2023-01-01から1年間の記事一覧
大隅国加治木(かじき)に松齢山長年寺(しょうれいざんちょうねんじ)という寺院があった。現在の鹿児島県姶良市加治木町木田のあたりだ。ここは加治木島津家の菩提寺。寺院跡には墓所が残っている。国史跡にも指定されている。 ちなみに山号の「松齢山」は…
タノカンサァ(田の神)は鹿児島県や宮崎県に多い。いろいろな場所で見かけるが、やはり田んぼのある風景の中がよく似合うのだ。そんなタノカンサァのひとつを、訪ねてみた。 場所は鹿児島県姶良市加治木町小山田の原田地区。ここは山と山の間に網掛川が流れ…
16世紀の薩摩国に橋口兼弘という人物がいる。名前の読みは「はしぐちかねひろ」か。島津貴久(しまづたかひさ)の配下として活躍した。この人物が、なんとなく気になったのである。調べてみた。 この橋口氏は伴姓で、肝付氏の庶流とされる。名乗りは薩摩国伊…
14世紀の南北朝争乱期。南九州では激戦が繰り広げられていた。 鹿児島県内で城跡などをまわっていると、けっこう南朝忠臣の顕彰碑に出くわすのだ。そんな顕彰碑について、まとめてみた。 南九州の南北朝争乱 南朝忠臣の顕彰について 「征西将軍宮懐良親王御…
田んぼが広がっている。ひと夏を越えて、稲が長く伸びている。そんな風景をタノカンサァ(田の神)が見守る。彩色されて、赤色がよく目立つ。 場所は鹿児島県薩摩川内市祁答院町下手の菊地田(きくちだ)というところだ。 田園風景の中に タノカンサァ(田の…
「祁答院」という地名が鹿児島県にある。「けどういん」と読む。これについて、調べてみた。 祁答院の場所 「祁答院」の由来は? 南九州には「○○院」がたくさんあった 「院」とは何ぞや? 祁答院氏 祁答院郡司の大前氏 渋谷一族の祁答院氏 祁答院重武と祁答…
薩州家(さっしゅうけ)は島津氏の分家の一つ。薩摩国に広大な所領を有し、本宗家にあたる奥州家(おうしゅうけ)から頼りにされた。あるいは、本家をおびやかす存在でもあった。 16世紀前半の島津氏では一族どうしで覇権を争った。守護家の地位を離すまいと…
島津氏15代当主の島津貴久(しまづたかひさ)は、もともとは分家の相州家(そうしゅうけ)の生まれだ。16世紀半ばに一族の抗争を制し、分家から島津家の本流となった。 島津貴久と覇権を争ったのが、薩州家(さっしゅうけ)の島津実久(しまづさねひさ)だっ…
鹿児島県姶良市に大山(おおやま)という地域がある。やや内陸に入ったところに田んぼが広がっている。ここにタノカンサァ(田の神)がいる。 鹿児島県や宮崎県には、田の神像があちこちにある。豊作をもたらす田の守り神だ。18世紀頃からつくられるようにな…
鬼丸神社(おにまるじんじゃ)は鹿児島県日置市日吉町吉利に鎮座する。江戸時代の薩摩国吉利の領主は小松(こまつ)氏。その祖先を祀る。御祭神は禰寝重長(ねじめしげたけ)だ。 禰寝重長、一族の最盛期を築く 長い石段をのぼって 小松清廉(小松帯刀)も参…
江戸時代末期(19世紀後半)の薩摩藩の家老に小松清廉(こまつきよかど)がいる。「小松帯刀(たてわき)」という通称のほうでよく知られていることだろう。この小松清廉(小松帯刀)は小松氏の29代当主である。 「29代」ということは、……単純計算で「4代で1…
島津忠久(しまづただひさ)は島津氏の初代である。この人物を祀る神社が鹿児島市郡山町東俣に鎮座する。一之宮神社(いちのみやじんじゃ)がそれだ。大きな古木が立ち並ぶ森の中へと参道が伸びる。奥には立派な社殿があった。 島津氏の祖 森の中へ 18世紀に…
九州の戦国時代というのは、一般的にはあまり知られていないと思う。九州に限らず、地域史のすべてに言えることでもあるけれど。 こんな本がある。九州の戦国時代を知るには、イイ本だと思う。 『戦国武将列伝11 九州編』編/新名一仁発行/戎光祥出版/2023…
「朝日(あさひ)」という場所が、鹿児島県霧島市隼人町にある。鹿児島神宮(かごしまじんぐう)から西のほうに山をのぼっていったところだ、ここはミカンの産地。高台に果樹園が広がっている。 この地に日秀神社(にっしゅうじんじゃ)は鎮座する。御祭神は…
上井覚兼(うわいかくけん)という人物がいる。16世紀後半に島津義久(しまづよしひさ)の老中を務め、島津氏の勢力拡大の中で活躍した。『上井覚兼日記』という一級史料を残したことでもよく知られている。 上井氏の名乗りは、大隅国囎唹郡(そおのこおり、…
鹿児島県姶良市加治木に小山田(こやまだ)というところがある。山と山の間に網掛川(あみかけがわ)が流れ、その川沿いに水田が広がっている。「小山田」という地名はそんな様子に由来するとも。 田園地帯に小山がある。叢林に鳥居が見える。鎮座するのは大…
鹿児島県姶良市加治木町に大井上神社(おおいがみじんじゃ)が鎮座する。その参道口にタノカンサァ(田の神)がいた。 大井上神社の参道口、写真の左下に……。 タノカンサァ(田の神)の像が、鹿児島県や宮崎県ではそこらじゅうにある。島津氏の領内で見られ…
宝暦4年(1754年)から翌年にかけて、薩摩藩は木曽三川の治水工事に関わった。「宝暦治水」とも呼ばれている。 木曽三川とは木曽川(きそがわ)・長良川(ながらがわ)・揖斐川(いびがわ)のことである。美濃国・伊勢国・尾張国が国境を接するあたりで、3本…
和多利神社(わたりじんじゃ)は鹿児島県南さつま市金峰町宮崎に鎮座する。このあたりはかつての薩摩国阿多(あた)である。 御祭神は国饒大年彦命(クニニギオオトシヒコノミコト)と 日新偉霊彦命(ヒワカクシタマヒコノミコト)。島津氏相州家の島津運久…
「Kindle Unlimited(キンドルアンリミテッド)」は月額定額制の電子書籍読み放題サービスである。Amazonが提供。このサービスでは200万冊以上を読むことができる。 対応端末はKindleやFireタブレットといったAmazonデバイス、スマートフォン・タブレット・P…
鹿児島県枕崎市妙見町に下園という集落がある。ここの公民館の敷地内に石祠がある。祭祀されているのは「モモカンドン」と呼ばれる神様だ。 モモカンドンは牛神のこと。「モモ」は牛の鳴き声からだろうか。ほかに「モモドン」「ウッジュイドン」「ウイドン」…
タノカンサァ(田の神)は、愛嬌のあるものが多い。鹿児島県姶良市加治木町日木山には、いいカオをしたタノカンサァがいる。「日木山里の田の神」と呼ばれている。 田の神像は南九州では日常風景の中にある。18世紀頃から島津氏の領内(鹿児島県と宮崎県)で…
鹿児島の浄光明寺(じょうこうみょうじ)は大きな寺院だった。山号は「松峰山」。現在の鹿児島市上竜尾町にあった。 その跡地は南洲公園として整備。浄光明寺跡というよりは、「南洲墓地(なんしゅうぼち)」として認識している人が多いかも。ちなみに「南洲…
鹿児島県姶良市の重富公園の駐車場の一角に並んでいた。「山ノ口の田の神」と呼ばれているそうだ。 ひとつは座像。もうひとつは田の神舞の姿をかたどった立像だ。 駐車場の脇に タノカンサァは、17世紀頃から島津氏領内で盛んに作られるようになったと考えら…
玉繁寺(ぎょくはんじ)は鹿児島市喜入町の旧麓(もとふもと)にあった。喜入肝付氏(きいれきもつき)の菩提寺で、一族の墓所がある。 喜入肝付氏は文禄4年(1595年)から明治初頭の版籍奉還まで、喜入の領主であった。薩摩藩(鹿児島藩)の家老も出してい…
戦国時代の肝付家というと、肝付兼続(きもつきかねつぐ)・肝付良兼(よしかね)がよく知られている。大隅国肝属郡高山(こうやま、鹿児島県肝属郡肝付町)を拠点に戦国大名化し、大隅半島の大部分を支配下に入れる。島津貴久(しまづたかひさ)・島津義久…
これぞ「巨樹」という言葉がぴったりだ。とにかく大きい。存在感は圧倒的だ。そしてミシミシと生命力が伝わってくるのである。 「蒲生の大楠」は蒲生八幡神社の御神木である。鹿児島県姶良市蒲生町にある。ほかに「蒲生の大クス」「蒲生のクス」といった表記…
鹿児島県姶良市に蒲生(かもう)というところがある。この地に鎮座する蒲生八幡神社(かもうはちまんじんじゃ)は素敵な場所だ。 主祭神は仲哀天皇・応神天皇・神功皇后。ほかに摂社・末社も境内には祀られている。 そして、境内には「蒲生の大楠」と呼ばれ…
鹿児島県姶良市蒲生町に「漆(うるし)」というところがある。けっこう山奥のほうへ入っていくような感じだ。林道を車で進むと開けた場所に出る。田んぼが広がっている。 田園地帯の辻にタノカンサァ(田の神)がいる。「漆の田の神」と呼ばれている。 山里…
肥後国では、島津義久(しまづよしひさ)と龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)による勢力争いが続いていた。 天正9年(1581年)8月、島津義久は肥後国水俣(みなまた、熊本県水俣市)を攻めて、相良義陽(さがらよしひ)を降伏させた。 球磨・葦北・八代(…