タノカンサァ(田の神)はどこにでもいる、鹿児島県内では。街中でタノカンサァを見かけると、「このあたりも昔は田んぼだったんだな」と思ったりするものである。
今回は紹介するのは「新村の田の神」だ。「新村」は「しんむら」と読む。場所は鹿児島市伊敷。九州自動車道の鹿児島北インターチェンジの出入口のすぐ近く。高速道路の高架橋の下に、その姿が確認できる。
タノカンサァ(田の神)の像は、18世紀以降に島津氏領内で盛んにつくられるようになった。豊穣と子孫繁栄の神であり、その地域の守り神でもある。詳細についてはこちらの記事にて。
道路沿いにタノカンサァ(田の神)がいる。土地改良の記念碑と並んで置かれている。白い標柱もあるのでわかりやすい。
こちらのタノカンサァ(田の神)は自然石に浮彫にしたもの。石の高さは104㎝、像だけの高さは64㎝(数字は『鹿児島市内の史跡めぐりガイドブック』より)。
右手にはメシゲ(シャモジ)を、左手にはお椀を持つ。頭にはシキ(米を蒸すときに使う道具)をかぶる。いわゆる田の神舞(タノカンメ)の様子を模したスタイルだ。表情は、風化によりわからない。
すぐ近くには甲突川(こうつきがわ)が流れる。「梅ヶ淵橋」もかかる。
背面には字が彫りこまれている。紀年銘は安永7年(1778年)
伊敷には甲突川が流れている。かつては川沿いに田んぼが広がっていたことだろう。タノカンサァ(田の神)は開田事業とも関わりがある場合も少なくない。
18世紀~19世紀は薩摩藩は開田事業を積極的に行っている。甲突川からの用水路も整備された。「新村の田の神」もこれと関係があるのかも?
<参考資料>
『鹿児島市内の史跡めぐりガイドブック』
発行/鹿児島市教育委員会 1984年
ほか