ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

2025-01-01から1ヶ月間の記事一覧

鍬を持つ田の神/鹿児島県鹿屋市吾平町上名

タノカンサァ(田の神像)は鹿児島県や宮崎県のあちこちで見かける。場所はいろいろだが、神社の境内にいることも多い。今回もそんな一例である。 場所は鹿児島県鹿屋市の吾平(あいら)の八幡神社。この境内の一角でタノカンサァが田園風景を見守っていた。…

大姶良の新八幡宮(八幡神社)、島津元久の産土神

鹿児島県鹿屋市に「大姶良(おおあいら)」というところがある。島津氏の7代当主に数えられる島津元久(しまづもとひさ)は、貞治2年・正平18年(1363年)にこの地で生まれた。大姶良に鎮座する新八幡宮(八幡神社)は島津元久の産土神。こちらを参詣した。 …

島津家久の上京日記【3】 九州を出る/天正3年3月1日~3月10日

天正3年(1575年)の島津家久(しまづいえひさ)の上京の旅程を追う。『中務大輔家久公御上京日記』より。3回目となる今回は、ついに九州を出る。 天正3年3月1日、高良山で歓待される 天正3年3月2日、通行料とられまくり 天正3年3月3日、小石原に至る 天正3…

肝付宮下の桜迫神社(西洲宮跡)、ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトと神武天皇の伝承地

桜迫神社(さくらざこじんじゃ)は鹿児島県肝属郡肝付町の宮下(みやげ)に鎮座する。ここは西洲宮(にしくにのみや)の伝承地である。西洲宮はヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト(『日本書紀』では「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊」/『古事記』では「天津…

島津歳久の娘(島津忠隣の正室、のちに入来院重時の正室)の波乱の生涯

島津歳久(しまづとしひさ)には男子がなく、長女に婿をとって後継者とした。島津歳久の娘は波乱の生涯を送る。夫は若くして戦死、そして父が反逆者として討たれ、さらに二人目の夫も戦死する。 なお、島津歳久には次女もいる。こちらについてもあわせて紹介…