ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

加治木の春日神社、加治木氏が創建し、島津氏が再興する

鹿児島県姶良市加治木町木田に春日神社(かすがじんじゃ)が鎮座する。旧称は春日大明神社。加治木(かじき)を領した加治木氏と関わりの深い神社だ。近世には島津(しまづ)氏が加治木を領し、春日大明神社は島津氏からも大事にされた。 加治木氏が藤原姓を…

国分の祓戸神社(守公神社)、大隅国衙のあったところか?

祓戸神社(はらえどじんじゃ)は、鹿児島県霧島市国分府中に鎮座する。古くは「守公神社(しゅこうじんじゃ)」「守君神社(しゅくんじんじゃ)」と称した。 「国分」という地名は「国府」に由来する。そして「府中」の地名は、国衙があったことを想像させる…

待世神社跡、霧島神宮(西御在所霧島権現社)の仮宮があったところ

霧島神宮(きりしまじんぐう)は鹿児島県霧島市霧島田口に鎮座する。かつては西御在所霧島権現社(にしございしょきりしまごんげんしゃ)と称した。高千穂峰の麓にあり、主祭神は天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊(アメニギシクニニギシアマツヒタカホコホ…

『妙円寺詣りの歌』の歌詞について、関ヶ原での島津義弘の奮闘を物語る

「妙円寺詣り(みょうえんじまいり)」は鹿児島県の三大行事の一つ。毎年10月に島津義弘の武威を偲んで行われる。 『妙円寺詣りの歌』というのもあり、歌詞は二十二番まである。その歌詞をあらためて見てみると、すごくよくできている。ちょっと解説を交えつ…

鹿児島の荒田八幡宮、大隅正八幡宮領荒田荘の鎮守

荒田八幡宮(あらたはちまんぐう)は鹿児島市下荒田に鎮座する。このあたりはかつての薩摩国鹿児島郡荒田村のうち。この荒田村には「荒田荘」という荘園があった。 建久8年(1197年)の『薩摩国図田帳』には「大隅正八幡宮御領二百二十五町内」の「一円御領…

曽木の荒瀬神社(悪瀬大明神社)、むかしむかし川内川を流れてきた

国道267号沿い川内川のやや南のあたりに鳥居が見えた。そこは荒瀬神社(あらせじんじゃ)という。鎮座地は鹿児島県伊佐市大口曽木。御祭神は豊玉比賣命(トヨタマヒメノミコト)・豊玉比古命(トヨタマヒコノミコト)。 静かな森の中に 川内川を流れてきて …

川合陵神社、アメノホアカリノミコト(天火明命)の御陵と伝わる

川合陵神社(かわあいのみささぎじんじゃ)は鹿児島県薩摩川内市五代町に鎮座する。御陵殿(みささぎどん)とも呼ばれる。創建年代は不明。御祭神は天火明命(アメノホアカリノミコト)。そして、その御陵とされる川合陵(かわあいのみささぎ)があるとも。 …

端陵は亀の頭に、中陵は亀の首に、新田神社(可愛山陵)のある神亀山に

端陵(はしのみささぎ)と中陵(なかのみささぎ)は、鹿児島県薩摩川内市宮内町の神亀山にある。すごく気になる存在である。 神亀山の山頂は、可愛山陵(えのみささぎ)に治定されている。可愛山陵はニニギノミコト(瓊瓊杵尊/邇邇芸尊)の御陵とされ、神亀…

可愛山陵は神亀山に、ニニギノミコトが眠るという

可愛山陵(えのみささぎ)は鹿児島県薩摩川内市宮内町にある。ニニギノミコトの陵墓とされ、川内川沿いの神亀山が治定地となっている。神亀山には新田神社が鎮座する。山頂に社殿があり、本殿の裏手に可愛山陵は位置している。 神亀山 新田神社の本殿の背後…

薩摩の新田神社、ニニギノミコトの伝説の地

新田神社(にったじんじゃ)は鹿児島県薩摩川内市宮内町に鎮座する。 御祭神は本祀に天津日高彦火瓊瓊杵尊(アマツヒダカヒコホノニニギノミコト)、配祀に天照皇大御神(アマテラススメオオミカミ)と正哉吾勝々速日天忍穂耳尊(マサカアカツカチハヤヒノア…

敷根の剱神社、もとは宇豆峯の剱巌を祀る、熊襲征伐の伝説も

剱神社(つるぎじんじゃ)は、鹿児島県霧島市国分敷根に鎮座する。熊襲征伐の伝承もあったりして、なんとなく気になる場所である。 剱神社 剱神社の御由緒 島津義久が再興 松が茂る境内 剱神社の御由緒 御祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と 天児屋根…

樋脇の玉淵寺跡・長谷神社跡、島津家久(島津忠恒)を祀る

長谷神社(はせじんじゃ)は鹿児島県薩摩川内市樋脇町塔之原に鎮座。薩摩藩初代藩主の島津家久(いえひさ、島津忠恒、ただつね)を祀る。もともとは玉淵寺(ぎょくえんじ)という寺院があり、その跡地に神社が創建された。 なお、長谷神社は2022年に近くの一…

本庵の田の神/鹿児島県薩摩川内市樋脇町塔之原

樋脇(ひわき)の玉淵寺(ぎょくえんじ)跡にタノカンサァがいた。「本庵(もとあん)の田の神」と呼ばれている。 雨ざらしではなく、大事にされている 鹿児島県のあちこちで田の神像に出くわす。田の神像は島津氏の領内で18世紀頃から盛んに作られるように…

薩摩藩初代藩主/島津家久(島津忠恒)の32人の子

薩摩藩(鹿児島藩)の初代藩主は島津家久(しまづいえひさ)という。もとの名は島津忠恒(ただつね)で、慶長11年(1606年)に改名。徳川家康より「家」の字を偏諱として拝領してのこと。 この島津家久(島津忠恒)は子沢山であった。十六男十六女をもうけた…

竹原田の田の神/鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名

鹿児島県道42号沿いに「竹原田(たこいだ)の田の神」の看板を見つける。そこからちょっと登っていける。見上げると、田んぼの端の畔の上にタノカンサァ(田の神像)が立っていた。場所は鹿児島県薩摩川内市の入来のうち。大宮神社(おおみやじんじゃ)から2…

志布志原田の森神社、物部守屋は南九州まで逃げてきた!?

森神社(もりじんじゃ)は鹿児島県志布志市有明町原田に鎮座する。小さな神社なのだが、なんだか気になる存在だ。御祭神は用明天皇。そして物部守屋(もののべのもりや)が創建したとも。なぜ、こんなところに? と不思議な感じがするのである。 森神社へ 物…

島津家久の上京日記【9】 六波羅蜜寺とか清水寺とか/天正3年4月22日~4月30日

島津家久(しまづいえひさ)は天正3年(1575年)4月に上洛し、京に滞在すること1ヶ月以上。その間に名所をかたっぱしから見てまわったようだ。そのことが『中務大輔家久公御上京日記』にも詳しく記されている。 前回の記事はこちら。 rekishikomugae.net 『…

喜入の宮坂神社(正一位三百餘社大明神社)

鹿児島市喜入町に「宮地(みやじ)」というところがある。地名は神社に由来するものだろう。この地には宮坂神社(みやさかじんじゃ)が鎮座する。 喜入季久が創建、肝付氏も崇敬 参詣する 主馬首一平安代の銘刀 喜入季久が創建、肝付氏も崇敬 旧称は「正一位…

木ノ氏の飛諏訪神社、陣中に飛んできた鎌を新納忠元が祭る

飛諏訪神社(とびすわじんじゃ)は薩摩国木ノ氏(きのうじ、鹿児島県伊佐市大口木ノ氏)に鎮座する。 由緒が面白い。 新納忠元(にいろただもと)が敵方と対陣しているとき、陣中にどこからともなく鎌が飛んできたという。この出来事を吉兆だと新納忠元は喜…

大口里の諏訪神社(長峯諏訪社)、大口城の南の丘の上に鎮座

鹿児島県伊佐市は、諏訪神社がやたらとある。Googleマップで調べたところ、伊佐市内の諏訪神社は10社確認できる。また、南方神社(明治時代に諏訪神社から改称)も5社が見つかる。 大口里の諏訪神社は、大口の諏訪神社の中でもっとも規模が大きいと思われる…

岩波文庫の『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』(編訳/石原道博)

日本の古代史を考察するとき、中国の史書が重要な史料とされる。例えば、このあたりの本。 これらに書かれている情報は、興味をそそるものばかりである。 で、中国発の古代の倭国(日本)の情報をコンパクトにまとめた本が、「岩波文庫」にある。重要なとこ…

広津田の田の神、大きいぞ!/鹿児島県曽於市大隅町月野

タノカンサァ(田の神)に鹿児島県内あちこちで出くわす。車で田舎道を走っていて「何かの像があるな」って見つけることがしばしば。で、鹿児島県曽於市大隅町の月野で、大きなタノカンサァと出会った。 こんなのが座っている なお、タノカンサァ(田の神)…

月野の太田神社、こんなところにオオタタネコ

太田神社(おおたじんじゃ)は鹿児島県曽於市大隅町月野に鎮座する。御祭神は太田田根子命(オオタタネコノミコト)。月野はかつての日向国救仁院(くにいん、志布志、しぶし)のうちで、大隅国との国境の地でもある。 オオタタネコを祭る神社が、なんでここ…

上之原の原五社神社、安永大噴火で桜島の黒神から、移住者が故郷を思う

鹿児島市の吉野に上之原(かみのはら)というところがある。吉野台地の端のほうにあたり、鹿児島湾と桜島をのぞむ。この地に原五社神社(はらごしゃじんじゃ)が鎮座する。桜島の大噴火と深いかかわりを持つ神社だ。 安永大噴火、黒神からの移住者 地域の守…

薩摩羽月の白木神社(白木観音堂)、茅葺の社殿は中世の建築様式を伝える

白木神社(しらきじんじゃ)は鹿児島県伊佐市大口白木に鎮座する。かつての薩摩国牛屎院(うしくそいん)の羽月(はつき)のうち。国道447号沿いで看板が目に入る。まえまえから寄ってみたいと思っていた場所だ。 看板のあるところから脇道に入る。こちらの…

島津家久の上京日記【8】 織田信長を見にいく/天正3年4月17日~4月21日

天正3年(1575年)4月、島津家久(しまづいえひさ)は入京。しばらく京に滞在してあちこち見てまわることになる。織田信長の軍勢が出征から戻ってきたところにも出くわす。『中務大輔家久公御上京日記』では、そのときのことも詳しく記される。 天正3年4月17…

曽木の滝は大迫力! 曽木発電所遺構は幻想的!

曽木の滝(そぎのたき)は川内川(せんだいがわ)の中流にある。滝の幅は約210m、高さは約12m。日本でもっとも幅が広い滝である。場所は鹿児島県伊佐市。周辺は「曽木の滝公園」として整備。多くの人が訪れる景勝地だ。 見どころは滝だけではない。明治時代…

『薩摩の密偵 桐野利秋 「人斬り半次郎」の真実』(著/桐野作人)、実像は世間のイメージとちょっと違う

桐野利秋(きりのとしあき)について知りたいと思い、資料を探す。それで、こちらの本にたどりついた。 『薩摩の密偵 桐野利秋 「人斬り半次郎」の真実』著/桐野作人 発行/NHK出版 2018年 薩摩の密偵 桐野利秋 「人斬り半次郎」の真実 (NHK出版新書) 作…

鹿児島吉野の「実方」、桐野利秋と別府晋介の故郷

鹿児島市の北部は吉野(よしの)と呼ばれる。かつての薩摩国鹿児島郡の吉野村にあたる。吉野の南のほうにある「実方(さねかた)」に立ち寄ってみた。 吉野はシラス台地の上にある。「吉野台地」「吉野原(よしのばる)」とも呼ばれる。鹿児島の平野部から、…

谷山の如意山清泉寺跡、島津大和守久章の大きな五輪塔がある

薩摩国谿山郡福本に如意山清泉寺(にょいざんせいせんじ)はあった。現在の鹿児島市下福元町のうち。古い寺院であったとされ、岸壁には摩崖仏がある。明治の初めに廃寺となり、寺院の遺構が残っている。 そして、寺院跡には大きな五輪塔も。この地で討たれた…