鹿児島県出水市にある「出水麓武家屋敷群」にいってきた。個人的には、かなり久々の訪問である。たぶん10年ぶりくらいだろうか。まえに来たときとは、ちょっと変わっている。新しく「出水麓歴史館」というのが出来ていた。こちらは2017年にオープンしたとのこと。
公開武家屋敷の見学もこちらへの入館とセットになっているようで、まずはここに入ることに。入館料は大人510円なり。で、この出水麓歴史館がかなり楽しめた!
薩摩藩最大規模の外城
江戸時代に島津氏が支配した薩摩国・大隅国・日向国南部には、外城制という地方統治の仕組みがあった。鹿児島藩(薩摩藩)は武士の割合がかなり大きい。じつに3割近くあったらしい。そんな事情もあって、領内各地に「外城(とじょう)」を置いて、武士を住まわせた。「麓(ふもと)」や「郷(ごう)」ともいう。外城に住む武士は「外城士(とじょうし)」「郷士(ごうし)」と呼ばれた。
平時において外城士(郷士)は農耕に従事する。だが、いざ戦いになれば、戦闘員としての役割を担った。町のつくりも戦闘時の守りを意識したものになっている。一国一城令のために城はないが、かつての山城跡にたてこもることも想定されていた。外城(麓、郷)のひとつひとつが防衛拠点であった。
出水麓は鹿児島藩(薩摩藩)で最大規模の外城(麓、郷)であった。ここは薩摩国の北辺にあたり、肥後国との国境が近い。それだけに堅固でなければならないのである。この地の武士団は島津家中でもっとも精強だったという。「出水兵児(いずみへこ)」とも呼ばれていた。
出水兵児の気風を作ったのは、17世紀初めに地頭となった山田有栄(やまだありなが、山田昌巌、しょうがん)だとされる。この人物は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに従軍し、島津義弘(しまづよしひろ)とともに生還した。戦場からの脱出劇および国許までの道中で、主君の窮地を何度も救った。名将である。
出水麓は17世紀初頭の武家町の雰囲気がよく残っている。武家屋敷もかなりの数が現存していて、今も住居として使われている。一帯は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。また、「薩摩の武士が生きた町 ~武家屋敷群「麓」を歩く~」のひとつとして、日本遺産にも認定されている。
出水麓のことがよくわる
観光用の駐車場があり、ここに車を停めて武家町を散策する。そして、出水麓歴史館は駐車場のすぐ横にある。
館内は撮影OKだ。ただしフラッシュは禁止。ブログでの記事公開についても許可をいただいた。
入ってすぐのところには、出水麓のジオラマがあった。これが素晴らしいデキ! 亀ヶ城跡の麓に広がる外城の様子がよくわかる。
さらに入る。やや広い空間に出る。弓を持ってうつ伏せになっている武士の模型に目がいく。「薩摩日置流(さつまへきりゅう)」弓術の「腰矢指矢(こしやさしや)」といものである。かがんで身を低くして射て、敵に向かって移動していく。実戦向けの射法だ。薩摩日置流は出水でいまも受け継がれているそうだ。
ちなみに、日置流は備前国岡山(現在の岡山市)から伝わったものである。関ヶ原の戦いのあとに、岡山領主の宇喜多秀家(うきたひでいえ)が島津氏を頼って薩摩国に落ちてきた。この事件と関わりがある。
島津家では宇喜多秀家を匿い、大隅国の牛根(うしね、鹿児島県垂水市牛根麓)に潜伏させた。その後、宇喜多秀家は徳川家に引き渡されるが、島津忠恒(しまづただつね、のちに島津家久と改名)は助命を求める。宇喜多秀家は八丈島に配流となった。
宇喜多秀家の薩摩落ちに随行した家臣に本郷義則(ほんごうよしのり)という人物がいた。この人物は薩摩国に残り、島津家に仕えた。日置流弓術を会得していたこともあり、藩主の島津忠恒(島津家久)の弓術師範も務めた。そして、薩摩日置流へとつながったという。
古文書や甲冑など、展示物はいろいろ。ガラスケース内の甲冑と旗指物は是枝林兵衛のもの。この人物は、出水野間(元ざおの出水市下鯖町)の関所で足止めされた高山彦九郎(たかやまひこくろう)と関わったという。
こんな展示もある。「外城パズル」だ。地図に外城のピースを置いていく。
鹿児島藩(薩摩藩)で愛好されていた「なんこ」という遊戯も体験可。2人で対戦する。お互いに棒を握り込んで(0本~3本)盤上の手を置き、合計本数を当てるというもの。そして、負けたほうは焼酎を1杯飲むことになっている。
触れて感じる甲冑の展示
何気なく置かれた、こちらの古びた甲冑一式。
下のほうにはこう書かれている。
寄贈氏の御意向により、こちらの鎧は触れることができます。実際に触れて鎧をご体感ください。
と。鎧の質感を確かめることができる。これはうれしい展示だ。その感触は、なんとも重厚な雰囲気だった。
袖の部分を持ってみる。鎖帷子になっている。ここだけでもかなり重い。
これを着て戦場を走り回ったり、城を攻めたりするのは、おそろしく体力を消耗したことだろう。
入館証は年末まで有効
ちなみに入館証は缶バッジ。公開武家屋敷を見学する際にも、こちらを見せて入場する。有効期間はその年の年末まで。2022年12月半ばに訪れたたところ、2022年と2023年の缶バッジをもらえた。ちょっとお得な感じ。
このあと缶バッジを持って公開武家屋敷へ向かう。つづきは別の記事にて。