「西郷野屋敷跡」というところが、鹿児島市西別府町にある。鹿児島実業高校の北側の山の中に、かつて西郷隆盛の別宅があった。山の中には遊歩道も整備されている。 西郷家の抱地 ちょっと歩いてみた 西南戦争で家族が避難 西郷家の抱地 薩摩藩では、小禄の鹿…
鹿児島県薩摩川内市の高江(たかえ)に「長崎堤防」と呼ばれるものがある。17世紀に薩摩藩により整備された。この地は川内川が湾曲したところにある低地で、かつては川沿いには沼沢が広がっていた。洪水の多い場所でもあった。そこで堤防を整備し、さらには…
『中務大輔家久公御上京日記』より。天正3年(1575年)の6月3日から6月5日のこと。島津家久(しまづいえひさ)は伊勢に参詣したあとは大和路へ。東大寺で大仏を見たり、多聞山城に招かれたり。 前回の記事はこちら。 rekishikomugae.net 『中務大輔家久公御…
徳川将軍家の時代になって、薩摩藩の島津家は強固な地盤を築く。その一因には、藩主が子沢山だったこともあると思う。2代藩主の島津光久(しまづみつひさ)の子は42人(『略御系図』より)。ほかにも記録に残っていない子の存在もいた可能性もなくはない。 …
鹿児島市の武(たけ)にタノカンサァ(田の神像)がいる。ここはJR鹿児島中央駅のすぐ近く。市街地のど真ん中だ。 「武の田の神」と呼ばれ、鹿児島市の有形民俗文化財にも指定されている。タノカンサァ(田の神像)は鹿児島県や宮崎県にたくさんある。18世紀…
天正3年(1575年)に島津家久(しまづいえひさ)は上京する。いちばんの目的は伊勢神宮への参詣であった。5月27日に京を発ち、甲賀と伊賀を越えて6月1日に伊勢に到着した。 前回の記事はこちら。 rekishikomugae.net 『中務大輔家久公御上京日記』については…
天正3年(1575年)の4月から5月にかけて、島津家久(しまづいえひさ)は京に滞在した。連歌師の里村紹巴(さとむらじょうは)の世話になりつつ、京のあちこちを見てまわる。また、連歌会に参加したり、一流役者による能や謡に触れたり。 島津家久は5月27日に…
「塚脇(つかわき)」というところが、鹿児島県霧島市国分上之段にある。国分の市街地からずっと東のほうの台地の上に位置する山里だ。ここに宮毘神社(みやびじんじゃ)が鎮座する。大きなカヤの御神木も存在感あり。 お詣りする 鹿児島県道478号(比曽木野…
薩摩国・大隅国の鎌田(かまだ)一族についてちょっとまとめてみた。鎌田氏は島津氏に仕え、鎌田政近や鎌田政年など戦国期に活躍した者も多い。通字は鎌田氏は「政」と「清」。 情報元はおもに、鹿児島県史料『鎌田正純日記一』に収録された鎌田氏系図、『本…
天正3年(1575年)5月、島津家久(しまづいえひさ)は里村紹巴(さとむらじょうは)とともに近江国を訪れる。坂本城(滋賀県大津市坂本)で明智光秀の歓待を受けたあと、名所見物をしながら京へ戻っていく。 帰京後は連歌興行あり。前関白の近衛前久(このえ…
鹿児島県日置市吹上町中原・湯之浦のあたりは、かつての薩摩国伊作(いざく)のうち。この地は島津一族の伊作氏が領していた。そして、戦国島津氏の源流は伊作氏にあったりもする。 伊作城の麓の湯之浦には、如意山願成就寺海蔵院(にょいざんがんじょうじゅ…
上井覚兼(うわいかくけん)は、島津義久(しまづよしひさ)の老中を務めた。この人物の日記が残っている。『上井覚兼日記』という。 『上井覚兼日帳』『上井伊勢守日帳』『伊勢守日記』とも呼ばれる。 自筆本と思われるものが現存していて、東京大学史料編…
御霊神社(ごりょうじんじゃ)が鹿児島県いちき串木野市大里に鎮座する。かつての薩摩国日置郡の市来院大里(いちきいんおおさと)のうち。 丹後局(たんごのつぼね)がこの地に移り住んだという伝説がある。丹後局は島津氏初代の島津忠久(しまづただひさ)…
街に出ると、いろいろ犬種をみかける。柴犬のような日本の犬もよく見るし、外国にルーツのある犬種もすごく多い。犬好きがたくさんいること。それは今も昔も変わらないようだ。歴史の中で犬にまつわる話は多い。「唐犬」や「南蛮犬」も珍しがられて、人気が…
猫は身近な存在だ。ふだんの暮らしの中でよく見かける。もちろん、飼っている人も多い。猫と人は絶妙な距離感で接している。それは、たぶん昔からあんまり変わっていないんじゃないか、という気もする。 猫は歴史の中にひょっこりと出てくる。逸話が伝わって…
タノカンサァ(田の神像)にやたらと出くわす、鹿児島県内あちこちで。よく遭遇する場所の一つが神社だ。初めから神社に奉納されたものなのかもしれないし、何かしらの訳あって神社に移されたものなのかもしれない。 鹿児島県薩摩川内市祁答院町下手の大村の…
日置の山田で、古そうなタノカンサァ(田の神)を見つけた。水神の石祠と並んで置かれている。周囲の田んぼ見守っているような感じだ。「山田の田の神」と呼ばれている。 道路脇に タノカンサァ(田の神)は五穀豊穣と子孫繁栄の守り神だ。18世紀頃から島津…
鹿児島県いちき串木野市大里に鶴ヶ岡八幡神社(つるがおかはちまんじんじゃ)が鎮座する。この地はかつての薩摩国市来院(いちきいん)のうち。旧称は鶴岡八幡宮。 建仁3年(1203年)に丹後局(たんごつぼね)が相模国鎌倉(神奈川県鎌倉市)の鶴岡八幡宮よ…
天正3年(1575年)5月14日に島津家久(しまづいえひさ)は明智光秀と会う。翌日には居城にも招かれた。連歌師の里村紹巴(さとむらじょうは)は明智光秀と親交があり、二人を引き合わせた。 この二日間については、『中務大輔家久公御上京日記』でも詳しく記…
天正3年(1575年)5月の島津家久(しまづいえひさ)の日記から。連歌師の里村紹巴(さとむらじょうは)の世話を受けて、京の滞在を続けている。 ちなみに、里村紹巴は地方の戦国大名とも親交がある。島津氏もその一つだった。島津家久の正室は樺山善久(かば…
島津義弘(しまづよしひろ)の子は五男二女あり。二人の娘については「御屋地(おやぢ)」「御下(おした)」という名が伝わっている。ともに通称で本名は伝わっていない。この姉妹は戦乱のややこしい事情に巻き込まれ、家の事情に振り回された生涯だった。 …
天正3年(1575年)5月、島津家久(しまづいえひさ)は上京中である。都はさすがに見どころが多く、名所まわりが続く。京滞在中は連歌師の里村紹巴(さとむらじょうは)の世話になっている。超一流の文化人である。そんな人物の案内で見物に出かけたりもして…
鹿児島県南九州市の知覧(ちらん)に「取違(とりちがい)」というところがある。地名の由来は豊玉姫(トヨタマヒメ)と玉依姫(タマヨリヒメ)の伝説によるものだ。この地へ行ってみた。 「取違由来記」碑 中宮三所大明神社(豊玉姫神社) 飯倉新宮三所大明…
鹿児島県内には田の神像があちこちにある。「タノカンサァ」と呼ばれて、地域の守り神として親しまれている。鹿児島県南さつま市金峰町宮崎の道端でタノカンサァを見つけた。ちょっと寄ってみる。 タノカンサァ(田の神)の詳細は、こちらの記事にて。 rekis…
船間島古墳(ふなまじまこふん)は鹿児島県薩摩川内市港町にあり。川内川の河口に船間島は位置する。もともとは島だったが、埋立工事により現在は陸続きに。島には高さ26mほどの小丘があり、その山頂に古墳がある。 古墳へ 臨江寺跡石塔 船間島神社 旧日本海…
時吉城(ときよしじょう)は薩摩国祁答院(けどういん)の時吉(鹿児島県薩摩郡さつま町時吉)にあり。川内川沿いに丘陵があり、そこが城跡だという。一帯は畑地や住宅地として開発されているが、地形はよく残っているようだ。そして、曲輪の一つの「中ノ城…
竹屋神社(たかやじんじゃ)は鹿児島県南さつま市加世田宮原に鎮座する。旧称は鷹屋大明神社。 「加世田(かせだ)」という地名は、「笠狭田(かささだ)」に由来すると伝わる。そして、竹屋神社(鷹屋大明神社)は「笠狭宮(かささのみや)」の跡地とも。鎮…
鹿児島県日置市吹上町中之里に妙見神社(みょうけんじんじゃ)が鎮座する。ここには巨石群があり、「落ちそうで落ちない岩」も人気だ。この地はかつての薩摩国伊作(いざく)の内で、島津一族の伊作氏が崇敬した神様でもある。 由緒 巨石群のある境内 伊作氏…
鹿児島市喜入生見町に帖地(ちょうち)というところがある。ここにふらりと立ち寄る。帖地は隠れ里のような雰囲気の場所だった。ちなみに平家の落人が隠れ住んだという言い伝えもあるとか。 山のほうに目をやると鳥居が見えた。山の神であるという。なんだか…
鹿児島県日置市東市来町養母に太秦神社(うずまさじんじゃ)がある。御祭神は秦の始皇帝。この地はかつての薩摩国市来院(いちきいん)のうち。古くから市来院を領した市来氏の氏神であったという。 静かな山里に 太秦から勧請 薩摩大隅の大蔵氏は東漢氏系と…