ムカシノコト、ホリコムヨ。

おもに鹿児島あたりの歴史を掘りこみます

島津歳久の最期の地へ、平松神社(心岳寺跡)をお詣りしてきた

鹿児島市と姶良市を行き来するメインルートというと国道10号の海沿いの道。平松神社(ひらまつじんじゃ)はその途中にある。ここを車で通過する際に、なんとく気になる人もいるんじゃないだろうか。 道路から見える平松神社のノボリ旗 天正20年7月18日(1592…

島津歳久の生涯

島津歳久(しまづとしひさ)は戦国時代に南九州で活躍した人物である。生年は天文6年(1537年)、没年は天正20年(1592年)。通称は「又六郎(またろくろう)」で、法号の「晴蓑(せいさ)」、官位の「左衛門督(さえもんのじょう)」、官位の唐名である「金…

南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(3)

鎌倉幕府滅亡後の権力構造は二転三転し、南北朝の争乱はまったく収集がつかない状態が続く。 rekishikomugae.net rekishikomugae.net rekishikomugae.net 引き続き「南九州の南北朝争乱」を進める。今回も『島津国史』(19世紀初め頃に鹿児島藩(薩摩藩)が…

市来の鶴丸城跡にのぼってみた

鹿児島県日置市東市来にある鶴丸城(つるまるじょう)跡にのぼってきた。訪問したのは2021年1月某日。 鶴丸城の登山道口付近 市来氏と島津氏の激戦の地 「鶴丸城」というと、鹿児島県内では鹿児島市にある鹿児島城を思い浮かべる人が圧倒的に多い。こちらは…

南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(2)

大混乱の南九州の南北朝争乱の2回目! 「南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(1)」では、足利(あしかが)氏の政権樹立まで頃の南九州の状況を取り上げた。鎌倉幕府滅亡、建武政権樹立と崩壊、足利尊氏(あしかがたかうじ)の挙兵と挫折と復活劇と政権樹…

南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(1)

鎌倉幕府の滅亡から南北朝時代へと移り変わっていく14世紀。ふたつの朝廷の対立を軸に、状況は二転三転する。その大まかな流れについては「鎌倉幕府滅亡から南北朝争乱へ」という記事を見てほしい。 rekishikomugae.net 戦乱は全国に広がり、九州もかなりの…

鎌倉幕府滅亡から南北朝争乱へ

14世紀の日本は混乱の時代である。鎌倉幕府が滅び、天皇家は分裂し、足利(あしかが)家の中でも内部抗争が起こる。めまぐるしく状況が変わる中で、地方の有力者たちも振り回される。複雑な要素がからみあい、決着はなかなかつかず。ややこしくてグダグダな…

東福寺城跡に行ってきた

鹿児島市清水町にある東福寺城(とうふくじじょう)跡に行ってきた。訪問したのは2021年1月某日。現在は、多賀山(たがやま)公園として整備されている。 鹿児島で最初の島津氏居城 東福寺城は、島津氏が14世紀半ばから拠点とした城である。もともとは鹿児島…

薩摩・大隅に古くから住まう者たち (3)

平安時代以前に薩摩・大隅で大きな勢力を誇っていた氏族をまとめる。その3回目! 大隅正八幡宮の行賢 行賢は11世紀末~12世紀前半頃に大隅正八幡宮(鹿児島神宮)の執印(しゅういん、神宮の管理者)だった人物。大隅正八幡宮領は寄進を集めて巨大荘園になっ…

南九州に所領を得た鎌倉御家人たち

薩摩国・大隅国・日向国にやってきた鎌倉武士は島津忠久(しまづただひさ)のほかにも、けっこういる。 鮫島(さめじま)氏 鮫島宗家(さめじまむねいえ)は薩摩国阿多郡(現在の鹿児島県南さつま市)の地頭に補任され、下向したとされる。建久8年(1197年)…

薩摩・大隅に古くから住まう者たち (2)

平安時代以前に薩摩・大隅で大きな勢力を誇っていた氏族をまとめる。その2回目は大隅の覇者となった一族、薩摩南部を席捲した一族について、だ。 肝付(きもつき)氏 大隅国肝属郡高山(こうやま、現在の肝属郡肝付町)を拠点とし、名乗りはその郡名から。肝…

薩摩・大隅に古くから住まう者たち (1)

平安時代以前に薩摩・大隅で大きな勢力を誇っていた氏族をまとめてみた。 大蔵一族 かなり古くから土着していたと思われる。大蔵(おおくら)一族の勢力範囲は大隅国桑原郡(現在の鹿児島県姶良市、霧島市の西部)をはじめ、薩摩国日置郡(現在の日置市・い…

鎌倉から薩摩へ、島津氏が根付く

薩摩住まいは3代目から? 島津氏初代の忠久(ただひさ)、2代目の忠時(ただとき)は鎌倉にあり、領国経営は代官に任せていた。 薩摩に島津氏が本格的に入ってくるのは、3代目の久経(ひさつね)からだとされる(諸説あり)。きっかけは元寇であった。建治元…

『島津国史』に見る島津忠久の経歴

正史の島津忠久伝 鎌倉時代から近世まで薩摩国・大隅国・日向国(一部)を統治した島津家。その初代の島津忠久(しまづただひさ)の足跡を、『島津国史』に沿って見ていく。 『島津国史』は島津家の歴史をまとめたもので、19世紀初め頃に島津重豪(しまづし…

隼人のこととか、秦氏のこととか

隼人はどこに行ったのか 大和朝廷の支配下に入った隼人の有力氏族はどうなったのか? 史料が乏しく、よくわかっていない。 なお、大隅の反乱(720年)以降に名が見える隼人の有力者としては、曾君多理志佐(そのきみたりしさ、か)がいる。天平12年(740年)…

島津氏が来る前の時代

薩摩国・大隅国の歴史を、古代から平安期にかけてざっくりと書いてみる。南九州における平安時代以前の資料は多くはない。断片的にしかわからないが、そこにはいろいろなヒントがあると思う。 隼人が住んでいた 7世紀頃に、日本はヤマト王権を中心に統一国家…

島津忠久って何者なの?

公式発表は「源頼朝の隠し子」 島津家初代とする惟宗忠久(これむねのただひさ、島津忠久)の出自については諸説ある。確かなことはよくわかっていない。 『島津国史』という島津家の歴史をまとめた書物がある。これは島津氏第25代当主(薩摩藩第8代藩主)の…

そもそも「島津」って何だ?

巨大荘園を任される 現在の鹿児島県にあたる薩摩国・大隅国は、島津氏が治めていた。その期間は、12世紀末から1871年の廃藩置県まで。鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府と武家政権の時代のすべてである。 島津氏は、惟宗忠久(これむねのただひさ)を初代とする…