大隅国の一之宮の鹿児島神宮(かごしまじんぐう)にタノカンサァ(田の神)がいる。御神田を見守るように立っている。「宮内の田の神」とも呼ばれている。
タノカンサァ(田の神)は五穀豊穣や子孫繁栄の神様である。鹿児島県と宮崎県ではあちこちで見ることができる。詳しくは、こちらの記事にて。
鹿児島神宮の参道の向かって左のほうへ行くと、御神田がある。9月の訪問で、稲穂が重みを増しつつある感じだった。
鹿児島神宮は彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)・豊玉比売命(トヨタマヒメノミコト)を主祭神とする。皇室につながる日向神話の神であり、稲穂とも関わりがある。また、「大隅正八幡宮(おおすみしょうはちまんぐう)」とも呼ばれる。八幡信仰も重ねられている。
鹿児島神宮については、こちらの記事にて。
御神田の端のほうに、こんな標柱がある。「県指定有形民俗文化財 宮内の田の神」とある。こちらを奥に行く。
タノカンサァ(田の神)が現れた。田の神舞(たのかんめ)の姿をかたどったものである。頭に大きなシキ(米を蒸す道具)をかぶり、右手には大きめのメシゲ(しゃもじ)を持ち、左手にはメシ椀を抱えている。今にも踊り出しそうな、躍動感のある姿だ。
顔はこんな感じ。翁面をつけているっぽい。
視線の先には御神田がる。背中には「奉寄進 天明元辛丑天九月吉日 正八幡 沢五納右衛門」も文字が彫られている。天明元年(1781年)の奉納されたものだ。沢五納右衛門という人物についてはよくわからず。ちなみに沢(さわ)氏は大隅正八幡宮の社家の一つとして名が見える。沢五納右衛門はこちらの一族だろうか。
タノカンサァが奉納された経緯はわからない。安永8年(1779年)に桜島が大噴火を起こしていて、天明元年においても活動が続いている。この時期は米が不作であった可能性が高い。全国的にも凶作で、「天明の大飢饉」に差しかかる時期でもある。このあたりのことも影響しているのかもしれない。
御神田では旧暦5月5日(現在はその日に近い日曜日)に御田植神事が催される。この日はタノカンサァの前に祭壇が設けられる。ここで田の神舞が奉納されたあと、新田に苗が植えられる。