2023-01-01から1年間の記事一覧
鹿児島市の北部に東佐多町というところがある。江戸時代には薩摩国鹿児島郡吉田郷東佐多村であった。この地にある鎮守神社に、タノカンサァ(田の神)がいる。「東下(ひがしもと)の田の神」と呼ばれている。 タノカンサァ(田の神)は18世紀以降に島津氏領…
宮崎県西諸県郡高原町に狭野神社(さのじんじゃ)が鎮座する。狭野尊(サノノミコト、神武天皇)を御祭神とする。この元宮とされるのが皇子原神社(おうじばるじんじゃ)だ。 狭野神社の西側には丘陵地形がある。皇子原(おうじばる)と呼ばれる。この地には…
高原(たかはる)の狭野神社(さのじんじゃ)を参詣した。鎮座地は宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田。小字は「狭野(さの)」という。 鎮座地は高千穂峰(たかちほのみね)の東麓。山頂から5㎞ほど東に位置する。そして、狭野の地には神武天皇の伝説が残っていて…
谷山神社(たにやまじんじゃ)は鹿児島市下福元町に鎮座する。御祭神は懐良親王。14世紀の南北朝争乱期に征西大将軍として九州に入った人物だ。 名前の読みは「かねながしんのう」とも「かねよししんのう」とも。谷山神社では「かねながしんのう」のほうをと…
鹿児島県姶良市鍋倉は、かつての大隅国始羅郡(しらのこおり)の帖佐(ちょうさ)のうち。この地には平山城(ひらやまじょう)という山城があった。別名に帖佐本城(ちょうさほんじょう)ともいう。 この平山城跡に向かう山道の途中に、高尾城(たかおじょう…
鹿児島市冷水町に鹿児島市営の「興国寺墓地」がある。ここにはかつて太平山興国寺があった。興国寺は明治の初めに廃寺となった。その境内はかなりの広さがあり、現在も古い墓石や石造物が残っている。 興国寺墓地(興国寺跡) この興国寺跡に、薩州家(さっ…
霧島東神社(きりしまひがしじんじゃ)は宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田に鎮座する。高千穂峰(たかちほのみね)の山頂に近く、古代の山岳信仰の雰囲気が感じられる。また、山岳仏教の霊場としても大事にされてきた場所である。 すてきな神社である。【前編】記…
高千穂峰(たかちほのみね)は存在感がある。山容もさることながら、大きな噴火もしばしば。古代から人々が崇める山であり、恐れる山でもある。その東麓に御池(みいけ)という火口湖がある。 御池と高千穂峰 この池の東側に、霧島東神社(きりしまひがしじ…
島津(しまづ)氏の一族に北郷(ほんごう)氏がある。「北郷」とは日向国島津院(庄内)の北西部。現在の宮崎県都城市庄内町や山田町のあたりである。この地を島津資忠(しまづすけただ)が領したことから、「北郷」を名乗るようになった。北郷氏は江戸時代…
鹿児島湾岸の国道10号沿いに茅葺屋根の民家がある。江戸時代末期のものが復元されている。ここは「西郷隆盛蘇生の家」と呼ばれている。 国道から線路を挟んで茅葺屋根が見える 安政5年(1858年)、冬の鹿児島湾に西郷吉之助(当時の諱は西郷隆永、のちに西郷…
日向国の都城盆地の一帯は昔から「庄内(しょうない)」「荘内」と呼ばれている。これは「島津荘(しまづのしょう)のうち」を意味する。そして、宮崎県都城市に「庄内町」というところがある。 この庄内町に山城跡がある。安永城(やすながじょう)という。…
これ、素晴らしい一冊だ! 帯には「戦後初の中世島津氏本格的通史!」の文字。そのとおりの内容となっている。「ずっとこんな本が欲しかった」と、個人的に思っていた。 『図説 中世島津氏 九州を席捲した名族のクロニクル』編著/新名一仁 発行/戎光祥出版…
思ってもみなかったのである。まさか、川路利良(かわじとしよし)を主役にした漫画が出てくるなんて! 連載が始まったとき、驚いた。 そして、これが面白いのである! その作品は『だんドーン』という。作者は泰三子(やすみこ)氏。2023年6月に『週刊モー…
鹿児島県霧島市国分に「台明寺(だいみょうじ)」という場所がある。その地名は、かつてあった「竹林山衆集院台明寺」という寺院に由来する。古刹である。 この地はかつての大隅国囎唹郡(そおのこおり)の清水(きよみず)のうち。台明寺については古い記録…
高座神社(たかくらじんじゃ)は鹿児島県霧島市国分川原に鎮座する。こちらをお詣りした。 巨木がふたつ 由緒はよくわからない 巨木がふたつ 場所は国分の城山公園(隼人城跡)の東側の麓にあたる。このあたりは毛梨野(けなしの)というところ。公民館前の…
勝栗神社(かちぐりじんじゃ)へお詣りに。 鎮座地は鹿児島県姶良郡湧水町米永。古くは正若宮八幡社(しょうわかみやはちまんしゃ)と称し、明治3年(1870年)に「勝栗神社」に改称している。 島津義弘(しまづよしひろ)とも縁のある場所だ。このあたりはか…
鹿児島市の伊敷に「桂庵墓」という史跡がある。国史跡にも指定されている。ここは東帰庵の跡で、桂庵玄樹(けいあんげんじゅ)の墓がある。桂庵玄樹は臨済宗の僧で、朱子学(宋学)の大家であった。晩年は伊敷の東帰庵に住み、この地で没した。 桂庵玄樹とは…
島津家の「小返しの五本鑓」について、紹介してみる。 慶長5年(1600年)9月15日、美濃国関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)で合戦があった。徳川家康が率いる東軍が、反徳川方の西軍を破る。 島津義弘(しまづよしひろ)は西軍に参加し、敗軍の将となる。戦況…
タノカンサァ(田の神)はどこにでもいる、鹿児島県内では。街中でタノカンサァを見かけると、「このあたりも昔は田んぼだったんだな」と思ったりするものである。 今回は紹介するのは「新村の田の神」だ。「新村」は「しんむら」と読む。場所は鹿児島市伊敷…
大隅国加治木(かじき)に松齢山長年寺(しょうれいざんちょうねんじ)という寺院があった。現在の鹿児島県姶良市加治木町木田のあたりだ。ここは加治木島津家の菩提寺。寺院跡には墓所が残っている。国史跡にも指定されている。 ちなみに山号の「松齢山」は…
タノカンサァ(田の神)は鹿児島県や宮崎県に多い。いろいろな場所で見かけるが、やはり田んぼのある風景の中がよく似合うのだ。そんなタノカンサァのひとつを、訪ねてみた。 場所は鹿児島県姶良市加治木町小山田の原田地区。ここは山と山の間に網掛川が流れ…
16世紀の薩摩国に橋口兼弘という人物がいる。名前の読みは「はしぐちかねひろ」か。島津貴久(しまづたかひさ)の配下として活躍した。この人物が、なんとなく気になったのである。調べてみた。 この橋口氏は伴姓で、肝付氏の庶流とされる。名乗りは薩摩国伊…
14世紀の南北朝争乱期。南九州では激戦が繰り広げられていた。 鹿児島県内で城跡などをまわっていると、けっこう南朝忠臣の顕彰碑に出くわすのだ。そんな顕彰碑について、まとめてみた。 南九州の南北朝争乱 南朝忠臣の顕彰について 「征西将軍宮懐良親王御…
田んぼが広がっている。ひと夏を越えて、稲が長く伸びている。そんな風景をタノカンサァ(田の神)が見守る。彩色されて、赤色がよく目立つ。 場所は鹿児島県薩摩川内市祁答院町下手の菊地田(きくちだ)というところだ。 田園風景の中に タノカンサァ(田の…
「祁答院」という地名が鹿児島県にある。「けどういん」と読む。これについて、調べてみた。 祁答院の場所 「祁答院」の由来は? 南九州には「○○院」がたくさんあった 「院」とは何ぞや? 祁答院氏 祁答院郡司の大前氏 渋谷一族の祁答院氏 祁答院重武と祁答…
薩州家(さっしゅうけ)は島津氏の分家の一つ。薩摩国に広大な所領を有し、本宗家にあたる奥州家(おうしゅうけ)から頼りにされた。あるいは、本家をおびやかす存在でもあった。 16世紀前半の島津氏では一族どうしで覇権を争った。守護家の地位を離すまいと…
島津氏15代当主の島津貴久(しまづたかひさ)は、もともとは分家の相州家(そうしゅうけ)の生まれだ。16世紀半ばに一族の抗争を制し、分家から島津家の本流となった。 島津貴久と覇権を争ったのが、薩州家(さっしゅうけ)の島津実久(しまづさねひさ)だっ…
鹿児島県姶良市に大山(おおやま)という地域がある。やや内陸に入ったところに田んぼが広がっている。ここにタノカンサァ(田の神)がいる。 鹿児島県や宮崎県には、田の神像があちこちにある。豊作をもたらす田の守り神だ。18世紀頃からつくられるようにな…
鬼丸神社(おにまるじんじゃ)は鹿児島県日置市日吉町吉利に鎮座する。江戸時代の薩摩国吉利の領主は小松(こまつ)氏。その祖先を祀る。御祭神は禰寝重長(ねじめしげたけ)だ。 禰寝重長、一族の最盛期を築く 長い石段をのぼって 小松清廉(小松帯刀)も参…
江戸時代末期(19世紀後半)の薩摩藩の家老に小松清廉(こまつきよかど)がいる。「小松帯刀(たてわき)」という通称のほうでよく知られていることだろう。この小松清廉(小松帯刀)は小松氏の29代当主である。 「29代」ということは、……単純計算で「4代で1…