ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

2024-01-01から1年間の記事一覧

花尾神社【後編】 丹後局の墓/丹後局御荼毘所/丹後局御腰掛石

花尾神社(はなおじんじゃ)の記事の続きである。旧称は花尾権現社。鹿児島市花尾町に鎮座し、源頼朝・丹後局(たんごのつぼね)・永金(ようきん)を祭る。丹後局は島津忠久(しまづただひさ、島津氏初代)の母とされる人物だ。また、島津忠久は源頼朝の庶…

花尾神社【前編】 源頼朝と丹後局を祭る、島津家ゆかりの地

花尾神社(はなおじんじゃ)は、鹿児島市花尾町に鎮座する。旧称は「花尾権現社」「花尾大権現社」。この地は、薩摩国満家院(みつえいん)の厚地(厚智、あつち)というところであった。 御祭神は源頼朝と丹後局(たんごのつぼね)。従祀神に永金(ようきん…

龍門瀑布(龍門滝)、『三国名勝図会』より

龍門滝(りゅうもんのたき/りゅうもんだき)というのが、鹿児島県姶良市加治木にある。大きな滝で、けっこう遠くからも見える。高速道路(九州自動車道)を走っていると、加治木インターチェンジ近くで見ることができる。 昔から名瀑として知られていたよう…

鹿児島中央駅前の「若き薩摩の群像」、海を渡った19人のサムライ

「若き薩摩の群像」はJR鹿児島中央駅前の広場にある。 「若き薩摩の群像」 19人の像が並べられている。彼らは何なのかというと、慶応元年(1865年)に薩摩藩がイギリスに派遣した一団だ。「薩摩藩遣英使節団」と呼ばれている。外交使節3名と通訳1名、留学生1…

鹿児島縣護國神社、幕末・維新の薩摩藩の殉難者を祀ったのがはじまり

鹿児島縣護國神社は鹿児島市草牟田に鎮座する。護国神社は全国にあり、英霊(国家のために殉難した人の霊)を祀る。鹿児島縣護國神社は鹿児島県出身の英霊が7万7000余柱を御祭神とし、郷土の守り神として崇敬されている。 明治天皇の思し召しがあり、島津忠…

島津豊久(島津忠豊)の戦績、関ヶ原に散った猛将

島津豊久(しまづとよひさ)は16世紀末に活躍した人物である。漫画の主人公にもなったりして、知名度もそこそこあるんじゃないだろうか。島津豊久の戦績を追ってみると、その戦場はおそろしく厳しいものばかりなのだ。 串木野城で誕生、父は島津家久 弟と姉…

幸加木神社、北条泰家は薩摩に逃げた?

「こんなところがあるのか!」と、市街地から車で5分ほどの場所に。幸加木神社(こうかきじんじゃ)を参詣した。鎮座地は鹿児島市小野の山中。 御由緒 せせらぎの音を聞きながら 木村探元の墓 御由緒 『三国名勝図会』によると、かつては「高加木権現廟」と…

薩摩の渋谷一族、入来院氏/祁答院氏/東郷氏/高城氏/鶴田氏

中世の薩摩国では、渋谷(しぶや)氏が大きな力を持っていた。島津氏と手を組んだり、あるいは対立したり。戦国時代には渋谷一族の入来院(いりきいん)氏・祁答院(けどういん)氏・東郷(とうごう)氏が島津貴久(しまづたかひさ)に抵抗した。 渋谷一族の…

『南国白くま』(セイカ食品)、鹿児島の夏の定番!

夏に食べたいもの。それは、かき氷である。酷暑で熱の溜まった体を、内側から冷やしてくれるのだ。 で、よく食べるのがコレ。セイカ食品株式会社の『南国白くま』だ。鹿児島県ではスーパーなど売っているところは多い。夏の定番である。 パッケージデザイン…

種子島氏、中世から続く南島の領主

種子島(たねがしま)は鹿児島県にある島だ。大隅半島の南のほうに浮かぶ。鹿児島港から高速船で1時間半くらい、フェリーで3時間半くらいで行き来できる。大きな島で、南北の長さは57㎞ほど。ちなみに島の北部の西之表港から南端までは車で1時間以上かかる。…

「姶良」という地名について

鹿児島県に「姶良(あいら)」という地名がある。 鹿児島湾の奥のほうには「姶良市」がある。「姶良郡」もある。現在の霧島市の一帯ももとは姶良郡だ。桜島の北側の湾は「姶良カルデラ」と呼ばれていたりもする。「姶良というと、あのあたりだな」と認識して…

馬頃尾の田の神/鹿児島県薩摩川内市祁答院町下手

祁答院(けどういん)の大村(おおむら)に馬頃尾(まころべ)というところがある。山あいに田んぼが広がる、いい感じの田舎の風景である。この地を見守るタノカンサァ(田の神)を二つ紹介する。 タノカンサァ(田の神)は農業の神であり、子孫繁栄の神であ…

大隅国蒲生の松坂城跡にのぼる、大隅合戦の激戦地

16世紀半ばに、島津貴久(しまづたかひさ)は大隅国蒲生(かもう)を攻めた。この一帯での戦いは「大隅合戦」と呼ばれる。その中で激戦地となったのが松坂城(まつざかじょう)である。場所は鹿児島県姶良市蒲生町米丸。 松坂城跡は城域の一部を歩くことがで…

長照山梁月寺跡(平佐北郷家墓地)、北郷三久と平佐北郷家

鹿児島県薩摩川内市の平佐(ひらさ)に、長照山梁月寺跡がある。平佐北郷家(ひらさほんごうけ)の菩提寺である。寺院跡には墓地があり、平佐北郷家の歴代当主の墓が並ぶ。 北郷氏は島津氏の一族で、中世から日向国庄内(しょうない、宮崎県都城市のあたり)…

近世における島津氏の分家、江戸時代の「〇〇島津家」いろいろ

17世紀以降の島津氏の分家についてまとめてみた。 島津氏にはもともと分家が多い。鎌倉時代から続く歴史の長さに加え、子沢山な当主も多かったりする。そんなわけで、一族の枝葉をいっぱいに広げる。中世から続く家柄もあり、江戸時代に立てられた分家もあり…

高牧の田の神、ペロっと舌を出す/鹿児島県姶良市蒲生町久末

のどかな山間の集落である。鹿児島県姶良市の蒲生(かもう)に「高牧(たかまき)」というところがある。そこに面白い雰囲気のタノカサァ(田の神)がいた。「高牧の田の神」と呼ばれている。「ベロ出し田の神さぁ」とも呼ばれる。 タノカンサァ(田の神)は…

永田の田の神、顔はどうしたの?/鹿児島市東谷山

鹿児島市の南のほうの谷山(たにやま)には、タノカンサァ(田の神)が多い。JR谷山駅の周辺を歩いていると、けっこうな数に出くわすのだ。そのうちの一つを紹介する。 タノカンサァ(田の神)の像は、鹿児島県内に大量にある。18世紀頃から島津氏領内で大量…

戦国時代の伊集院一族、島津貴久・島津義久の勢力拡大を支える

戦国時代の島津氏の配下には、伊集院(いじゅういん)氏が多い。 島津貴久(しまづたかひさ)が分家から覇権をとって薩摩国を平定する。子の島津義久の代になると大隅国・日向国を制圧し、さらに九州全域へと勢力を広げていく。そして、島津氏は豊臣政権下に…

串木野の照島神社、海の守り神だけど、じつは山の神を祭る?

照島神社(てるしまじんじゃ)は、鹿児島県いちき串木野市西島平町に鎮座する。 串木野は薩摩半島の西側に位置し、東シナ海に面している。「串木野港」という大きな港がある。ここは遠洋漁業の基地でもある。その串木野港のやや南に「島平港(しまびらこう)…

中古のテレビを購入

テレビが壊れた。13年くらい使っていたので、たぶん寿命であろう。テレビをそんなに見るわけでもないが、なきゃないでけっこう困る。 で、買い替えをすることに。……とはいうものの、かなりの金欠なのである。とくに春先は出ていくお金も多いのだ。家計にまっ…

入来浦之名の諏訪神社、山深くに並立鳥居、そこは古代の聖域か?

鹿児島県薩摩川内市の入来(いりき)の浦之名(うらのみょう)の諏訪神社を参詣した。鎮座地は山の奥深く。なんとも聖地っぽい雰囲気だった。 諏訪神社は鹿児島県内に多い。明治時代に南方神社(みなかたじんじゃ)と改称したところもある。 鹿児島県内の諏…

木津志の城野神社、祭られているのは源為朝の奥方と伝わる

城野神社(じょうのじんじゃ)は、鹿児島県姶良市木津志に鎮座する。木津志(きづし)というところは、なかなかの山奥である。鎮座地は「隠れ里」という言葉がしっくりくるような雰囲気だ。 城野神社の参道口 御祭神は浄之御前(じょうのごぜん)。源為朝(…

【ゲーム】『真田十勇士』(ファミコン)、最善の策は話し合うこと

1980年代後半、家庭用ゲームではRPG(ロールプレイングゲーム)が人気ジャンルになっていた。そんな中で、ファミリーコンピュータ(ファミコン)向けに『真田十勇士』なる作品も発売された。 真田幸村(真田信繁)と10人の部下たちが徳川家康の打倒を目指す…

木津志の田の神/鹿児島県姶良市木津志

けっこう大きなタノカンサァ(田の神)だ。高さは台座を含めると117㎝。像だけでも96㎝。幅も60㎝くらいある。 鹿児島県姶良市の山間のほうに木津志(きづし)というところがある。そこで見つけたタノカンサァだ。「木津志の田の神」と呼ばれている。城野神…

川内の泰平寺、豊臣秀吉と島津義久が顔をあわせたところ

医王山正智院泰平寺(たいへいじ)は鹿児島県薩摩川内市大小路町にある。かつての薩摩国の高城郡(たきのこおり)の水引郷(みずひきごう)のうち。 天正15年(1587年)、豊臣秀吉は島津氏を攻める。大軍勢を率いて薩摩国に入り、陣を置いた場所は泰平寺であ…

『古事記』は、むかしからある岩波文庫版がいいと思う

日本国内の物事を深く理解するためのヒントが、『古事記』にはたくさん詰まっている。 例えば、神社へお詣りすると、そこには神様が祭られている。「どんな神様なんだろう?」と思う。また、神話が絡んだ史跡であったり、地名であったり、といったものにも出…

牧園町中津川の伊邪那岐神社、もともとは妙見神社だった

霧島連山の南麓に中津川(なかつがわ)というところがある。ここを車で通った際に神社を見つけた。なんとなく気になる存在だな……と寄ってみることにした。 伊邪那岐神社(いざなぎじんじゃ)という。鎮座地は鹿児島県霧島市牧園町下中津川。かつての大隅国の…

薩摩国分寺跡、薩摩の国府は川内にあった、「万葉の散歩道」には大伴家持も

薩摩国の設置は、『続日本紀』によると大宝2年(702年)のこととされる。国府が置かれたの薩摩半島西部の川内(せんだい)であった。川内には薩摩国分寺跡がある。国の史跡にも指定。「薩摩国分寺跡史跡公園」として整備されている。場所は鹿児島県薩摩川内…

天辰寺前古墳、被葬者は身分の高い女性、サツマの女王か?

薩摩半島の西側に川内(せんだい)というところがある。ここに天辰寺前古墳(あまたつてらまえこふん)がある。場所は鹿児島県薩摩川内市天辰町。 この古墳は2008年6月に発見された。区画整理工事の中で大きな石がでてきて、動かすと空洞になっていたという…

大隅国吉田の源為朝伝説、下坊上山の五輪塔はその墓!?

鹿児島市本城町は、かつての大隅国吉田(よしだ)のうち。ここに「下坊上山の五輪塔」と呼ばれるものがある。ちなみに「しもんぼううえやま」と読む。 山の中に五輪塔が2基。『三国名勝図会』によると、次のような伝承があるという。 本城村、下之坊阿彌陀薬…