ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

島津家久の上京日記【12】 明智光秀と会う/天正3年5月14日~5月16日

天正3年(1575年)5月14日に島津家久(しまづいえひさ)は明智光秀と会う。翌日には居城にも招かれた。連歌師の里村紹巴(さとむらじょうは)は明智光秀と親交があり、二人を引き合わせた。 この二日間については、『中務大輔家久公御上京日記』でも詳しく記…

島津家久の上京日記【11】 連歌興行と酒と/天正3年5月6日~5月13日

天正3年(1575年)5月の島津家久(しまづいえひさ)の日記から。連歌師の里村紹巴(さとむらじょうは)の世話を受けて、京の滞在を続けている。 ちなみに、里村紹巴は地方の戦国大名とも親交がある。島津氏もその一つだった。島津家久の正室は樺山善久(かば…

島津義弘の娘たち/御屋地と御下 戦国の世に振り回される

島津義弘(しまづよしひろ)の子は五男二女あり。二人の娘については「御屋地(おやぢ)」「御下(おした)」という名が伝わっている。ともに通称で本名は伝わっていない。この姉妹は戦乱のややこしい事情に巻き込まれ、家の事情に振り回された生涯だった。 …

島津家久の上京日記【10】 賀茂の祭りとか、祇園あたりの見物とか/天正3年5月1日~5月5日

天正3年(1575年)5月、島津家久(しまづいえひさ)は上京中である。都はさすがに見どころが多く、名所まわりが続く。京滞在中は連歌師の里村紹巴(さとむらじょうは)の世話になっている。超一流の文化人である。そんな人物の案内で見物に出かけたりもして…

取違(とりちがい)、薩摩知覧の豊玉姫と玉依姫の伝説

鹿児島県南九州市の知覧(ちらん)に「取違(とりちがい)」というところがある。地名の由来は豊玉姫(トヨタマヒメ)と玉依姫(タマヨリヒメ)の伝説によるものだ。この地へ行ってみた。 「取違由来記」碑 中宮三所大明神社(豊玉姫神社) 飯倉新宮三所大明…

宮崎の田の神/鹿児島県南さつま市金峰町宮崎

鹿児島県内には田の神像があちこちにある。「タノカンサァ」と呼ばれて、地域の守り神として親しまれている。鹿児島県南さつま市金峰町宮崎の道端でタノカンサァを見つけた。ちょっと寄ってみる。 タノカンサァ(田の神)の詳細は、こちらの記事にて。 rekis…

船間島古墳、川内川河口にヤマトの影響が見える?

船間島古墳(ふなまじまこふん)は鹿児島県薩摩川内市港町にあり。川内川の河口に船間島は位置する。もともとは島だったが、埋立工事により現在は陸続きに。島には高さ26mほどの小丘があり、その山頂に古墳がある。 古墳へ 臨江寺跡石塔 船間島神社 旧日本海…

祁答院の時吉城跡、大前氏の拠点の一つ

時吉城(ときよしじょう)は薩摩国祁答院(けどういん)の時吉(鹿児島県薩摩郡さつま町時吉)にあり。川内川沿いに丘陵があり、そこが城跡だという。一帯は畑地や住宅地として開発されているが、地形はよく残っているようだ。そして、曲輪の一つの「中ノ城…

加世田の竹屋神社(鷹屋大明神社)、境内は後笠狭宮の跡地と伝わる

竹屋神社(たかやじんじゃ)は鹿児島県南さつま市加世田宮原に鎮座する。旧称は鷹屋大明神社。 「加世田(かせだ)」という地名は、「笠狭田(かささだ)」に由来すると伝わる。そして、竹屋神社(鷹屋大明神社)は「笠狭宮(かささのみや)」の跡地とも。鎮…

伊作の妙見神社、巨石群に伊作氏の軍神がまします

鹿児島県日置市吹上町中之里に妙見神社(みょうけんじんじゃ)が鎮座する。ここには巨石群があり、「落ちそうで落ちない岩」も人気だ。この地はかつての薩摩国伊作(いざく)の内で、島津一族の伊作氏が崇敬した神様でもある。 由緒 巨石群のある境内 伊作氏…