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霧島東神社【前編】、山をすぐ近くに感じられる! 高千穂峰の東の霊場

高千穂峰(たかちほのみね)は存在感がある。山容もさることながら、大きな噴火もしばしば。古代から人々が崇める山であり、恐れる山でもある。その東麓に御池(みいけ)という火口湖がある。

 

火口湖と火山の風景

御池と高千穂峰

 

この池の東側に、霧島東神社(きりしまひがしじんじゃ)が鎮座する。場所は宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田。かつての日向国諸県郡高原(たかはる)のうちである。

霧島東神社から山頂までは直線距離で4㎞ほど。また、高千穂峰山頂は飛地境内となっている。じつは、山頂に突き刺さっている天之逆鉾(あまのさかほこ)は霧島東神社の社宝である。

 

紹介したい要素が、霧島東神社には多い。というわけで、記事を2回に分ける。

【後編】はこちら。

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天孫降臨伝説の山の中腹に

創建は崇神天皇の御代と伝わる。

主祭神は伊邪那岐命(イザナギノミコト)・伊邪那美命(イザナミノミコチ)の二座。

相殿神として天照大神(アマテラスオオミカミ)・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)・天忍穗耳尊(アメノオシホミミノミコ)・彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)・鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)・神倭伊波礼毘古尊(カムヤマトイワレビコノミコト、神武天皇)の六座。

 

高千穂峰を崇拝する古代の信仰の場であったことが想像される。また、天孫降臨神話が語られる場所でもある。

竺紫の日向の高千穂のくじふる嶽に天降りまさしめき(『古事記』より)

ニニギノミコトが降り立ったとされる「高千穂のくじふる嶽」が高千穂峰であるとも言われている。

なお、このあたりの地名は高原(たかはる)という。「高天原」を連想させる。

 

 

 

霧島東御在所両所権現

天暦年間(947年~957年)に性空(しょうくう)が霧島に入山して修行したと伝わる。性空は天台宗の僧で、康保3年(966年)に書寫山圓教寺(兵庫県姫路市)を開山したことなどでも知られる。

性空は高千穂峰の周辺に鎮座する6つの神社を修験道の霊場として整備。それぞれに別当寺を置き、権現社とした。これらは「霧島六社権現」「霧島権現六社」と呼ばれる。霧島東神社もその一つだ。「霧島東御在所両所権現」と称した。別当寺は「東光坊花林寺錫杖院」または「霧島山華林寺東光坊錫杖院」といった。「花林寺」「華林寺」は「けりんじ」と読む。

 

ちなみに六社はつぎのとおり。

霧島東御在所両所権現(現在の霧島東神社)
西御在所霧島六所権現(現在の霧島神宮、鹿児島県霧島市)
霧島山中央六所権現(現在の霧島岑神社、宮崎県小林市)
雛守六所権現(雛守神社、霧島岑神社に合祀)
狭野大権現(現在の狭野神社、宮崎県高原町)
東霧島権現(現在の東霧島神社、宮崎県都城市)

 

なお、霧島東御在所両所権現(霧島東神社)を「東御在所之宮」、西御在所霧島六所権現(霧島神宮)を「西御在所之宮」とも呼ぶ。高千穂峰の東西に位置し、いずれも登山口にもなっている。

高千穂峰には御鉢(おはち)という大きな火口がある。ここがよく噴火する。霧島東御在所両所権現も噴火で何度か焼失していて、社寺の造営が重ねられている。

 

錫杖院は天永3年(1112年)2月3日の噴火や文暦元年12月28日(1235年1月)の噴火で焼失。その後、文明18年(1486年)に島津忠昌(しまづただまさ、島津氏11代)が廟宇を改造して中興したという。

『三国名勝図会』には霧島東御在所両所権現の絵図を掲載。かつての様子を知ることができる。

霧島東御在所両所権現

『三国名勝図会』巻之五十六より(国立国会図書館デジタルコレクション)

 

慶応4年(明治元年、1868年)の神仏判然令で神仏分離がすすめられ、錫杖院は廃された。しかしながら、神社の境内の形状はそのまま残っている印象である。

 

霧島西御在所六社権現(霧島神宮)についてはこちらの記事にて。

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高千穂峰の山腹に

国道223号沿いの御池の展望所の近くからキャンプ場へ向かう道がある。そこを入って、山のほうへ。看板にしたがいつつ道なりにすすむと、霧島東神社の鳥居にいたる。標高は500mほど。高千穂峰の山腹に鎮座している。

鳥居から森の中へ

大きな鳥居をくぐって

 

鳥居をくぐって森の中の参道を上へ上へ。

木立の中を登る

参道

 

参道の途中には「開山性空上人」の文字のある記念碑もあった。

参道の記念碑

「開山性空上人」の碑

 

登りきったところに杉が2本。立派な神門もある。

神社の入口

杉の木と神門

 

二本の木の向こう側に

木の間から

 

社紋は「大法輪(輪法紋)」とのこと。かつての錫杖院の紋が、社紋として使われている。

扉に社紋

神門から奥を見る

 

神門をくぐると、すぐにお社がある。鏡が祭られているのも見える。こちらは猿田彦社。ここに祭られる猿田彦尊(サルタヒコノミコト)は、天孫降臨の際に道案内をした神である。

森の中のお社

手前に猿田彦社

 

猿田彦社から奥には門守社も。櫛石窓尊(クシイワマドミコト)・豊石窓尊(トヨイワマドノミコト)が本殿の前を守る。

社殿を見る

拝殿前、手前に門守神社

 

石段を登って壇上へ。拝殿と本殿がある。建物は享保12年(1727年)の造営。拝殿の「東霧島坐」の扁額は寛文6年(1666年)に島津光久(しまづみつひさ、島津氏19代当主)が寄進したもの。

緑の中に朱が映える

拝殿と本殿

 

火闌降尊と火明尊

本殿の左右には脇社があった。ちなみに、『薩隅日地理纂考』には「狗人社(いぬひとしゃ)」、『三国名勝図会』には「狗人両社」とある。「狗人」とは「隼人」のこと。

 

向かって右側には、火闌降尊(ホスソリノミコト)を祭る。

本殿脇を固める

右の脇社


ホスソリノミコトとは『日本書紀』においてはニニギノミコトの第一子とされる。別名に「ホデリノミコト(火照尊)」、あるいは「海幸彦」として知られる。海幸山幸神話にて、海幸彦(ホスソリ、ホデリ)は弟に屈服する。そして隼人族の祖どなったとされる。


向かって左側には、火明尊(ホアカリノミコト)を祭る。

本殿を脇から固める

脇社(左)

ホアカリノミコトには諸説あり。ニニギノミコトの兄であるとされたり、ニギハヤヒノミコト(邇芸速日命)の別名とされたり。

この二柱が脇を固めているのには、どんな意味があるのだろうか?

 

【後編】へ続く……。

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<参考資料>
『三国名勝図会』
編/橋口兼古・五代秀尭・橋口兼柄・五代友古 発行/山本盛秀 1905年

『高原町史』
編/高原町史編さん委員会 発行/高原町

『薩隅日地理纂考』
編/樺山資雄、ほか 発行/鹿児島県私立教育会 1898年

霧島東神社の御由緒書
※現地で配布しているもの

ほか