鹿児島県姶良市に大山(おおやま)という地域がある。やや内陸に入ったところに田んぼが広がっている。ここにタノカンサァ(田の神)がいる。
鹿児島県や宮崎県には、田の神像があちこちにある。豊作をもたらす田の守り神だ。18世紀頃からつくられるようになったようで、各集落で親しまれ、大事にされてきた。現在も、その数はものすごく多い。
タノカンサァ(田の神)の詳細はこちらの記事にて。
日枝神社の近くに
大山はかつては大隅国始羅郡(しらのこおり)の山田郷のうちにあった。鹿児島県道391号を山田小学校のやや南のあたりから東方向の道に入る。ちょっと行くと、鳥居が見える。日枝神社である。神社近くから脇道に入ってすぐのところで、タノカンサァ(田の神)と会える。「大山の田の神」と呼ばれている。Googleマップにもそう出ている。
天明元年(1781年)につくられたものとのこと。やや風化がすすんでいるが、姿はよく残っている。
メシゲ(シャモジ)を両手で持ち、頭にはシキ(米を蒸すときに使う道具)をかぶっている。
表情はよくわからないが、微笑んでいるようにも見える。着色されていた形跡も確認できる。
こんな感じで、田んぼを見守っている。
田園風景のなかに
神社の前で道はカーブしている。そのまま奥へと進む。こっちにも田んぼが広がっている。こちらにもタノカンサァ(田の神)がいる。下の写真の中央奥のやや左よりのあたりに立っている(写真では遠くてよく見えない)。
しばらく進むと、脇道に「この先行き止まり」という看板がある。この行き止まりにタノカンサァ(田の神)がいる。「大山東の田の神」と呼ばれている。
寛延4年(1751年)の紀年銘が確認できる。右手にはメシゲを持つ。ヘラのほうを下に向けている。左手は欠けていてわからず。頭にはシキをかぶる。腰には刀を差しているっぽい。こちらも着色がある。
表情もきれいに残っている。
かなり古いものだが、風化が少なく、とても状態が良い。
調べてみると、もともとは「持ち回り」だったという。「持ち回り」で地域の家々をまわり、屋内で祀られるケースはけっこう多い。近年になってここに置かれたようだ。