桜島の東麓に「黒神(くろかみ)」というところがある。かつての東桜島村黒神。現在は鹿児島市黒神町となっている。
黒神には、埋もれた鳥居がある。腹五社神社(はらごしゃじんじゃ)のものだ。これは「黒神埋没鳥居」という史跡名でよく知られている。大正3年(1914年)の大噴火(大正大噴火、大正噴火)でこうなった。
「黒神埋没鳥居」は、当時の噴火の凄さを物語る。
黒神近くの鍋山から噴火
大正3年(1914年)1月12日、桜島の大噴火が始まった。『桜島大正噴火誌』には「突然として爆發せり」と書かれる。
「突然」とあるが、前兆と思われる異変もあったという。前日の11日には地震が頻発し、山崩れも発生。大きな地鳴りもあった。そして12日の朝には、さらなる異変が。温泉が沸騰する、井戸があふれる、地面から水や熱水が湧きだす、地割れ……などなど。午前8時頃から、山頂や山腹で噴煙が見られた。
午前10時5分、桜島の西麓で噴火発生。噴火口は赤水(鹿児島市桜島赤水町)の谷あいであった。10分後には、桜島の東麓の鍋山からも火を噴く。
現在、桜島は頂上近くの南岳のあたりから噴煙を上げているが、大正噴火は中腹からのものだった。
桜島の東西で激しい噴火が続き、大量の溶岩が噴き出た。赤水付近と鍋山付近には、現在も溶岩原が広がっている。また、鍋山から出た溶岩は桜島と大隅半島のあいだの海峡を埋める。桜島は島ではなくなった。
黒神は鍋山のすぐ近くだ。大量の火山灰と軽石が降り、多いところで5mほど積もったという。
なお、大正噴火については、こちらの記事でも紹介している。
鳥居を見下ろす不思議な光景
腹五社神社は中学校の一角に鎮座する。鹿児島県道26号沿いに観光用の駐車場もすぐ見つかる。参詣しやすい神社だ。
なお、情報については1964年発行の『鹿児島県文化財調査報告書 第11集』に収録された「噴火により埋没した鳥居及び門柱」(著/門田重行)を参考にした。
参道口で埋もれた鳥居が目に入る。地表に出ているのは、笠木と貫の部分のみ。高さは1mちょっとくらい。鳥居の高さは約3mあったとされ、境内は2mほど埋没したことになる。
神額に「腹」「五」の文字が確認できる。現在は欠けてしまっているが、「腹五社大口福」の文字が刻まれていたという。
鳥居の近くにはアコウの大木がある。『鹿児島県文化財調査報告書』によると大正噴火以前からあるものとのこと。
参道は中学校の中を通るような感じで伸びている。奥へ歩いていくと、叢林が広がっている。噴火の際には、叢林もかなり埋もれ、木々も焼けた。100年ばかりの時を経て、森は再生している。
『桜島大爆発実記』では、当時の状況をつぎのように伝えている。
石の鳥居ありて之れも上部約二尺を顕はし潜るべき餘地全くなきまでに埋没したり <中略> 鳥居の奥に進みて神社の拝殿を覗けば匍匐して漸く入るべく而して其の内部には四邊(あたり)より落ち込みたる軽石の小塊充満して殆ど天井に達せんとす (『桜島大爆発実記』より)
由緒は詳らかならず
腹五社神社の由緒はわからず。創建時期も不明。
鹿児島神社庁のホームページによると、御祭神は月讀命(ツキヨミノミコト)・瓊々杵尊(ニニギノミコト)・彦火々出見命(ヒコホホデミノミコト)・鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)・須佐之男命(スサノオニミコト)としている。瓊々杵命のかわりに木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)を一座に数えるとの説もあるとのこと。また、創建時期は350年ほど前と伝わる、と。ちなみに、こちらでは「原五社神社」の漢字があててある。
『鹿児島県文化財調査報告書 第11集』に収録された「噴火により埋没した鳥居及び門柱」(著/門田重行)には違った情報も。こちらのよると「御祭神は不明」としている。創建時期は桜島西麓の月讀神社(旧称は五社大明神社)と同じ頃(和銅年間、708年~715年)だと伝わるとも。
報告書には、こんな考察もつけられている。
鳥居には腹五社大口福と刻まれ、神社とはほってない。そして普通には腹五社様とか、腹五社神社と呼んでいる。腹を原と書いたものもあるが(桜島鹿児島市経済観光課)、これは本当ではない。腹五社という意味を同腹五人又は義兄弟の意味にとれば、他に四体があることになる。このことについては武部落の月読神社は祭神が月夜見命、木花咲耶姫、豊玉姫、火闌命その他不明の一体となって、これを五社大明神といい、一般に尊崇している。この不明の祭神が、黒神の大国福神ではないかとも想像される。(「噴火により埋没した鳥居及び門柱」より)
こちらでは、大口福の「口」の字を「国」の略字として論を展開させている。もしかしたら「口」はそのまま「口(くち)」と読む可能性もあるかも。「大国福」「大口福」いずれにしても、鳥居の神額からはこの神を祭っていたことは想像できる。この神様がなんであるかはよくわからないけど……。
あくまでも個人的な想像だが、「黒神」という地名も腹五社神社と関連がありそうにも思える。
埋もれた門柱
腹五社神社から北に100mほどのところに、大正噴火で埋没した門柱もある。こちらも県道沿いにあり、すぐに見つかる。
2本の石造りの門柱がすっぽりと埋まっている。
説明がなければ、ぱっと見では何かわからない。門柱は約2,5mの高さがあったという。
退避壕
桜島のあちこちに退避壕が設置されている。32ヶ所あるそうだ。黒神埋没鳥居の駐車場にもあった。
大きめの爆発で火山礫が飛んできても、ここへ避難できるようになっている。また、日常的にも雨よけ・風よけ・日よけに利用。もちろん降灰時にもありがたい存在だ。バスの待合所として使われることもある。
大正噴火の埋没鳥居は垂水牛根にもある。こちらの記事もどうぞ。
<参考資料>
『桜島大正噴火誌』
編・発行/鹿児島県 編 1972年
『鹿児島県文化財調査報告書 第11集』
編・発行/鹿児島県教育委員会 1964年
『桜島大爆発実記』
出版/九州日日新聞社印刷部 1914年
『桜島町郷土史』
編/桜島町郷土誌編さん委員会 発行/桜島町 1988年
『鹿児島市史2』
編/鹿児島市史編さん委員会 発行/鹿児島市 1970年
ほか