ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

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木ノ氏の飛諏訪神社、陣中に飛んできた鎌を新納忠元が祭る

飛諏訪神社(とびすわじんじゃ)は薩摩国木ノ氏(きのうじ、鹿児島県伊佐市大口木ノ氏)に鎮座する。

 

由緒が面白い。

新納忠元(にいろただもと)が敵方と対陣しているとき、陣中にどこからともなく鎌が飛んできたという。この出来事を吉兆だと新納忠元は喜んだ、諏訪神の加護がある、と。その鎌を御神体として祭祀したのが飛諏訪神社の始まりとされる。

なお、記事中の日付は旧暦にて記す。

 

 

 

島津氏の大口攻め

永禄10年(1567年)、島津貴久(しまづたかひさ)は菱刈氏を攻める。菱刈氏は大隅国菱刈郡や薩摩国伊佐郡大口を領していた。現在の伊佐市の一帯にあたる。菱刈氏は肥後国の相良氏と手を組み、島津氏と対決姿勢を見せていた。

島津方が菱刈の馬越城(まごしじょう、伊佐市菱刈前目)を落とすと、菱刈氏はすべての城を放棄。そして、相良氏が領する大口城(伊佐市大口里)に合流する。相良氏・菱刈氏の軍勢は大口城にたてこもって抗戦。島津方は攻めあぐねて攻城戦は長期化した。

島津方は菱刈氏から奪った城に家臣を配置して展開する。新納忠元は永禄11年(1568年)1月より市山城(いちやまじょう、伊佐市菱刈市山)を任されている。

永禄12年(1569年)9月2日に大口城が開城。相良氏・菱刈氏の和睦が成り、この地を島津氏が押さえることになる。そして、大口城は新納忠元に任されることになった。

 

大口の戦いについては、こちらの記事にて。

rekishikomugae.net

 

新納氏については、こちらの記事にて。

rekishikomugae.net

 

 

大口城下から木ノ氏へ

「陣中に飛んできた鎌」の伝説については、市山城主になって以降のこととも。新納忠元は大口地頭に任じられたあと、鎌を大口城近くの長峯諏訪社(大口里の諏訪神社)に祭る。お堂を建てて「飛諏訪大明神社」とした。新納家の当主により祭祀が行われた。

 

長峯諏訪社については、こちらの記事にて。

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嘉永3年(1850年)に長峯諏訪社が火災で焼失。このときに飛諏訪神社も焼失してしまった。そして嘉永4年(1851年)に、現在地である木ノ氏に飛諏訪大明神社は遷された。なお、この地にはもともと諏訪神社(木ノ氏諏訪社)があった。合祀ということになる。それが現在の飛諏訪神社である。

 

なぜ木ノ氏なのか? ここは新納氏が島津家から拝領した土地だった。

新納忠元が大口地頭を任された際に、島津貴久は大口を所領として与えようとした。しかし、新納忠元は固辞し、大口は島津家の直轄領とされた。そのかわりに「木ノ氏を賜りたい」と新納忠元は申し出た。木ノ氏は水利の良くない悪地で、住民も貧しかったという。新納忠元は水路を整備し、開田事業を進めた。

 

 

飛諏訪神社を参詣

飛諏訪神社は大口城跡から北に3㎞ほどに位置する。国道267号沿いに「上木ノ氏2番口」という看板がある。そこから細い脇道に入っていくと、すぐに鳥居が見える。車は境内に停められる。

 

飛諏訪神社

参道口

 

鳥居は大正15年(1926年)に建てられたもの。

 

飛諏訪神社

鳥居をくぐって

飛諏訪神社

額に「飛諏訪神社」の文字

 

鳥居をくぐって正面に拝殿がある。境内には公民館も併設されている。御祭神は事代主命(コトシロヌシノミコト)・建御名方命(タケミナカタノミコト)。

 

飛諏訪神社

拝殿前

 

飛諏訪神社

拝殿はこんな感じ

 

飛諏訪神社

社殿を横から見る、奥に本殿

 

石灯籠や手水鉢には「丸に十」が二重になった紋がある。新納氏の家紋である。

 

飛諏訪神社

手水鉢

 

石灯籠

 

『木ノ氏郷土史』によると、境内に馬頭観音・大日如来・山神・保食神社(うけもちじんじゃ)なども祀るとのこと。

 

 

拝殿の向かって左のほうにお堂がある。『木ノ氏郷土史』では観音堂と説明されている。

 

飛諏訪神社

観音堂


新納家は木ノ氏山畑に馬頭観音を祀らせたという。飛諏訪神社のやや北のほうに「山畑」のバス停がある。たぶん、そっちのほうである。観音堂は大正初期に飛諏訪神社の境内の遷された。


お堂の中をのぞくと馬頭観音像が見えた。背には寛文11年辛亥(1671年)の銘があるらしい。ちなみに『木ノ氏郷土史』には「天文十一年辛亥(一六七一)」と記されているが、「天文」は「寛文」の誤記だと判断した。

 

飛諏訪神社

お堂の中に

 

 

小さな祠もあった。中には自然石の御神体がある。何かはわからず。山神か? 保食神社か?

 

何かの祠

 

飛諏訪神社

中には石がある

 

 

 

<参考資料>
『木ノ氏郷土史』
編/木ノ氏郷土史研究会 1978年

『伊佐市ふるさと散歩』
編/伊佐市郷土誌編さん委員会 発行:伊佐市教育委員会 2024年

『三国名勝図会』
編/橋口兼古・五代秀尭・橋口兼柄・五代友古 出版/山本盛秀 1905年

ほか