奈良時代・平安時代
鹿児島市本城町は、かつての大隅国吉田(よしだ)のうち。ここに「下坊上山の五輪塔」と呼ばれるものがある。ちなみに「しもんぼううえやま」と読む。 山の中に五輪塔が2基。『三国名勝図会』によると、次のような伝承があるという。 本城村、下之坊阿彌陀薬…
平安時代以前に薩摩・大隅で大きな勢力を誇っていた氏族をまとめる。その3回目! 大隅正八幡宮の行賢 執印氏(しゅういん) 蒲生氏(かもう) 矢上氏(やがみ)・長谷場氏(はせば) 英祢氏(莫禰氏、あくね) 菱刈氏(ひしかり) 大隅正八幡宮の行賢 行賢は…
平安時代以前に薩摩・大隅で大きな勢力を誇っていた氏族をまとめる。その2回目は大隅の覇者となった肝付(きもつき)氏、薩摩南部を席捲した河邊一族(かわなべいちぞく)/薩摩平氏(さつまへいし)について、だ。 肝付氏も河邊一族(薩摩平氏)も島津荘(…
平安時代以前に薩摩・大隅で大きな勢力を誇っていた氏族をまとめてみた。南九州に根を張った大族としては、大蔵(おおくら)・税所(さいしょ)・建部(たけべ)・大前(おおくま/おおさき)などの名が確認できる。 大蔵一族 加治木氏(かじき) 市来氏(い…
隼人はどこに行ったのか 大和朝廷の支配下に入った隼人の有力氏族はどうなったのか? 史料が乏しく、よくわかっていない。 なお、大隅の反乱(720年)以降に名が見える隼人の有力者としては、曾君多理志佐(そのきみたりしさ、か)がいる。天平12年(740年)…
薩摩国・大隅国の歴史を、古代から平安期にかけてざっくりと書いてみる。南九州における平安時代以前の史料はあまりない。断片的にしかわからないが、そこにはいろいろなヒントがあると思う。 隼人が住んでいた 薩摩国の設置 大隅隼人の反乱 班田収授法、な…
現在の鹿児島県にあたる薩摩国・大隅国は、島津氏が治めていた。その期間は、12世紀末から1871年の廃藩置県まで。鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府……と、武家政権の時代のすべてである。 島津氏は惟宗忠久(これむねのただひさ)より始まる。この人物が「島津」…