山田川が蛇行するように流れている。そこには田んぼが広がっている。そんな風景を、タノカンサァ(田の神)が見守っている。「中川原の田の神」と呼ばれている。
場所は鹿児島県姶良市下名。「山田(やまだ)」と呼ばれている地区である。中川原自治公民館の横にちょっとした広場があり、そこにタノカンサァ(田の神)が祀られている。
何やら石像がふたつ。供えられている榊は新しく、水もたっぷり入っている。この日の朝に地域の方が供えたものだろう。
榊をちょっと動かして、タノカンサァ(田の神)の姿を撮影させてもらう。石像には御幣も添えられていた。写真左がタノカンサァ(田の神)、右の石像はよくわからない。
タノカンサァ(田の神)は、鹿児島県内あちこちで出会える。田の神像は島津氏領内(鹿児島県全域と宮崎県の一部)だけで見られる。18世紀初め頃から盛んに造られるようなったようである。豊穣の神、子孫繁栄の神として地域ごとに大事にされてきた。
タノカンサァ(田の神)の詳細については、こちらの記事にて。
なんだかユーモラスな雰囲気。右手にはメシゲ(しゃもじ)を持ち、左手は頭に。笠の中に手を入れ込むような感じで頭を触っている仕草が面白い。顔と腕は白塗り。服の部分も赤い彩色がされていた痕跡が確認できる。高さは約90㎝。
最近、化粧直しがされたのだろうか? 像の顔は欠けているところも多いが、表情は描き込んで補完しているような感じだ。
後ろから見るとこんな感じ。自然石の一部を彫り込んで造られている。
『姶良市田の神ガイドマップ』(姶良市発行)によると、天明元年(1781年)に造立されたものだそうだ。
安永8年(1779年)に桜島が大噴火を起こしている(安永噴火)。天明元年にも大きな噴火があり、火山活動はその後しばらく活発だったようだ。この像が造られた頃は、不作が続いていたと思われる。
もう一つの像も見てみる。こちらも顔に化粧がほどこされている。石全体の高さは65㎝ほどで、像はその下半分にある。
この像が何かはわからず。宝剣を手にしている姿は、馬頭観音のようにも見えるし、青面金剛のようにも見える。あるいは、これも田の神である可能性もなくはない。田の神像の姿はいろいろあり、武神像のような姿をしたものもあったりするのだ。また、廃された寺院の石仏や神像を、田の神に転用する場合もある。
紀年銘のところが欠けているが、たぶん「寛延」と彫られている。「未(ひつじ)」の文字も確認できる。寛延4年(1751年)が辛未(かのとひつじ)なので、この年であろう。
中川原のすぐ隣の地区は「大山」という。こちらにも2体のタノカンサァ(田の神)がいる。で、大山のタノカンサァの制作年が天明元年(1781年)と寛延4年(1751年)。中川原の2体の像と制作年が重なる。ただの偶然かな?