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皇子原神社と古墳群、狭野尊(神武天皇)御降誕の伝承地

宮崎県西諸県郡高原町に狭野神社(さのじんじゃ)が鎮座する。狭野尊(サノノミコト、神武天皇)を御祭神とする。この元宮とされるのが皇子原神社(おうじばるじんじゃ)だ。

狭野神社の西側には丘陵地形がある。皇子原(おうじばる)と呼ばれる。この地には狭野尊(神武天皇)御降誕地の伝説がある。ここに皇子原神社が鎮座している。

 

 

 

 

 

狭野神社の元宮

狭野神社の社伝によると、第五代孝昭天皇の御代に創建されたと伝えられている。当初の鎮座地は鎮座地神武天皇御降誕の地とされる皇子原。その後、敏達天皇の御代(6世紀)に皇子原から現在地に遷されたとされる。

境内は霧島連山の裾野にあたる。高千穂峰の御鉢火口からは6㎞ほどの位置。ここはたびたび火を噴く。噴火のために狭野神社は焼失し、仮宮を転々とした歴史を持つ。皇子原から神社が遷されたのも火山噴火の影響があってのことだろう。

 

現在、皇子原神社は狭野神社の境外末社となっている。狭野神社の参道は国道からまっすぐ伸びる。国道沿いの一の鳥居から狭野神社までは約1.3km。そこからさらに約1.2kmの参道が皇子原神社へと続いている。

 

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皇子原へ

狭野神社の西参道口から、さらに西へと道路が伸びている。宮崎県道406号を西方向へ道なりに行くと皇子原だ。高台には「皇子原公園」が整備されている。皇子原神社もこの公園内にある。

公園事務所の近くに鳥居がみつかる。ここが皇子原神社の参道口だ。すぐ近くには公園の駐車場もある。

 

鳥居と石段

皇子原神社の参道口

 

鳥居と石段

一の鳥居、奥に二の鳥居も見える

 

石段を登っていく。

 

石段を登る

まっすぐな石段

鳥居と祠

二の鳥居

 

簡素な祠がある。この場所が狭野尊(神武天皇)御降誕の伝承地とされる。

 

皇子原神社

御降誕地に祠がある

 

御神体は「産場石(うべし)」と呼ばれる石である。ここが産屋であったとも、産湯を使った場所とも伝わる。

 

 

 

皇子原古墳群(高原町古墳群)

境内には6基の円墳がある。「高原町古墳群」または「皇子原古墳群」と呼ばれている。調査は行われていないために詳細は不明。現地の看板によると、5世紀後半から6世紀前半頃のもので、西諸県に多い地下式横穴墓だと考えれている、とのこと。

祠の裏手のほうに墳丘と思われるものが確認できる。

 

紅葉が映える

皇子原神社の境内

 

古墳群

二号墳(右)と三号墳(左)

 

円墳

五号墳

 

そして、皇子原神社の祭壇(=御降誕伝承地)が一号墳だ。

 

古墳の上に祠がある

「一号墳」を示す標柱

 

少し離れて見ると、墳丘の感じがわかる。

 

皇子原神社

御降誕伝承地は古墳の上

 

 

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<参考資料>
『三国名勝図会』
編/橋口兼古・五代秀尭・橋口兼柄・五代友古 発行/山本盛秀 1905年

『高原町史』
編/高原町史編さん委員会 発行/高原町

『狭野神社略紀』
編/狭野神社社務所 2014年

『古事記』(岩波文庫)
校注/倉野憲司 発行/岩波書店 1963年

ほか