鹿児島市の南の方に「谷山(たにやま)」というところがある。JR谷山駅の周辺にはタノカンサァ(田の神)の石像が多く残っている。駅のそばには「永田川」というけっこう大きな川が流れている。現在は都市化が進んでいるが、かつては田んぼが広がっていたのだろう。
谷山のタノカンサァ(田の神)のなかから「木ノ下の田の神」を紹介する。
タノカンサァ(田の神)は地域の守り神。五穀豊穣や子孫繁栄の神様である。島津氏領内(鹿児島県と、宮崎県の一部)で数多くみられ、石像は18世紀以降から盛んに造られたようだ。詳しくはこちらの記事にて。
公園の片隅に
谷山駅から南に1㎞ほどのところに、「木ノ下ちびっこ広場」という小さな公園がある。その一角に「木ノ下の田の神」は祭られている。
タノカンサァと石祠が並ぶ。像には注連縄が巻かれ、供えられている榊も新しい。地域で大切にされている様子がうかがえる。
背面に紀年銘があり、宝暦6年(1756年)に造られたものとのこと。高さは約60㎝。大きなシキ(米を蒸すときに使う道具)を頭にかぶり、メシゲ(しゃもじ)とお椀を持つ。「田の神舞(タノカンメ)」の様子をかたどったものだ。
けっこう古いものだが、ものすごく状態が良い。破損や風化があまり見られない。そして、デキも素晴らしい。顔の表情なんかも繊細に造られている感じ。腕の良い石工が手がけたのだろう。
背面はこんな感じ。「宝暦六年子丙 奉供養田之神 三月吉日」の文字が刻まれている。
モイドンから遷されたもの
このタノカンサァについて調べていると、『谷山市誌』でこんな情報を見つけた。
木ノ下部落の「もいどん」は木ノ下川の改修により取こわされたが、そこにあった田の神、馬頭神、水神は移転され、慈眼寺道路の道下にのこっている。田の神は宝暦六年(一七五六)に建立されたものである。 (『谷山市誌』より)
おそらく「木ノ下の田の神」のことだろう。そして、いっしょに置かれている二つの石祠は馬頭神と水神ということらしい。
モイドンというのは南九州で見られる聖地である。たぶん、すごく古い習俗だと思われる。
漢字で書くと「森殿」。田園地帯の中にこんもりと小さな叢林があり、これを信仰の対象とした。叢林の中には大きな古木がある場合も。モイドンにはみだりに近づいてはいけないもので、立ち入ると祟りがあったりすると言われたりも。ましてや、木に触れたり枝を折ったりするのはもってのほか、と。
もともとは森や薮があるだけで、何かが置かれたりしていたわけではないようだ。森そのもの、あるいは古木が神様の依代という感じだ。ただ、時代が下るにつれて、石祠が置かれたりするようにもなったっぽい。鹿児島県内の神社の中には、このモイドンから変化したものもあるんじゃないか、と個人的には思ったりもしている。
で、取り壊されたという木ノ下のモイドンには、田の神・馬頭神・水神が置かれていた、と。集落で信仰されたこれらの神々とモイドンの関係が気になる。別々の信仰が習合してこうなったのか? あるいは、関連性があるのか?
タノカンサァ(田の神)はモイドン(森殿)とつながりがありそうな感じもするが……どうだろう?
谷山のタノカンサァ。こちらの記事もどうぞ。
<参考資料>
『谷山市誌』
編/谷山市史編纂委員会 発行/谷山市役所 1967年
『民俗神の系譜 : 南九州を中心に』
著/小野重朗 発行/法政大学出版局 1981年
ほか