桜島のフェリー乗り場のすぐ近くに。鳥居が見える。月讀神社(つきよみじんじゃ)の参道口だ。鎮座地は鹿児島市桜島横山町。月讀神社は古くから桜島の惣社として崇敬されてきた。
桜島は活発な火山である。月讀神社は山の神威をびんびん感じるような……そんな雰囲気である。
もともとは「五社大明神社」
創建は和銅年間(708年~715年)とされる。
御由緒書きによると、御祭神は月読命(ツキヨミノミコト) で、ほかに邇邇芸命(ニニギノミコト) ・彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト) ・鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)・ 豊玉彦命(トヨタマヒコノミコト) ・木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)を合祀する。ツキヨミノミコトと日向三代の神々の組み合わせだ。
かつては「五社大明神社」と呼ばれていた。『三国名勝図会』を見ると御祭神がちょっと異なっている。こちらは「月夜見命・木花咲耶姫命・豊玉姫命・火闌降命(ホスソリノミコト)・ほか一座不詳」となっている。社号の通り、五柱の神を祭っていた。こちらも日向三代の神々が組み合わせてあるが、隼人との関りを匂わせる顔ぶれである。
大正噴火で溶岩に埋没
現在の社地は、昭和15年(1940年)に造営されたものだ。
五社大明神社のもともとの鎮座地は、現在地から南へ2㎞ほどの場所。赤水宮坂というところである。
寛永2年(1629年)に薩摩藩主の島津家久(しまづいえひさ、島津忠恒、ただつね)の命で、社地は宮坂から浜辺のほうへ遷座。島津家久(島津忠恒)は歌を奉納している。
神垣や真さご地清き天津風
ことの葉よする秋の蒲波
安永8年(1779年)9月28日夜には桜島御岳の上に月が3つ現れたという。みな不思議がっていたところ、翌日の夜明け頃に大噴火が発生した(安永噴火)。その後、天明年間(1781年~1789年)に洪水で壊れたので、寛政10年(1798年)に再び宮坂に新築遷座されたという。
大正3年(1914年)、桜島が大噴火を起こす。赤水の谷あいが噴火口となり、五社大明神は溶岩に埋もれる。社殿とともに社宝の多くも埋没した。
御神体を持ち出して、鹿児島の照国神社(てるくにじんじゃ、鹿児島市照国町)に奉安された。その後、大正7年に桜島武(鹿児島市桜島武町)に造営遷座した。その後、昭和15年(1940年)に桜島横山の現在地へ遷座している。
フェリー乗り場の目の前に
海のほうからも鳥居が見える。
フェリー乗り場から外に出るとすぐに鳥居がある。ここから参道をあがっていく。上のほうには駐車場もある。こちらへは山のほうからぐるりと回り込む。
一の鳥居はなかなかの大きさ。昭和15年の新築遷座のときのもの。
振り返るとフェリー乗り場が目の前に見える。
参道をのぼる。ソテツや松など、植生が独特な感じである。これらは火山土壌でも育つ植物なのかな?
参道の途中には門守神社もある。対になっていて、豊磐間戸神(トヨイワマドノカミ)・櫛磐間戸神(クシイワマドノカミ)を祭る。
二の鳥居をくぐって境内へ。叢林は松が多い。
朱色の社殿。なかなかに立派だ。神紋は菊花紋。
本殿の脇のほうには境内社の稲荷神社があった。ちなみに、稲荷神社は島津氏の守護神でもある。
さらに奥へ。高濱虚子の句碑がある。
熔岩に秋風の吹きわたりけり
昭和3年(1928年)に詠んだものとのこと。句碑は昭和32年(1957年)に建立。揮毫は本人のものが使われている。
小さな展望台もある。
海のほうを見る。対岸の街並みは鹿児島市街地。
山のほうに目をやると、桜島のアタマだけが見えた。
桜島には月読命を祭る神社が多い
なぜ、桜島の惣社の主祭神が月読命(ツキヨミノミコト、ツクヨミノミコト)なのか? その理由はよくわからない。
『桜島町郷土史』によると月読命を祭る神社は、鹿児島県内に10社あって、そのうちの5社が桜島にあるのだという。桜島の5社は、たぶん五社大明神社と関わりがあり、そして、桜島において月読命は重要な神様っぽい感じがする。
五社大明神社(月讀神社)の創建年代は和銅年間とされる。和銅年間は大和朝廷による隼人征服が進展している頃である。「和銅年間に創建」とする神社は鹿児島県内にけっこう多い。これらの神社は、もともと隼人の信仰があった場所なんじゃないか、という気もするのである。隼人が崇拝していた月の神に、月読命を重ねたものであるのかもしれない。あくまでも想像だけど。
『三国名勝図会』にはこんなことも書かれている。
社傳に曰、霧島乃祭神は彦火々出見尊にして、櫻島は、當社及び御嶽権現等、皆火闌降命なり、兄弟易幸而發争、故に霧島と櫻島とは互に憤恨を含むと云 (『三国名勝図会』巻之四十三より)
火闌降命は『日本書紀』では海幸彦とされる神で、隼人の祖とも。また、「霧島乃祭神」というのは鹿児島神社(鹿児島神宮、鹿児島県霧島市隼人町内)のことであろう。
また、『三国名勝図会』にはこんなことも。
島民古より相傳へて、當社の神は兎獣を愛せるとて、敢えて俗に其名を諱て、名いはざるに至る (『三国名勝図会』巻之四十三より)
ウサギは月を連想させるものでもあるが……。
鹿児島市の草牟田に鎮座する鹿児島神社は、もともとは「宇治瀬大明神(うじせだいみょうじん)」と称した。この神社はもともと桜島の沖合の神瀬(かんぜ)という小島にあった。その後、桜島横山に遷座し、さらに室町時代(15世紀頃か)に鹿児島へ遷って現在にいたる。桜島とすごく関係の深い神社なのである。ちなみに主祭神は天津日高彦火火出見命。
また、「宇治瀬大明神」の名称は「兎道瀬(うじせ)」が由来とも。瀬の白波の様子が、跳ねるウサギのようだ、と。
五社大明神(月讀神社)と宇治瀬大明神(鹿児島神社)は、もしかしたら対になるような関係性なのかも? ……と想像させられる。
<参考資料>
『桜島町郷土史』
編/桜島町郷土誌編さん委員会 発行/桜島町 1988年
『三国名勝図会』
編/五代秀尭、橋口兼柄 出版/山本盛秀 1905年
ほか