タノカンサァ(田の神)は、鹿児島県内のあちこちで見かける。田んぼが広がる田舎の風景の中で、「何か石っぽいものがあるなあ」と近づくと、だいたいそれなのである。
場所は鹿児島県薩摩川内市祁答院町藺牟田の麓(ふもと)というところ。藺牟田池へ車で登っていく道の入口のあたりだ。
タノカンサァ(田の神)が畔の上に立つ。googleマップでは「藺牟田の田の神」という名でみつかる。
その姿は僧形か? あるいは地蔵立像型だろうか? 右手にはメシゲ(しゃもじ)を持つ。顔は欠けている。明治時代初めの廃仏毀釈の影響だろうか。
近くの辻にもタノカンサァがいる、土地改良の記念碑の下のほうのすき間に。こちらは「麓東の田の神」と呼ばれているようだ。
右手にメシゲ(しゃもじ)を持ち、左手には山盛りごはんのお椀。頭にはシキ(米を蒸すための道具)をかぶる。こちらは田の神舞の姿だ。
ちなみに、この辻のすぐ近くから藺牟田池へのぼる。
藺牟田池についてはこちら。
このあたりの田んぼは藺牟田池から水をひいている。
寛保元年(1741年)に藺牟田領主の樺山久初が開田事業に着手する。工藤祐善に命じて藺牟田池からの疎水工事をさせた。工藤祐善は長門国の人らしい。土木関連の技術者だろうか。工藤祐善の指揮で藺牟田池から長さ約380mの隧道を掘る。難工事だった。貫通までは14年ほどを要し、宝暦元年(1754年)に完工した。
島津氏領内では18世紀に農地開発が積極的に行われ、田の神像もこの頃から盛んに作られるようになった。
藺牟田麓の田の神の製作年代はわからない。もしかしたら、この藺牟田池疎水事業とも関わりがあったりするのかな?
タノカンサァ(田の神)についてはこちら。
藺牟田のまた別の場所にいるタノカンサァ。「大坪の田の神」。
<参考資料>
『祁答院町史』
編/祁答院町編さん委員会 発行/鹿児島県薩摩郡祁答院町 1985年