ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧

『三国名勝図会』(編/橋口兼古・五代秀堯・橋口兼柄・五代友古) 南九州の歴史を知りたければ、ひとまずこの書に訊ねるべし!

当ブログはおもに南九州の歴史をテーマにしているが、参考にすることが多いのが『三国名勝図会(さんごくめいしょうずえ)』である(実際の表記は『三國名勝圖會』)。鹿児島藩(薩摩藩)が編纂させた地理誌で、天保14年12月(1844年1月)に発行された。 明…

知覧の亀甲城跡にのぼってみた、豊玉姫の伝説も残る

鹿児島県南九州市知覧の中心地は、多くの観光客が訪れる場所である。知覧麓(ちらんふもと)の武家屋敷群は江戸時代の雰囲気をよく残す。この一帯は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、武家町にある庭園群は国の名勝にも指定されている。その武家屋…

『関ヶ原 島津退き口 敵中突破三〇〇里』(著/桐野作人)、島津義弘の撤退戦の実像

関ヶ原から長い長い道のり 慶長5年9月15日(1600年10月21日)、美濃国関ヶ原(せきがはら、現在の岐阜県不破郡関ケ原町)で徳川家康が率いる「東軍」と、石田三成らを中心に結成された「西軍」がぶつかった。双方あわせて20万もの兵がひしめき合う大合戦とな…

鎌倉殿に仕えた島津忠久、薩摩島津氏のはじまり

12世紀末、惟宗忠久(これむねのただひさ)は源頼朝より薩摩国・大隅国・日向国(現在の鹿児島県・宮崎県)に所領を与えられた。そして、島津荘(しまずのしょう)という広大な荘園の惣地頭に補任されたことにちなみ、「島津忠久」と名乗るようになった。こ…

『北条義時』(著/岩田慎平)、ひょんなことから最高権力者に

武家政権の始まりのゴタゴタを勝ち抜く 2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が楽しみなのである。主人公は北条義時(ほうじょうよしとき)だ。 鎌倉幕府というのは変則的な政権である。いちばん偉いのは「鎌倉殿(かまくらどの)」と称される将軍なのだが…

戦国時代の南九州、激動の16世紀(7)大隅合戦、島津義久と島津義弘と島津歳久の初陣

天文21年(1552年)、島津貴久(しまづたかひさ)は任官がなり、幕府からも正式に守護と認められた。だが、領内はまだまだ安定しない。一度は帰順した西大隅の国人たちが、再び叛旗をひるがえすのである。 rekishikomugae.net 島津実久の死 加治木の動乱、再…