月25日

天正3年(1575年)、島津家久(しまづいえひさ)が京へ上る。『中務大輔家久公御上京日記』からその旅程を追う。一行は周防国から安芸国へと入る。そして厳島神社(いつくしまじんじゃ、広島県廿日市市)に到着。参詣の様子を島津家久はやたらと詳しく伝えて…

塚崎の田の神/鹿児島県肝属郡肝付町野崎

出かけるとほぼほぼ出くわすのである、タノカンサァ(田の神)に。鹿児島県内にはかなりの数がある(2000体以上とも)。すっかり風景の一部となっている感じもする。 塚崎の大楠(大塚神社/塚崎古墳群1号墳)を訪問したところ、近くにタノカンサァ(田の神…

塚崎の大楠(大塚神社)、巨木は塚崎古墳群1号墳の上に

「塚崎の大楠(塚崎のクス)」というのが、鹿児島県肝属郡肝付町野崎の塚崎(つかざき)にある。推定樹齢は1300年ほど。国の天然記念物にも指定されている。 巨木がそびえる場所は、なんと古墳の上。塚崎古墳群(つかざきこふんぐん)の1号墳に根付いている…

龍虎城跡(財部城跡)、国境の堅城、庄内の乱の激戦地

龍虎城(りゅうこじょう)は大隅国財部院(たからべいん)にあった山城である。別名に財部城(たからべじょう)とも、北俣城(きたまたじょう)とも。現在の鹿児島県曽於市財部町北俣のうちにある。 財部は大隅国と日向国の国境に位置し、中世より戦いの多い…

島津家久の上京日記【4】 天気が悪い/天正3年3月11日~3月21日

天正3年(1575年)に島津家久(しまづいえひさ)は上京する。『中務大輔家久公御上京日記』によると、同年3月10日に長門国の赤間関(山口県下関市)に至る。関門海峡を越えて九州を出た。その続き。一行は安芸国の厳島神社(広島県廿日市市宮島町)を目指す…

御社神社(五社大明神)、猫の神社? そして肝付氏にふりかかった祟りとは?

御社神社(ごしゃじんじゃ)は鹿児島県肝属郡肝付町新富に鎮座する。もともとは「五社大明神(ごしゃだいみょうじん)」「五社宮」と呼ばれていた。 猫の神社? 討たれた叛逆者とその家族を祀る 「祟り」で何があった? なお、記事中の日付は旧暦にて記す。 …

鍬を持つ田の神/鹿児島県鹿屋市吾平町上名

タノカンサァ(田の神像)は鹿児島県や宮崎県のあちこちで見かける。場所はいろいろだが、神社の境内にいることも多い。今回もそんな一例である。 場所は鹿児島県鹿屋市の吾平(あいら)の八幡神社。この境内の一角でタノカンサァが田園風景を見守っていた。…

大姶良の新八幡宮(八幡神社)、島津元久の産土神

鹿児島県鹿屋市に「大姶良(おおあいら)」というところがある。島津氏の7代当主に数えられる島津元久(しまづもとひさ)は、貞治2年・正平18年(1363年)にこの地で生まれた。大姶良に鎮座する新八幡宮(八幡神社)は島津元久の産土神。こちらを参詣した。 …

島津家久の上京日記【3】 九州を出る/天正3年3月1日~3月10日

天正3年(1575年)の島津家久(しまづいえひさ)の上京の旅程を追う。『中務大輔家久公御上京日記』より。3回目となる今回は、ついに九州を出る。 天正3年3月1日、高良山で歓待される 天正3年3月2日、通行料とられまくり 天正3年3月3日、小石原に至る 天正3…

肝付宮下の桜迫神社(西洲宮跡)、ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトと神武天皇の伝承地

桜迫神社(さくらざこじんじゃ)は鹿児島県肝属郡肝付町の宮下(みやげ)に鎮座する。ここは西洲宮(にしくにのみや)の伝承地である。西洲宮はヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト(『日本書紀』では「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊」/『古事記』では「天津…