ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

江戸時代

鹿児島中央駅前の「若き薩摩の群像」、海を渡った19人のサムライ

「若き薩摩の群像」はJR鹿児島中央駅前の広場にある。 「若き薩摩の群像」 19人の像が並べられている。彼らは何なのかというと、慶応元年(1865年)に薩摩藩がイギリスに派遣した一団だ。「薩摩藩遣英使節団」と呼ばれている。外交使節3名と通訳1名、留学生1…

近世における島津氏の分家、江戸時代の「〇〇島津家」いろいろ

17世紀以降の島津氏の分家についてまとめてみた。 島津氏にはもともと分家が多い。鎌倉時代から続く歴史の長さに加え、子沢山な当主も多かったりする。そんなわけで、一族の枝葉をいっぱいに広げる。中世から続く家柄もあり、江戸時代に立てられた分家もあり…

西郷隆盛蘇生の家、鹿児島湾に入水するも助けられる

鹿児島湾岸の国道10号沿いに茅葺屋根の民家がある。江戸時代末期のものが復元されている。ここは「西郷隆盛蘇生の家」と呼ばれている。 国道から線路を挟んで茅葺屋根が見える 安政5年(1858年)、冬の鹿児島湾に西郷吉之助(当時の諱は西郷隆永、のちに西郷…

出水麓の「税所邸」、抜け穴があったり隠し部屋があったり

江戸時代の鹿児島藩(薩摩藩)では、外城制という地方統治の仕組みがあった。各地に武士団を配置し、その集落を「外城(とじょう)」あるいは「麓(ふもと)」「郷(ごう)」と呼ばれた。 薩摩国の出水麓(いずみふもと、鹿児島県出水市麓町)は、外城の中で…

出水麓の「竹添邸」、薩摩の武士の暮らしを垣間見る

出水麓(いずみふもと、鹿児島県出水市麓町)は薩摩国の北部に位置する。ここは肥後国との国境が近いこともあって、精強な武士団が守っていた。 江戸時代の島津家は領内に「外城(とじょう)」を設けて地方統治の拠点とした。また、有事の防衛拠点でもあった…

出水麓歴史館で薩摩武士の気風に触れる、武家町散策はまずここから

鹿児島県出水市にある「出水麓武家屋敷群」にいってきた。個人的には、かなり久々の訪問である。たぶん10年ぶりくらいだろうか。まえに来たときとは、ちょっと変わっている。新しく「出水麓歴史館」というのが出来ていた。こちらは2017年にオープンしたとの…

西田橋と高麗橋と玉江橋、鹿児島の城下町の風情をつたえる

鹿児島市にある石橋記念公園・祇園之洲公園には、アーチの美しい石橋がある。これらは19世紀半ばにつくられたもので、もともとは甲突川(こうつきがわ)に架けられていた。上流から玉江橋(たまえばし)・新上橋(しんかんばし)・西田橋(にしだばし)・高…

祇園之洲砲台跡、大英帝国の艦隊と激しく撃ち合った!

文久3年(1863年)、薩摩藩(鹿児島藩)はイギリス艦隊と戦った。薩英戦争である。薩摩藩は領内に砲台場を整備していた。そのひとつが祇園之洲(ぎおんのす)の砲台場である。鹿児島市清水町にある。ここは激戦地となった。 現在、祇園之洲砲台跡は祇園之洲…