ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

2025-07-01から1ヶ月間の記事一覧

島津家久の上京日記【9】 六波羅蜜寺とか清水寺とか/天正3年4月22日~4月30日

島津家久(しまづいえひさ)は天正3年(1575年)4月に上洛し、京に滞在すること1ヶ月以上。その間に名所をかたっぱしから見てまわったようだ。そのことが『中務大輔家久公御上京日記』にも詳しく記されている。 前回の記事はこちら。 rekishikomugae.net 『…

喜入の宮坂神社(正一位三百餘社大明神社)

鹿児島市喜入町に「宮地(みやじ)」というところがある。地名は神社に由来するものだろう。この地には宮坂神社(みやさかじんじゃ)が鎮座する。 喜入季久が創建、肝付氏も崇敬 参詣する 主馬首一平安代の銘刀 喜入季久が創建、肝付氏も崇敬 旧称は「正一位…

木ノ氏の飛諏訪神社、陣中に飛んできた鎌を新納忠元が祭る

飛諏訪神社(とびすわじんじゃ)は薩摩国木ノ氏(きのうじ、鹿児島県伊佐市大口木ノ氏)に鎮座する。 由緒が面白い。 新納忠元(にいろただもと)が敵方と対陣しているとき、陣中にどこからともなく鎌が飛んできたという。この出来事を吉兆だと新納忠元は喜…

大口里の諏訪神社(長峯諏訪社)、大口城の南の丘の上に鎮座

鹿児島県伊佐市は、諏訪神社がやたらとある。Googleマップで調べたところ、伊佐市内の諏訪神社は10社確認できる。また、南方神社(明治時代に諏訪神社から改称)も5社が見つかる。 大口里の諏訪神社は、大口の諏訪神社の中でもっとも規模が大きいと思われる…