鹿児島市の北部に東佐多町というところがある。江戸時代には薩摩国鹿児島郡吉田郷東佐多村であった。この地にある鎮守神社に、タノカンサァ(田の神)がいる。「東下(ひがしもと)の田の神」と呼ばれている。
タノカンサァ(田の神)は18世紀以降に島津氏領内で盛んに造られた。鹿児島県内ではあちこちで見かける。豊穣の神として、また子孫繁栄として、それぞれの地域で大事にされている。詳しくはこちらの記事にて。
東佐多の鎮守神社へ。境内には「東下の田の神」の白い標柱もある。ここには、田の神像をはじめ石祠などが集められている感じだ。ちなみに鎮守神社の御祭神は不明。創建時期も不明。
タノカンサァ(田の神)はすぐに見つかる。注連縄がかけられ、榊が供えられている。地域で大事にされているようだ。
体形はふくよか。右手にはメシゲ(しゃもじ)を持ち、左手にはお椀を持つ。頭には大きなシキ(米を蒸すときに使う道具)をかぶる。田の神舞(タノカンメ)の様子を模したものだ。高さは120㎝ほど。黒色の凝灰岩を彫り込んだもので、赤色の彩色のあとも見られる。
たれ目と福耳が特徴的。表情は笑っているようにも見える。
「東下の田の神」は、近隣にある「触田の田の神」(鹿児島県姶良市平松)や「鵜木の田の神」と作風がよく似ている。
「触田の田の神」は元文2年(1737年)造立。「鵜木の田の神」は享保21年(1736年)造立。作者はともに前田喜八であるという。「東下の田の神」も同じ作者によるもので、これらと近い時期に造られたと考えられている。
鎮守神社の境内の石祠にはこんな文字も。「庚申成就 石切 前田喜八」とある。
<参考資料>
『吉田町郷土史』
編/吉田町郷土史編纂委員会 発行/吉田町長 大角純徳 1991年
『鹿児島市 史跡めぐりガイドブック』(五訂)
発行/鹿児島市教育委員会 2016年
ほか