島津歳久(しまづとしひさ)には男子がなく、長女に婿をとって後継者とした。島津歳久の娘は波乱の生涯を送る。夫は若くして戦死、そして父が反逆者として討たれ、さらに二人目の夫も戦死する。 なお、島津歳久には次女もいる。こちらについてもあわせて紹介…
薩摩から京へ。天正3年(1575年)に島津家久(しまづいえひさ)が上京する。旅の様子について書き残している。『中務大輔家久公御上京日記』の記述をもとに旅程を追う。その2回目。 『中務大輔家久公御上京日記』についてはこちらの記事にて。 rekishikomuga…
西原八幡宮(にしばるはちまんぐう)は、鹿児島県伊佐市大口目丸に鎮座する。かつての薩摩国牛屎院(うしくそいん)の大口(おおくち)のうち。現在は西原八幡神社とも称する。御祭神は島津出羽守忠明(シマヅデワノカミタダアキ)である。 16世紀初めにこの…
天正3年(1575年)、島津家久(いえひさ)は薩摩から上京する。旅日記が残っている。『中務大輔家久公御上京日記』または『家久君上京日記』と呼ばれるものである。こちらから旅程を追跡してみる。 島津家久は戦国島津氏の四兄弟の末っ子である。兄に島津義…
天正3年(1575年)、島津家久(しまづいえひさ)は薩摩国から京へのぼる。その道中をつづった日記が残っている。これがかなり面白い内容なのだ! 島津家久の旅程を知ることができるほか、戦国時代の実情や当時の諸国の様子といったこともわかる。京では織田…
島津義久(しまづよしひさ)には娘が3人いる。長女は御平(於平、おひら)、次女は新城(しんじょう)、三女は亀寿(かめじゅ)と呼ばれている。 島津義久は島津氏の16代当主に数えられる。薩摩国・大隅国・日向国を制圧し、さらには九州全土へとその勢力を…
鹿児島市宇宿に天之御中主神社(あめのみなかぬしじんじゃ)が鎮座する。別称に妙見神社(みょうけんじんじゃ)とも。古くは妙見廟とも呼ばれていた。 このあたりはかつての薩摩国谿山郡宇宿のうち。『三国名勝図会』巻之十九で「妙見廟」について書かれてい…
JR南鹿児島駅前に「牛掛公園」というのがある。このあたりは「牛掛(うしかけ)」と呼ばれるところ。「牛懸」とも書く。あるいは「牛落」「牛下」とも。こちらの読みは「うしおろし」。 牛掛公園 鹿児島と谷山の間では、たびたび合戦があった。そのことも併…
中世の島津氏の惣領は奥州家(おうしゅうけ)である。そもそも奥州家とは何なのか? その始まりについて、ちょっと記事にしてみた。 島津氏が南九州の支配を確立するのは、南北朝争乱期のことである。その立役者となったのが島津氏久(しまづうじひさ)だっ…
加治木城(かじきじょう)は大隅国桑原郡加治木(「桑原郡」はのちに「始羅郡」)にあった。現在の鹿児島県姶良市加治木町である。「本城」や「古城」、「龍門ヶ城」とも呼ばれた。南九州の戦乱史において、加治木はたびたび戦いにさらされた。 長さ約1.2㎞…