ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

鎌倉時代

大友能直って何者なの? 大友氏の出自をちょっと調べてみた

大友(おおとも)氏は豊後国・豊前国(現在の大分県)を拠点に九州北部に君臨した一族である。その歴史は、大友能直(おおともよしなお)がこの両国の守護に任じられたことに始まる。 大友氏の出自を調べていくと、気になることも出てくるのである。 大友能…

鎌倉殿に仕えた島津忠久、薩摩島津氏のはじまり

12世紀末、惟宗忠久(これむねのただひさ)は源頼朝より薩摩国・大隅国・日向国(現在の鹿児島県・宮崎県)に所領を与えられた。そして、島津荘(しまずのしょう)という広大な荘園の惣地頭に補任されたことにちなみ、「島津忠久」と名乗るようになった。こ…

南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(1) 倒幕と建武政権崩壊

鎌倉幕府の滅亡から南北朝時代へと移り変わっていく14世紀。ふたつの朝廷の対立を軸に、状況は二転三転する。その大まかな流れについては「鎌倉幕府滅亡から南北朝争乱へ」という記事を見てほしい。 戦乱は全国に広がり、九州もかなりの乱れっぷりであった。…

鎌倉幕府滅亡から南北朝争乱へ

14世紀の日本は混乱の時代である。鎌倉幕府が倒れ、天皇家は分裂し、足利(あしかが)氏でも内部抗争が起こる(観応の擾乱)。めまぐるしく状況が変わる。決着はなかなかつかない。ややこしくてグダグダな展開が続く。ここのところの歴史はわかりにくいので…

南九州に所領を得た鎌倉御家人たち ~鮫島氏・二階堂氏・渋谷氏・比志島氏・種子島氏 ほか~

薩摩国・大隅国・日向国にやってきた鎌倉武士は島津忠久(しまづただひさ)のほかにも、けっこういる。 鮫島氏(さめじま) 二階堂氏(にかいどう) 千葉氏(ちば) 渋谷一族(しぶや) 東郷氏(とうごう) 祁答院氏(けどういん) 鶴田氏(つるだ) 入来院…

鎌倉から薩摩へ、島津氏が根付く

薩摩住まいは3代目から? 4代目から? 島津氏初代の忠久(ただひさ)、2代目の忠時(ただとき)は鎌倉にあり、領国経営は代官に任せていた。 薩摩に島津氏が本格的に入ってくるのは、3代目の島津久経(ひさつね)からだとされる(諸説あり)。きっかけは元寇…

『島津国史』に見る島津忠久の経歴

鎌倉時代から近世まで薩摩国・大隅国・日向国(一部)を統治した島津家。その初代の島津忠久(しまづただひさ)の足跡を、『島津国史』に沿って見ていく。けっこう記録はよく残っているものの、伝説めいたところもちらほらと。なかなかに謎の多い人物である…

島津忠久って何者なの?

島津(しまづ)氏の歴史は12世紀末より始まる。初代は惟宗忠久(これむねのただひさ)といった。南九州に得た所領にちなんで「島津」を名乗りとした。 島津忠久(惟宗忠久)の出自については諸説あり。確かなことはよくわかっていない。 公式発表は「源頼朝…