鹿児島県枕崎市妙見町に下園という集落がある。ここの公民館の敷地内に石祠がある。祭祀されているのは「モモカンドン」と呼ばれる神様だ。
モモカンドンは牛神のこと。「モモ」は牛の鳴き声からだろうか。ほかに「モモドン」「ウッジュイドン」「ウイドン」と呼ばれたりもする。古い農耕神であるという。
細長い石と丸い石と
モモカンドンのある下園公民館へ。けっこう雨降りの中での訪問となった。歓迎されていないのかな?
道路沿いに祀られていた。石祠の中をのぞくと「細長い石」と「丸っこい石」が安置されていた。これがモモカンドンのようだ。
中のほうはなんとく撮影しちゃいけないよう気がして、写真はない。ただ、石祠の前にも「細長い石」と「丸っこい石」がある。イメージ的には、祠の中の石もこんなような形状をしている。
祠の中にあるものが本体で、外にあるのは形代(レプリカ)のようなものだろうか? よくわからない。
ふたつの石は、牛の「舌」と「頭」をあらわすものであるとも。なんとなく、陰陽石の要素もあるような気もする。
モーモーと言いながら餅を引っぱり合う
モモカンドンについて調べてみようと思い、資料を探してみた。なかなか出てこないのである。なんとか『民俗神の系譜 南九州を中心に』という本で情報を見つけることができた。著者の小野重朗(おのじゅうろう)氏は、南九州の民俗学の研究者だ。
『民俗神の系譜 南九州を中心に』を参考に記事をすすめる。ただし、1981年発行と昔の本であることを断っておく。
かつて、下園のモモカンドンの祭事が旧暦10月の亥の日に行われていた。餅をついて「牛の舌餅」をつくり、藁ツトに入れたものを子供たち(男の子に限る)がモモカンドンに供えにいく。そして、子供たちは四つん這いになって「モーモー」といいながら神様のまわりぐるぐると。また、口で「牛の舌餅」をくわえ、引っぱり合う。餅がちぎれ、その分だけ食べることができる。
…と、なかなかに奇妙な行事である。
枕崎市役所に問い合わせたところ、この行事は途絶えているとのこと。なお、ネット検索をしたところ2022年に「大人が餅を引っぱり合った」というニュース記事が見つかった。
『民俗神の系譜 南九州を中心に』によると、笠沙町黒瀬(南さつま市)には「ウイドン」があるらしい(現在はどうなっているのか、調べたけどわからず)。田の中に自然石が立ててあるとのこと。こちらも旧暦10月の亥の日に、下園とほぼ同じ行事が行われていたという。
自然石などの依り代はないものの、旧暦10月の亥の日の行事はほかの場所にも。薩摩半島の西南部のいくつかの場所で見られたという。
オツッドン(月神)
薩摩や大隅には「オツッドン」なる神様も。こちらは「月神」である。
枕崎市の田布川では旧暦10月に「亥の日の祭り」を行うのだという(『民俗神の系譜 南九州を中心に』より、現在は行われていないかも)。オツッドンは丸い石を御神体とし、ふだんは土に埋めているそうだ。
このオツッドンの祭りでも、子供が「モーモー」といって牛の真似をする。そして、餅の引っ張り合いも。
モモカンドンとオツッドンにもつながりがありそうだ。「牛」と「月」と……その組み合わせもなんだか気になる。
タノカンサァ(田の神)の源流のひとつか?
薩摩半島中南部では、田の神講(たのかんこ)の中でも「モーモーといいながら餅を引っぱり合う」ということが行われるケースもあるという(『民俗神の系譜 南九州を中心に』より)。
田の神講は、タノカンサァ(田の神)に関わる行事である。鹿児島県内には18世紀頃から田の神像が盛んに造られるようになり、地域ごとに守り神とした。そこにモモカンドンの要素が見られるのである。
こんな可能性が考えられる。
【1】モモカンドンの信仰とタノカンサァの信仰が別々にあり、ふたつが重なりあったところでタノカンサァに習合した。
【2】モンカンドンの信仰がタノカンサァの信仰に変化した。
『民俗神の系譜 南九州を中心に』の中で、小野氏は【1】の可能性のほうが強いという見解を示している。
また、鹿児島の農耕関連の祭事には牛がよく出てくる。このあたりにも、モモカンドンのエッセンスが残っているのかも。
ちなみに、枕崎市にはタノカンサァが3体しかない。鹿児島県の他の地域と比べて、これはひときわ数が少ないのである。そんな地域に、モモカンドンの信仰が残っているのも興味深いところである。
<参考資料>
『民俗神の系譜 南九州を中心に』
著/小野重朗 発行/法政大学出版局 1981年