ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

蒲生の大楠、国が公認した「日本一の巨樹」

これぞ「巨樹」という言葉がぴったりだ。とにかく大きい。存在感は圧倒的だ。そしてミシミシと生命力が伝わってくるのである。

「蒲生の大楠」は蒲生八幡神社の御神木である。鹿児島県姶良市蒲生町にある。ほかに「蒲生の大クス」「蒲生のクス」といった表記も見られる。

 

 

御神木と社殿

蒲生八幡神社

 

蒲生八幡神社についてはこちらの記事にて。

rekishikomugae.net

 

 

 

 

とにかくデカいぞ!

巨樹は拝殿の横にある。大きく広げた枝葉が覆いかぶさるような感じだ。推定樹齢は1500年以上とされる。根回り約33.57m、幹回り約24.22m、樹高約30m。なお、盛土をしたことで根元は2mほど埋もれていて、根回りはもっと大きい。

 

そびえる巨木

蒲生の大楠

 

大正11年(1922年)3月8日に国の天然記念物に、さらに昭和27年(1952年)3月29日には国の特別天然記念物に指定されている。また、昭和63年度に環境庁が実施した巨樹・巨木林調査では「日本一の巨樹」に認定。その後の調査においても、引き続き「日本一」の座にある。


見る角度によって「蒲生の大楠」は表情を変える。

大樹の向こうに社殿

社務所の前から

 

展望デッキもあり。根元を踏むことなく、幹を間近に見ることもできる。コケや着生植物もあり、虫や鳥も木に寄りつく。巨木にたくさんの生命が絡みついている。

大楠を見学できる

小さな鳥居をくぐってデッキへ

 

巨木の幹

幹を間近で見る

 

幹にはゴツゴツとしたコブがある。幹の内部には直径約4.5m(8畳敷き)の空洞がある。ふだんは扉が閉められている。

大楠の根元

根元に扉がある

 

蒲生八幡神社の巨木はクスノキだけではない。

 

拝殿に向かって右側にカヤ(榧)の巨木。

神社の大木

カヤ

 

石段の近くにモミ(樅)。

境内の大木

モミ

 

木が育ちやすい環境なのだろうか。

ちなみに蒲生八幡神社の創建は保安4年(1123年)と伝わる。「蒲生の大楠」は、神社創建時にすでにかなりの大木だったということになる。

 

 

「鹿児島県の木」

クスノキは「鹿児島県の木」にも指定されている。「○○の大楠」と呼ばれる古木もあちこちにある。そして、大事にされてきた。例えば、以下のごとし。


志布志の大クス

鹿児島県志布志市志布志町安楽に鎮座する山宮神社(やまみやじんじゃ)の御神木。樹高は約22m。推定樹齢は約1200年。天智天皇のお手植えという伝説もある。国の天然記念物。

 

塚崎の大楠(塚崎のクス)

鹿児島県肝属郡肝付町の塚崎古墳群(つかざきこふんぐん)にある。塚崎古墳1号墳の上に生える。推定樹齢は1200年以上。国の天然記念物。

 

大汝牟遅神社の大楠

鹿児島県日置市吹上町中原に鎮座する大汝牟遅神社(おおなむちじんじゃ)の御神木。樹齢は1000年以上とも。社域には「千本楠」と呼ばれる場所も。ここにはクスノキの古木が群生している。

 

出水の大楠

鹿児島県出水市上鯖渕にある。推定樹齢は1000年以上とされる。

 

川辺の大クス

鹿児島県南九州市川辺町宮に鎮座する飯倉神社(いいくらじんじゃ)の御神木。「宮の大クス」とも呼ばれている。推定樹齢は約1200年。

 

 

鹿児島藩(薩摩藩)と樟脳

クスノキからは樟脳がとれる。樟脳は鹿児島藩(薩摩藩)の特産品であった。

樟脳は江戸時代には日本の主要輸出品の一つであった。そして、その製造は鹿児島藩(薩摩藩)が大部分を占めていた。鹿児島藩(薩摩藩)では寛永14年(1637年)に輸出の記録があり、17世紀初め頃には製造が始まっていた。

島津氏の領内には天然のクスノキがたくさんあった。そこから樟脳を製造する。そして、クスノキは藩により厳しく管理されていた。樟脳は藩の専売品であり、藩財政を支える重要品目であった。

 

クスノキがもともとたくさん生えていた、ということだろう。そして、大事にされてきたこともうかがえる・

 

 

 

 

 

 

 

<参考資料>

『樟脳専売史』
発行/日本専売公社 1956年

『鹿児島県史 第2巻』
編・発行/鹿児島県 1939年

ほか