ムカシノコト、ホリコムヨ。

おもに鹿児島あたりの歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

『三国名勝図会』

蛭兒神社(蛭児神社)と「なげきのもり」、ヒルコノミコト漂着の伝説が残る

境内は森の中。クスノキの巨木があり、枝葉が空を覆う。蛭兒神社(ひるこじんじゃ、蛭児神社)は鹿児島県霧島市隼人町内に鎮座する。御祭神は蛭児尊(ヒルコノミコト)。創建時期は不明。神代の頃とも伝わる。 また、このあたりの森は「なげきのもり」と呼ば…

米山薬師と総禅寺跡、岩丘の聖地と島津氏豊州家の菩提寺と

鹿児島県姶良市鍋倉のあたりは「米山(よねやま)」とも呼ばれている。この地名は「米山薬師(よねやまやくし)」に由来する。 『三国名勝図会』(19世紀に薩摩藩が編纂した地誌)にイイ感じの絵図もある。 『三国名勝図会』巻之三十八より(国立国会図書館…

山神社と旧参道へ、霧島神宮の本殿脇から山に入っていくと

霧島神宮は鹿児島県霧島市霧島田口に鎮座する。天孫降臨の神話が息づく、格式の高い神社である。島津(しまづ)氏の崇敬も篤く、境内は壮麗な雰囲気なのだ。 勅使殿の向かって左から山のほうへ入れるようになっている。こちらへも行くべし! 霧島神宮の見ど…

霧島神宮へお詣りに、見上げる霊峰は天孫降臨の伝承地

ニニギノミコトが天降ったことから日向三代(ひむかさんだい)の物語が始まる。「天孫降臨」である。そして、建国へとつながっていく。『古事記』や『日本書紀』にはそう記されている。 高千穂峰(たかちほのみね)は天孫降臨の伝承地とされる。そのふもとに…

イザナギノミコトが禊祓いをした阿波岐原(檍原)、曽於南之郷の伝承地をめぐる

イザナギノミコトは黄泉国(よもつくに)を脱して、『古事記』によると「竺紫日向之橘小門之阿波岐原(つくしのひむかのたちばなのおどのあはきがはら)」へといたる。『日本書紀』では「筑紫日向小戸橘之檍原」と記される。そして、身をすすぎ清め、その際…

曽於末吉の佐久良谷、セオリツヒメの住まうという聖域

「佐久良谷(さくらだに)」は鹿児島県曽於市南之郷の山奥にある。「桜谷」とも書く。こちらを訪問した。 この地は『三国名勝図会』で知った。絵図がやたらと目をひく。なんだか強烈な印象を受けるのだ。同書の解説によると「神代の舊跡」だという。 『三国…

市来湯田の稲荷神社をお詣りした、創建したのは島津忠久の母!?

稲荷神社は島津氏の氏神である。そのひとつが市来湯田(いちきゆだ、鹿児島県日置市東市来町湯田)に鎮座する。境内は重厚な雰囲気である。かなりしっかりとした造りで、大事にされてきたことがうかがえる。 承久3年(1221年)に丹後局(たんごのつぼね)が…

祇園之洲砲台跡、大英帝国の艦隊と激しく撃ち合った!

文久3年(1863年)、薩摩藩(鹿児島藩)はイギリス艦隊と戦った。薩英戦争である。薩摩藩は領内に砲台場を整備していた。そのひとつが祇園之洲(ぎおんのす)の砲台場である。ここは激戦地となった。 現在、祇園之洲砲台跡は祇園之洲公園(鹿児島市清水町)…

鹿児島神社(宇治瀬大明神)をお詣り、桜島と深く関わる鹿児島の地主神

鹿児島神社(かごしまじんじゃ)は鹿児島市草牟田に鎮座する。御神号は宇治瀬大明神(うじせだいみょうじん)。「宇治瀬様(うってさぁ)」とも呼ばれている。 由緒をたどると、かなり古い神社のようだ。ここは南九州の古代の信仰もちょっと感じられる。「鹿…

石體神社は高千穂宮の跡地? 鹿児島神宮がもともと鎮座していたところ

石體神社(しゃくたいじんじゃ)は鹿児島県霧島市隼人町内に鎮座する。鹿児島神宮(かごしまじんぐう)から水路沿いを北西方向にちょっと行ったところに位置し、その摂社でもある。こちらもまた、なかなか雰囲気のある神社である。 ヒコホホデミノミコトが住…

鹿児島神宮へお詣りに、ヒコホホデミノミコトと八幡様が南九州を鎮護する

鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は大隅国一之宮である。鹿児島県霧島市隼人町内に鎮座する。 現在、「カゴシマ」というと鹿児島市のあたり(かつての薩摩国鹿児島郡)をさすが、もともとは大隅国の鹿児島神宮鎮座地のあたりの名称だったとも。 ここは「神話…

黒島神社を『三国名勝図会』より、石橋の向こう側は女人禁制だった

田園風景の中に鳥居が見つかる。山の麓に黒島神社(くろしまじんじゃ)は鎮座。なんとも独特な雰囲気の神社である。場所は鹿児島県姶良市の山田地区(姶良市上名)。県道40号沿いに小さな案内看板があり、そこから小道に入って北上すると着く。 山の麓に鳥居…

桜島の噴火史をまとめてみた、大噴火には前兆もいろいろあるみたい

桜島は火山である。日常的に噴火している。音と空振で噴火に気づいたり、「灰はどっちに降るのかな?」と風向きを気にしたり、「車を洗ったばかりなのに」と残念がったり……というのは鹿児島に住む者にとってはよくあることだ。噴火には慣れている。恐れはあ…

藺牟田池と竜石と環状列石と、山の上の湖畔には謎がいっぱい

藺牟田池(いむたいけ)は鹿児島県薩摩川内市祁答院町藺牟田にある。直径約1㎞、周囲約4km、面積は約60ha。山上の窪地に水がたまっていて、湖水面の標高は295m。これを450m~500mほどの外輪山が囲む。火山活動でできた地形である。 右奥に見えるのは飯盛山(…

岩窟の御陵に眠るのは神武天皇の父と母とされる、吾平山上陵を『三国名勝図会』より

吾平山上陵(あいらやまのえのみささぎ、あいらさんじょうりょう、あいらさんりょう)は鹿児島県鹿屋市吾平町にある。神代三陵(じんだいさんりょう、かみよさんりょう、神代三山陵)のひとつに数えられ、ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト(彦波瀲武…

牛根の太崎観音にいってみた、桜島をのぞむ海辺の石祠

鹿児島県垂水市は海岸線の景色が美しい。桜島は鹿児島市から見た姿がよく知られているが、大隅半島側からの姿も素晴らしいのである。 『三国名勝図会』という本がある。江戸時代末期に編纂された島津氏領内の地誌である。この中には桜島の見える風景の絵図が…

曽於末吉の住吉神社、島津義久も戦勝を祈願した国境の聖地

鹿児島県曽於市末吉町に鎮座する住吉神社(すみよしじんじゃ)を参拝した。御祭神は底筒之男命(ソコツツノオノミコト)・中筒之男命(ナカツツノオノミコト)・表筒之男命(ウワツツノオノミコト)。住吉三神である。 檍原の伝承地 境内をあるく 姥石 島津…

曽於末吉の檍神社、イザナギノミコトが黄泉国の穢れを落とした場所はココ?

檍神社(あおきじんじゃ)は鹿児島県曽於市末吉町南之郷に鎮座する。境内からは東方向へ視界が広がり田園風景が遠くまで続いている。この一帯は古くから「檍原(あはきがはら、あおきがはら)」と呼ばれている。 檍神社と檍原 『古事記』には、イザナギノミ…

島津歳久、竜ヶ水に散る ~平松神社(心岳寺跡)を『三国名勝図会』より~

平松神社(ひらまつじんじゃ)は鹿児島市吉野町の竜ヶ水(りゅうがみず)に鎮座する。御祭神は碧空巌岳彦命(あおぞらいずたけひこのみこと)。島津歳久(しまづとしひさ)のことである。前身を心岳寺(しんがくじ)といい、島津歳久の菩提寺であった。 島津…

吉松の熊野神社・内小野寺跡、木崎原の戦いの前に島津義弘が戦勝を祈願した

鹿児島県北部の山間に「湧水町」という自治体がある。2005年に吉松町と栗野町の合併により発足したもので、湧水が多い地域であることから新町名もつけられている。このあたりは霧島連山の西麓に位置し、山々が蓄えた水が湧出する。湧水町内では栗野(くりの…

木崎原古戦場跡にいってみた、島津義弘が10倍もの兵力差をひっくり返した

宮崎県えびの市は、島津義弘(しまづよしひろ)ゆかりの地である。ここはかつての日向国真幸院(まさきいん)にあたる。永禄7年(1564年)から天正18年(1590年)にかけて、島津義弘は飯野城(いいのじょう、えびの市原田)を居城として真幸院を治めていたの…

江之島と瀬戸、桜島の東側を『三国名勝図会』より

鹿児島県の地形は、桜島をふたつの半島が抱きかかえるような感じになっている。そのため、いろいろな方向から桜島を見ることができる。そして、角度によって表情も変わるのである。 19世紀に薩摩藩が編纂した地誌『三国名勝図会』にも、桜島が描かれた絵図が…

佐多岬と御崎神社、大隅半島の先っぽを『三国名勝図会』より

すごく遠い。行くにはけっこうな覚悟が必要だ。ここは離島を除く日本列島の最南端。 佐多岬は鹿児島県肝属郡南大隅町にある。車を走らせて南下していくうちに、植物の感じが亜熱帯性のものにかわる。陸続きなのに、見える景色は日本じゃないみたいなのだ。 …

日新寺跡(竹田神社)・常潤院跡にいってみた、島津忠良ゆかりの地

戦国島津氏は島津忠良(しまづただよし、島津日新斎、じっしんさい)にはじまる。もともとは分家のひとつの相州家の当主であったが、嫡男の島津貴久を本宗家の後継者に擁立する。そして、一族間の抗争を勝ち抜いて覇権を握った。 島津忠良(島津日新斎)は薩…

川尻浦と花礁、開聞岳の近辺を『三国名勝図会』より

海上に突き出すようにそびえる! 開聞岳(かいもんだけ)はよく目立つ。薩摩半島南部では、あちこちからこの山をのぞむ。その存在感は強烈なのだ。南九州では海上交易を行っていた、古代の隼人も中世の豪族も、そして島津(しまづ)氏も。開聞岳は航海の目印…

雄川の滝、『三国名勝図会』より

幾何学模様を思わせる岩壁に水が落ちる。あちこちに伏流水がしたたり、滝壺は鮮やかな青緑色に輝く。「雄川の滝(おがわのたき)」は、なんとも神秘的な雰囲気の場所である。 雄川の滝 滝壺は鹿児島県肝属郡南大隅町根占にある。ここは町境にあたり、滝の上…

『三国名勝図会』(編/五代秀堯・橋口兼柄・ほか) 南九州の歴史を知りたければ、ひとまずこの書に訊ねるべし!

薩摩藩が編纂させた地理誌 当ブログはおもに南九州の歴史をテーマにしているが、記事作りでもっとも参考にすることが多いのが『三国名勝図会(さんごくめいしょうずえ)』である(実際の表記は『三國名勝圖會』)。鹿児島藩(薩摩藩)が編纂させた地理誌で、…