ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

神社・寺院

鹿児島の荒田八幡宮、大隅正八幡宮領荒田荘の鎮守

荒田八幡宮(あらたはちまんぐう)は鹿児島市下荒田に鎮座する。このあたりはかつての薩摩国鹿児島郡荒田村のうち。この荒田村には「荒田荘」という荘園があった。 建久8年(1197年)の『薩摩国図田帳』には「大隅正八幡宮御領二百二十五町内」の「一円御領…

曽木の荒瀬神社(悪瀬大明神社)、むかしむかし川内川を流れてきた

国道267号沿い川内川のやや南のあたりに鳥居が見えた。そこは荒瀬神社(あらせじんじゃ)という。鎮座地は鹿児島県伊佐市大口曽木。御祭神は豊玉比賣命(トヨタマヒメノミコト)・豊玉比古命(トヨタマヒコノミコト)。 静かな森の中に 川内川を流れてきて …

川合陵神社、アメノホアカリノミコト(天火明命)の御陵と伝わる

川合陵神社(かわあいのみささぎじんじゃ)は鹿児島県薩摩川内市五代町に鎮座する。御陵殿(みささぎどん)とも呼ばれる。創建年代は不明。御祭神は天火明命(アメノホアカリノミコト)。そして、その御陵とされる川合陵(かわあいのみささぎ)があるとも。 …

端陵は亀の頭に、中陵は亀の首に、新田神社(可愛山陵)のある神亀山に

端陵(はしのみささぎ)と中陵(なかのみささぎ)は、鹿児島県薩摩川内市宮内町の神亀山にある。すごく気になる存在である。 神亀山の山頂は、可愛山陵(えのみささぎ)に治定されている。可愛山陵はニニギノミコト(瓊瓊杵尊/邇邇芸尊)の御陵とされ、神亀…

可愛山陵は神亀山に、ニニギノミコトが眠るという

可愛山陵(えのみささぎ)は鹿児島県薩摩川内市宮内町にある。ニニギノミコトの陵墓とされ、川内川沿いの神亀山が治定地となっている。神亀山には新田神社が鎮座する。山頂に社殿があり、本殿の裏手に可愛山陵は位置している。 神亀山 新田神社の本殿の背後…

薩摩の新田神社、ニニギノミコトの伝説の地

新田神社(にったじんじゃ)は鹿児島県薩摩川内市宮内町に鎮座する。 御祭神は本祀に天津日高彦火瓊瓊杵尊(アマツヒダカヒコホノニニギノミコト)、配祀に天照皇大御神(アマテラススメオオミカミ)と正哉吾勝々速日天忍穂耳尊(マサカアカツカチハヤヒノア…

敷根の剱神社、もとは宇豆峯の剱巌を祀る、熊襲征伐の伝説も

剱神社(つるぎじんじゃ)は、鹿児島県霧島市国分敷根に鎮座する。熊襲征伐の伝承もあったりして、なんとなく気になる場所である。 剱神社 剱神社の御由緒 島津義久が再興 松が茂る境内 剱神社の御由緒 御祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と 天児屋根…

樋脇の玉淵寺跡・長谷神社跡、島津家久(島津忠恒)を祀る

長谷神社(はせじんじゃ)は鹿児島県薩摩川内市樋脇町塔之原に鎮座。薩摩藩初代藩主の島津家久(いえひさ、島津忠恒、ただつね)を祀る。もともとは玉淵寺(ぎょくえんじ)という寺院があり、その跡地に神社が創建された。 なお、長谷神社は2022年に近くの一…

志布志原田の森神社、物部守屋は南九州まで逃げてきた!?

森神社(もりじんじゃ)は鹿児島県志布志市有明町原田に鎮座する。小さな神社なのだが、なんだか気になる存在だ。御祭神は用明天皇。そして物部守屋(もののべのもりや)が創建したとも。なぜ、こんなところに? と不思議な感じがするのである。 森神社へ 物…

喜入の宮坂神社(正一位三百餘社大明神社)

鹿児島市喜入町に「宮地(みやじ)」というところがある。地名は神社に由来するものだろう。この地には宮坂神社(みやさかじんじゃ)が鎮座する。 喜入季久が創建、肝付氏も崇敬 参詣する 主馬首一平安代の銘刀 喜入季久が創建、肝付氏も崇敬 旧称は「正一位…

木ノ氏の飛諏訪神社、陣中に飛んできた鎌を新納忠元が祭る

飛諏訪神社(とびすわじんじゃ)は薩摩国木ノ氏(きのうじ、鹿児島県伊佐市大口木ノ氏)に鎮座する。 由緒が面白い。 新納忠元(にいろただもと)が敵方と対陣しているとき、陣中にどこからともなく鎌が飛んできたという。この出来事を吉兆だと新納忠元は喜…

大口里の諏訪神社(長峯諏訪社)、大口城の南の丘の上に鎮座

鹿児島県伊佐市は、諏訪神社がやたらとある。Googleマップで調べたところ、伊佐市内の諏訪神社は10社確認できる。また、南方神社(明治時代に諏訪神社から改称)も5社が見つかる。 大口里の諏訪神社は、大口の諏訪神社の中でもっとも規模が大きいと思われる…

月野の太田神社、こんなところにオオタタネコ

太田神社(おおたじんじゃ)は鹿児島県曽於市大隅町月野に鎮座する。御祭神は太田田根子命(オオタタネコノミコト)。月野はかつての日向国救仁院(くにいん、志布志、しぶし)のうちで、大隅国との国境の地でもある。 オオタタネコを祭る神社が、なんでここ…

上之原の原五社神社、安永大噴火で桜島の黒神から、移住者が故郷を思う

鹿児島市の吉野に上之原(かみのはら)というところがある。吉野台地の端のほうにあたり、鹿児島湾と桜島をのぞむ。この地に原五社神社(はらごしゃじんじゃ)が鎮座する。桜島の大噴火と深いかかわりを持つ神社だ。 安永大噴火、黒神からの移住者 地域の守…

薩摩羽月の白木神社(白木観音堂)、茅葺の社殿は中世の建築様式を伝える

白木神社(しらきじんじゃ)は鹿児島県伊佐市大口白木に鎮座する。かつての薩摩国牛屎院(うしくそいん)の羽月(はつき)のうち。国道447号沿いで看板が目に入る。まえまえから寄ってみたいと思っていた場所だ。 看板のあるところから脇道に入る。こちらの…

鹿児島吉野の「実方」、桐野利秋と別府晋介の故郷

鹿児島市の北部は吉野(よしの)と呼ばれる。かつての薩摩国鹿児島郡の吉野村にあたる。吉野の南のほうにある「実方(さねかた)」に立ち寄ってみた。 吉野はシラス台地の上にある。「吉野台地」「吉野原(よしのばる)」とも呼ばれる。鹿児島の平野部から、…

谷山の如意山清泉寺跡、島津大和守久章の大きな五輪塔がある

薩摩国谿山郡福本に如意山清泉寺(にょいざんせいせんじ)はあった。現在の鹿児島市下福元町のうち。古い寺院であったとされ、岸壁には摩崖仏がある。明治の初めに廃寺となり、寺院の遺構が残っている。 そして、寺院跡には大きな五輪塔も。この地で討たれた…

玉池山日新院跡(竹田神社)、肝付高山に島津忠良を祀る

鹿児島県肝属郡肝付町前田に、竹田神社(たけだじんじゃ)が鎮座する。この地はかつのての大隅国の高山(こうやま)のうちで、肝付(きもつき)氏の本拠地の高山城からも近い。 御祭神は島津忠良朝臣(しまづただよしあそん)。もともとは玉池山日新院という…

母智丘神社にのぼる、山頂には巨石群

母智丘神社(もちおじんじゃ)は宮崎県都城市横市町に鎮座する。「母智丘」と呼ばれる山があり、その周辺は母智丘公園として整備されている。 三島通庸が大改修 長い石段をのぼって 碑名のない記念碑 三島通庸が大改修 御祭神を豊受毘賣神(トヨウケヒメノカ…

市来川上の諏訪神社、石段をのぼると並立鳥居があらわれた

鹿児島県内には諏訪神社(すわじんじゃ)がやたらとある。南方神社(みなかたじんじゃ)と改称したところもある。というわけで、行った先々で諏訪神社(南方神社)と出くわすのである。 そしてお詣りすると、強烈な雰囲気であることが多いように思う。鹿児島…

肝付の柏尾山道隆寺跡、蘭渓道隆の開山とされる

柏尾山道隆寺(はくびさんどうりゅうじ)は大隅国肝属郡高山の新富(鹿児島県肝属郡肝付町新富)にあった。場所は高山城(こうやまじょう)跡の近く。雑木林の中に石塔類が残っている。 寛元4年(1246年)に蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が開山したとされ…

塚崎の大楠(大塚神社)、巨木は塚崎古墳群1号墳の上に

「塚崎の大楠(塚崎のクス)」というのが、鹿児島県肝属郡肝付町野崎の塚崎(つかざき)にある。推定樹齢は1300年ほど。国の天然記念物にも指定されている。 巨木がそびえる場所は、なんと古墳の上。塚崎古墳群(つかざきこふんぐん)の1号墳に根付いている…

御社神社(五社大明神)、猫の神社? そして肝付氏にふりかかった祟りとは?

御社神社(ごしゃじんじゃ)は鹿児島県肝属郡肝付町新富に鎮座する。もともとは「五社大明神(ごしゃだいみょうじん)」「五社宮」と呼ばれていた。 猫の神社? 討たれた叛逆者とその家族を祀る 「祟り」で何があった? なお、記事中の日付は旧暦にて記す。 …

大姶良の新八幡宮(八幡神社)、島津元久の産土神

鹿児島県鹿屋市に「大姶良(おおあいら)」というところがある。島津氏の7代当主に数えられる島津元久(しまづもとひさ)は、貞治2年・正平18年(1363年)にこの地で生まれた。大姶良に鎮座する新八幡宮(八幡神社)は島津元久の産土神。こちらを参詣した。 …

肝付宮下の桜迫神社(西洲宮跡)、ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトと神武天皇の伝承地

桜迫神社(さくらざこじんじゃ)は鹿児島県肝属郡肝付町の宮下(みやげ)に鎮座する。ここは西洲宮(にしくにのみや)の伝承地である。西洲宮はヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト(『日本書紀』では「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊」/『古事記』では「天津…

薩摩国大口の西原八幡宮、島津氏羽州家の悲劇を弔う

西原八幡宮(にしばるはちまんぐう)は、鹿児島県伊佐市大口目丸に鎮座する。かつての薩摩国牛屎院(うしくそいん)の大口(おおくち)のうち。現在は西原八幡神社とも称する。御祭神は島津出羽守忠明(シマヅデワノカミタダアキ)である。 16世紀初めにこの…

宇宿の天之御中主神社(妙見廟/妙見神社)、島津忠久が勧請した武神

鹿児島市宇宿に天之御中主神社(あめのみなかぬしじんじゃ)が鎮座する。別称に妙見神社(みょうけんじんじゃ)とも。古くは妙見廟とも呼ばれていた。 このあたりはかつての薩摩国谿山郡宇宿のうち。『三国名勝図会』巻之十九で「妙見廟」について書かれてい…

「正宮山植杉記」碑、鹿児島神宮の杉林の由緒を伝える、日秀上人の伝説も

「正宮山植杉記」碑というのが、鹿児島神宮の境内の杉林にある。 鹿児島神宮は鹿児島県霧島市隼人町内に鎮座。旧称は「鹿児島神社」。八幡信仰も重ねられて「大隅正八幡宮」とも称した。 鹿児島神宮の社殿の裏には、末社の稲荷神社へと続く参道がある。こち…

花尾神社【後編】 丹後局の墓/丹後局御荼毘所/丹後局御腰掛石

花尾神社(はなおじんじゃ)の記事の続きである。旧称は花尾権現社。鹿児島市花尾町に鎮座し、源頼朝・丹後局(たんごのつぼね)・永金(ようきん)を祭る。丹後局は島津忠久(しまづただひさ、島津氏初代)の母とされる人物だ。また、島津忠久は源頼朝の庶…

花尾神社【前編】 源頼朝と丹後局を祭る、島津家ゆかりの地

花尾神社(はなおじんじゃ)は、鹿児島市花尾町に鎮座する。旧称は「花尾権現社」「花尾大権現社」。この地は、薩摩国満家院(みつえいん)の厚地(厚智、あつち)というところであった。 御祭神は源頼朝と丹後局(たんごのつぼね)。従祀神に永金(ようきん…