ムカシノコト、ホリコムヨ。

おもに鹿児島あたりの歴史を掘りこみます

戦国時代の南九州、激動の16世紀(3)島津実久が守護を追放、島津忠良の逆襲

大永6年(1526年)の政変で、島津宗家(奥州家、おうしゅうけ)では政権移譲が成る。権力を手にしたのは、相州家(そうしゅうけ、分家のひとつ)の島津忠良(しまづただよし)だった。14代当主の島津忠兼(しまづただかね、島津勝久、かつひさ)は引退し、後…

南郷城跡にのぼってみた、ここでの攻防戦から島津忠良の反撃がはじまる

南郷城(なんごうじょう)は鹿児島県日置市吹上町永吉にある山城だ。別名に永吉城(ながよしじょう)とも。ここは、天文2年(1533年)に島津忠良(しまづただよし)によって攻め落とされた。その後、守護家の島津勝久(かつひさ、島津宗家14代当主)が城の奪…

戦国時代の南九州、激動の16世紀(2)薩州家の反撃、島津勝久の心変わり

領国経営に行き詰まった島津宗家(奥州家、おうしゅうけ)では、大永6年(1526年)に政権交代が実行された。14代当主の島津忠兼(しまづただかね、のちに島津勝久と改名)は引退し、新たに分家の相州家(そうしゅうけ)から島津貴久(たかひさ)が養子入りし…

戦国時代の南九州、激動の16世紀(1)島津忠良が実権をつかむ

14世紀の南北朝争乱期より、南九州はずっと戦乱が続く。守護の島津(しまづ)氏は領内統治に苦労する。反抗勢力に手を焼きつつ、一族内でも反乱が絶えず、収拾をつけられないままズルズルと時代は流れて、……激動の16世紀へ。 なお、記事内の日付は旧暦で記す…

精矛神社にお詣りした、戦乱を駆け抜けた島津義弘を祀る

精矛神社(くわしほこじんじゃ)は鹿児島県姶良市加治木町日木山にある。御祭神は「精矛巖健雄命(くわしほこいづたけおのみこと)」。島津義弘(しまづよしひろ)である。 精矛神社へ 島津義弘は戦国時代の名将として知られる。兵力差の不利をひっくり返し…

加治木館跡にいってきた、島津義弘の最後の居城

島津義弘(しまづよしひろ)は、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いから帰還したのち一線を退く。慶長12年(1607年)に大隅国加治木(鹿児島県姶良市加治木)に移り住み、ここで最晩年を過ごした。 隠居所としたのが加治木館(かじきやかた)だ。加治木城の麓…

平山城(帖佐本城)跡にのぼってみた、島津忠良・島津貴久も攻めた激戦の地

帖佐(ちょうさ)は大隅国の西の端に位置する。場所は現在の姶良市姶良地区(旧姶良郡姶良町)のあたりだ。交通の要衝であり、薩摩国との国境にも近く、たびたび戦の舞台となった。 姶良市鍋倉にある平山城(ひらやまじょう)は帖佐を代表する山城である。別…