ムカシノコト、ホリコムヨ。

おもに鹿児島あたりの歴史を掘りこみます

南北朝争乱

南九州の南北朝争乱【まとめ】 1331年~1397年を一気にたどる

14世紀の日本は、まさに乱世である。京では足利尊氏(あしかがたかうじ)が樹立した武家政権(室町幕府、北朝)と、吉野に逃れた後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の政府(南朝)が並び立つ。北朝と南朝の争いはなかなか決着がつかず、日本中が振り回される。 …

南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(7) 南北朝合一へ、されど戦いは続く

九州探題の今川貞世(いまがわさだよ、今川了俊)は九州平定を進めていく。九州の南朝方は勢いを失いつつあった。その一方で、永和元年・天授元年(1375年)7月の水島の変(前回記事を参照)により、島津氏は今川氏に反発。島津と今川の戦いも続いていた。 …

南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(6)今川了俊がやってきた

足利尊氏(あしかがたかうじ)と足利直義(ただよし)が争った「観応の擾乱」(1350年~1352年)が収束したあと、全国的には北朝方(幕府方)が南朝方を圧倒しつつあった。しかし、九州では事情が違っていた。 rekishikomugae.net 守護家である少弐(しょう…

南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(5) 島津と畠山の抗争

南北朝の争いは引き続き混沌とした状況に。貞和3年・正平2年(1347年)の吉野陥落をもって北朝方が圧倒するかと思いきや、幕府では足利尊氏(あしかがたかうじ)と足利直義(ただよし)の兄弟喧嘩(観応の擾乱)が勃発。幕府が分裂し、直義が南朝にくだった…

南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(4) 観応の擾乱の波紋

足利尊氏(あしかがたかうじ)が擁立する京の持明院統(じみょういんとう、北朝)と、吉野山(現在の奈良県吉野町)に朝廷を構えた大覚寺統(だいかくじとう、南朝)との対立を軸に、内乱は続いていく。 九州では勢力が拮抗していた。康永元年・興国3年(134…

南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(3) 懐良親王が薩摩へ

鎌倉幕府滅亡後の権力構造は二転三転し、南北朝の争乱はまったく収集がつかない状態が続く。 rekishikomugae.net rekishikomugae.net rekishikomugae.net rekishikomugae.net 引き続き「南九州の南北朝争乱」を進める。今回も『島津国史』(19世紀初め頃に鹿…

南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(2) 後醍醐天皇は諦めない

大混乱の南九州の南北朝争乱の2回目! 「南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(1)」では、足利(あしかが)氏の政権樹立まで頃の南九州の状況を取り上げた。鎌倉幕府滅亡、建武政権樹立と崩壊、足利尊氏(あしかがたかうじ)の挙兵と挫折と復活劇と政権樹…

南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(1) 倒幕と建武政権崩壊

鎌倉幕府の滅亡から南北朝時代へと移り変わっていく14世紀。ふたつの朝廷の対立を軸に、状況は二転三転する。その大まかな流れについては「鎌倉幕府滅亡から南北朝争乱へ」という記事を見てほしい。 rekishikomugae.net rekishikomugae.net 戦乱は全国に広が…

鎌倉幕府滅亡から南北朝争乱へ

14世紀の日本は混乱の時代である。鎌倉幕府が滅び、天皇家は分裂し、足利(あしかが)家の中でも内部抗争が起こる。めまぐるしく状況が変わる中で、地方の有力者たちも振り回される。複雑な要素がからみあい、決着はなかなかつかず。ややこしくてグダグダな…