鹿児島市の草牟田(そうむた)に鎮座する鹿児島神社(かごしまじんじゃ)。ここには、なかなかの雰囲気を持ったタノカンサァ(田の神様)が祀られている。
南九州にはタノカンサァ(田の神)の像が大量にある。各集落にいるような感じで、その土地その土地の守り神として大事にされてきた。像の姿はいろいろ。田の神舞をする人物をかたどったものをはじめ、衣冠束帯姿・僧形・地蔵・石碑・自然石などがある。
タノカンサァ(田の神)の詳細はこちらの記事にて。
鹿児島神社は「宇治瀬大明神(うじせだいみょうじん)」とも呼ばれる。もともとは桜島を祀っていたようで、その歴史はかなり古そうである。当初は桜島沖の小島に鎮座。その後、桜島に遷座し、さらに15世紀頃に現在地に遷されたという。
鹿児島神社についてはこちら。
タノカンサァ(田の神)は境内の拝殿の向かって左前に祀られている。
自然石を加工した石碑のような姿。「田之神」と刻まれている。真新しいサカキと幣(ぬさ)が供えられている。
かたわらには小さな田の神像も。田の神舞の姿である。シキ(藁で編んだもので、米を蒸すときに使う)をかぶり、スリコギとお椀を持つ。こちらは、比較的新しいものだと思われる。
このあたりは、かつて田んぼが広がっていた。「草牟田」という地名もそのことを連想させる。鹿児島市街地中心部に近く、現在はすっかり都市化。田んぼは見当たらない。
『三国名勝図会』には宇治瀬大明神(鹿児島神社)の絵図が掲載されている。こちらでも、かつての草牟田の様子がわかる。
『三国名勝図会』についてはこちら。
神職の方の話によると、田の神はもともと田園地帯の中心部に祀られ、一帯を見守るような感じだったという。だが、都市開発が進む。そんな中で「鹿児島神社でお祀りしよう」ということになり、そして遷されたそうだ。
<参考資料>
『三国名勝図会』
編/五代秀尭、橋口兼柄 出版/山本盛秀 1905年
ほか