「塚脇(つかわき)」というところが、鹿児島県霧島市国分上之段にある。国分の市街地からずっと東のほうの台地の上に位置する山里だ。ここに宮毘神社(みやびじんじゃ)が鎮座する。大きなカヤの御神木も存在感あり。
お詣りする
鹿児島県道478号(比曽木野福山戦)沿いに「宮毘神社」の看板がある。そこから脇道に入っていくとすぐ神社がある。


鳥居も社殿も比較的新しいものだ。手入れも行き届いている。鳥居の前には車を停めるスペースもあり。



境内はそれほど広くない。社殿の背後に大きなカヤの御神木。現地の説明看板による樹高は約24m、推定樹齢は500年以上、とのこと。



カヤの近くのちょっと登ったところには石塔や墓塔があった。かつては寺院も併設されていたのだろうか。

「力石」もあった。若い衆が石を抱えて社殿の周囲をまわるそうだ。推定重量は80㎏。情報は現地の説明書きより。

竜がいた。その下は水をためられるようになっている。口から水が出る仕組みっぽい。

森の中の素敵な空間。風が清々しい。

もとは竪山大明神社
御祭神はミヤビノカミ(宮毘神)とオオクニヌシノカミ(大国主神)としている。ミヤビノカミは、「宮比神」と同一とされるアメノウズメノミコト(天鈿女命)のことか? あるいはオオミヤノメノカミ(大宮売神)のことか?
もとは「竪山大明神社(たてやまだいみょうじんじゃ)」という。『三国名勝図会』によると、御祭神は詳らかならず、と。宮毘神社の社号は明治時代に改められたものだろう、御祭神も後付けで配された神様っぽい。もともと祀られていたのは、竪山大明神なるよくわからない神様のようだ。
寛文9年(1669年)と宝暦12年(1762年)の棟札に由緒が記されていたとのこと。それによると、元暦元年(1184年)に桓武平氏の熊谷但馬守宗直が奥州桑井津(詳細わからず)より虚空蔵菩薩を持って来て創建された、と。
熊谷(くまがい)氏は、武蔵国熊谷(埼玉県熊谷市)を本貫とする一族。桓武平氏を称するが、もともとの出自は多治比(たじひ)氏、あるいは私市(きさいち)氏とも。
熊谷直実(くまがいなおざね)・熊谷直家(なおいえ)が源頼朝に仕えて活躍。熊谷氏は奥州にも地頭職を得ている。熊谷宗直なる人物については確認できないが、こちらの一族なのだろうか。
この伝承からは、熊谷氏と関わりのあるものであると推測される。熊谷氏の一族が大隅国にも下ってきたのか。
<参考資料>
『三国名勝図会』
編/橋口兼古・五代秀尭・橋口兼柄・五代友古 出版/山本盛秀 1905年
『国分郷土誌』
編/国分郷土誌編さん委員会 発行/国分市 1973年
ほか