ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

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西郷隆盛蘇生の家、鹿児島湾に入水するも助けられる

鹿児島湾岸の国道10号沿いに茅葺屋根の民家がある。江戸時代末期のものが復元されている。ここは「西郷隆盛蘇生の家」と呼ばれている。

 

線路沿いの古民家

国道から線路を挟んで茅葺屋根が見える

 

安政5年(1858年)、冬の鹿児島湾に西郷吉之助(当時の諱は西郷隆永、のちに西郷隆盛)と月照(げっしょう)は身を投げた。海から救い出され、ここに運び込まれた。西郷吉之助は息を吹き返す。

なお、日付については旧暦で記す。

 

 

 

 

 

 

安政の大獄で追われる身となる

安政5年(1858年)、幕府では将軍継嗣問題で揺れ動いた。紀伊藩主の徳川慶福(よしとみ、のちの徳川家茂)を推す者たち(南紀派)と、一橋家の徳川慶喜(よしのぶ)を推す者たち(一橋派)とが対立していた。

鹿児島藩主の島津斉彬(しまづなりあきら)は一橋派にあった。西郷吉之助は島津斉彬に命じられて動く。左大臣の近衛忠煕や清水寺住職の月照の協力を得て、朝廷工作を行っていた。

 

13代将軍の徳川家定の病状が悪化するなかで、4月に南紀派の中心人物である井伊直弼(いいなおすけ)が大老に就任する。一橋派の抵抗を押し切って、6月25日には後継者を徳川慶福とすることを発表する。

薩摩にあった島津斉彬は、抗議のために兵を率いて上洛することを計画。しかし、練兵の際に発病し、7月16日に急死した。

その知らせを受けて西郷吉之助は殉死しようとするが、月照が説得して思いとどまらせた。主君の遺志をついで西郷吉之助は活動を続ける。

 

井伊直弼は一橋派を激しく弾圧する。藩主クラスには蟄居など厳しい処分が下され、その家臣には逮捕される者もあった。「安政の大獄」と呼ばれるものである。西郷吉之助と月照も追われる身となった。

西郷吉之助は月照を薩摩で匿うことを計画。有村俊斎(ありむらしゅんさい、のちの海江田信義)に月照を託して薩摩に逃がすこととする。博多からは平野国臣(ひらのくにおみ)が警護し、11月9日に月照は薩摩に入る。

別行動をとっていた西郷吉之助は、10月6日に鹿児島に戻っていた。月照を匿えるように根回しをするために先乗りしていたのだ。だが、島津斉彬なきあと、前藩主の島津斉興(なりおき、島津斉彬の父)が藩政を掌握し、幕府には逆らわない方針に変わっていた。

 

鹿児島湾に入水する

結局、藩では月照を匿わないこととなった。月照は「東目送(ひがしめおくり)」に。日向国への追放処分であるが、実際には国境付近で斬り捨てることになる。11月15日、西郷吉之助と月照は鹿児島を出航した。平野国臣も船に同乗する。

 

船上で月照は詠じる。

曇りなき心の月も薩摩潟
沖の波間にやがて入りぬる

 

もう一首。

大君のためになにかをしからん
薩摩の迫門(せと)に身は沈むとも

 

 

これに西郷吉之助は返す。

ふたつなき道にこの身を捨小舟
波たたばとて風ふかばとて

 

二人の辞世の歌であった。

 

鹿児島湾を船が進む。大崎ノ鼻の沖合にさしかかったところでドボンと音がした。西郷吉之助と月照が入水したのである。異変に気付いたのは平野国臣だった。船上の者たちに声をかけ、すぐに救出活動へ。冬の海から二人は引き上げられた。

船は大崎ノ鼻から南へ2㎞ほどの場所にある、花倉(けくら)に接岸。入水した二人は漁師の坂下長右衛門の家に担ぎ込まれた。西郷吉之助は命をとりとめた。しかし、月照は助からなかった。11月16日未明のことであった。


この事件ののち、藩は「西郷吉之助は死んだ」とした。幕府からの追求から隠すためであった。菊地源吾と名を変え、奄美大島に潜居することになる。

 

 

桜島がよく見える場所

「西郷隆盛蘇生の家」を訪れる。場所は鹿児島市吉野町。国道10号沿いの「花倉」バス停のすぐ近くだ。

バス停と海と桜島

「花倉」バス停

 

道路から、JR日豊本線の線路をはさんで「西郷隆盛蘇生の家」が見える。踏切を渡る。ここに記念碑もある。

遮断機と記念碑

踏切の向こうに

 

記念碑には「西郷先生蘇生之遺蹟」の文字。昭和2年(1927年)の建碑。揮毫は海軍大将の東郷平八郎(とうごうへいはちろう)。西郷隆盛とは同郷である。

石碑がたつ

記念碑

 

記念碑のあたりから、線路越しに海をのぞむ。ここも絵になるなあ。

線路越しの風景

踏切を振り返る

 

線路沿いの古民家。ここで西郷吉之助が介抱された。

茅葺屋根の古民家

西郷隆盛蘇生の家

 

ここからも桜島がよく見える。

古民家と桜島

海のほうを見る

 

「月照上人遷化之地」碑もある。

石碑

月照の記念碑も

 

坂下長右衛門(坂下長右ェ門)の誕生地を示す記念碑もあった。

石碑

「坂下長右エ門誕生之地」碑

 

 

 

 

 

<参考資料>
大西郷全集 第3巻
編・発行/大西郷全集刊行会 1927年

ほか