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『だんドーン』第1巻(作/泰三子)、川路利良の新たな魅力が描き出される

思ってもみなかったのである。まさか、川路利良(かわじとしよし)を主役にした漫画が出てくるなんて! 連載が始まったとき、驚いた。

そして、これが面白いのである!

 

その作品は『だんドーン』という。作者は泰三子(やすみこ)氏。2023年6月に『週刊モーニング』(講談社)で連載開始。2023年10月に単行本の第1巻が発売された。

「大警視川路利良誕生之地」碑の前で

『だんドーン』第1巻、川路利良誕生地にて

 

 

川路利良は日本の警察制度をつくり、初代の大警視(現在の警視総監にあたる)を務めた人物。漫画の主役とするには、なかなかにマニアックな人選である。

泰三子氏の代表作は『ハコヅメ ~交番女子の逆襲』。警察の日常を描いた作品だ。自身も警察官として10年間勤務した経験を持つ。そんな作者が日本の警察制度の原点となる人物を描くのである。

 

なぜこの作品を描くことになったのか? 単行本の中で作者が語っている。

「今連載している現代警察が舞台の『ハコヅメ』という漫画を本気で描き切るには、まず川路大警視の物語を書くべきなんじゃないのか?」と考えるようになりました。 (『だんドーン』第1巻に収録の作者コラムより)

そんなわけで『ハコヅメ』の連載をいったん中断して、『だんドーン』の連載が始まった。

 

 

 

川路利良の若い頃

川路利良は通称を「正之進」という。のちに「龍泉」の雅号も。

天保5年(1834年)の生まれで、出身地は薩摩国日置郡の比志島(ひしじま)村。現在の鹿児島市皆与志町である。

比志島は鹿児島城下から北へ10kmほどに位置する。「鹿児島城下近在」とされ、鹿児島城下には含まれないけどその管轄下にある、というような感じである。その「鹿児島城下近在」のなかで、比志島はだいぶ遠い。

 

鹿児島市皆与志町の「川路大警視誕生地」。石段を登ると石碑がある。記事冒頭の写真はこちらの「大警視川路利良誕生之地」碑前で撮影したもの。

史跡、石段の上に記念碑

比志島の誕生地

 

誕生地前のバス停は「大警視」である。

バス停

バス停「大警視」

 

川路家は「与力」という身分。これは準士分であった。『だんドーン』の中では「ギリで武士の家」と説明されているが、まさにそんな感じである。

 

川路利良の若い頃の記録はあまりない。インターネット上で探してみたところ、公爵島津家編纂所の『川路利良履歴資料』というのがあるという。『警察政策学会資料110』(警察政策学会のホームページにある)の中で紹介されていたので、こちらを参考にする。

『川路利良履歴資料』によると、弘化4年(1847年)に島津斉彬(しまづなりあきら)の御供として江戸に上がった、という。このとき13歳。身分の低い川路利良がどういった経緯で召し抱えられたのか? 不思議なものである。

嘉永4年(1851年)に島津斉彬が藩主となり、同年に薩摩へ入る際には先ぶれの飛脚を務めたという。このとき17歳。島津斉彬から信任が厚いことがうかかえる。このほかにも「飛脚」の仕事をたびたび任され、あちこちに島津斉彬の書状を届けていたようだ。

 

 

物語は青年期から始まる

鹿児島県では、川路利良はあまり人気がなかった。というのも、明治10年(1877年)の西南戦争で政府側についたから。「恩人である西郷隆盛を裏切った」というふうに見られていたのである。ただ、最近では銅像がつくられたりと、鹿児島県内でも再評価されてきている印象もある。

川路利良について取り上げられるのは、西南戦争前後のことがほとんど。NHK大河ドラマの『翔ぶが如く』でも『西郷どん』でもそうだった。川路利良関連の書籍を見ても、警察制度創設と西南戦争のことばかりが書かれている。若い頃の情報は少ない。資料がない、研究が進んでいない、という実情もある。

一般的な川路利良像というのは、そんなところから来ている。


で、『だんドーン』ではというと……川路利良の青年期から始まる。

江戸藩邸で島津斉彬に仕える川路正之進(川路利良)の姿が、イキイキと描かれている。これまでのイメージとはだいぶ違う川路利良なのだ。

 

冒頭で西郷吉之助(西郷隆盛)と出会い、行動をともにすることに。

西郷吉之助(西郷隆盛)は安政元年(1854年)に江戸詰めとなる。御庭方役を務めた。御庭方役の役目はそのまま庭の管理人なのだが、島津斉彬のすぐ近くに仕える。島津斉彬の使者を務めたりもしている。

西郷吉之助が江戸に来て、間もない頃のこと。川路と西郷は、島津斉彬の命令(非公式なものかな)をこなしていく。

 

川路正之進は「察しのいい男」として描かれる。小さな気付きから、情報を把握していくことができる。

西郷吉之助は「空気の読めない男」。何を考えてるのかわからない、得体の知れなさが感じられる。使者にたって失礼をかますこともあるが、なぜか藩主クラスの偉い人には好かれる。

このコンビが、なんとも面白い感じなのだ。

 

 

幕末を軽妙に描く

コメディーである。全体的なノリは軽い。主君の島津斉彬をはじめ、大物であってもどこかオチャラケた雰囲気である。

この感じはいいなあ、と個人的には思う。幕末は混沌としていて状況がわかりにくいものである。これを『だんドーン』では、かみ砕きにかみ砕いて、現代の感覚も交えつつ、説明してくれる。

時代の動きを川路利良という身分の低い人物の目線で描いている、というのもわかりやすい。また、「察しのいい男」という人物設定も、時代を見るという点ではいい感じだ。

幕末から明治にかけての動きを理解するのにも、良い作品となりそうだ。

 

 

新たに史実が掘り起こされる!?

フィクションが多分にあるものの、史実をしっかりと押さえている印象だ。物語序盤の展開についても、史実はこんな感じだったんじゃないかという気もする。

単行本収録のコラムによると、『だんドーン』では郷土史家が歴史監修を行っているとのこと。川路利良については、あまり研究が進んでいない。ただ、この郷土史家の方が埋もれた史実をどんどん掘り起こしているとのこと。

この作品を通して、新たな川路利良像が見えてくることになりそうだ。楽しみである。

 

 

 

鹿児島県に銅像がふたつ

余談である。

川路利良の銅像は鹿児島県内にふたつある。漫画で興味を持って訪れる人が増えるといいな、と。


まずは鹿児島市鴨池にある「川路大警視像」 。鹿児島県警察本部の建物の前に立っている。警察の建物に背を向け、市民を見守るような感じだ。

川路大警視像。

鹿児島県警察本部前に

 

聲無キニ聞キ
形無キニ見ル

 

と台座にはある。こちらは川路利良の言葉をまとめた『警察手眼』からの一節である。

探索の道微妙の地位に至ては聲無きに聞き形無きに見るが如き無声無形の際に感覚せざるを得ざるなり。(『警察手眼』より)

 


もうひとつは霧島市横川町にある。川路家のルーツはこの地にあるという。

緑の中の銅像

横川の川路利良像

 

川路氏は、もともとは伴姓の北原(きたはら)氏の一族であったという。

北原氏は肝付(きもつき)氏の支族で、当初は大隅国串良(くしら、鹿児島県鹿屋市串良町)を領した。串良の木田原(北原)に城を築いて住んだことから北原氏を称したとされる。

14世紀に北原氏は日向国真幸院(まさきいん、現在の宮崎県えびの市。小林市のあたり)
を領するようになり、さらには大隅国桑原郡の筒羽野・栗野(つつはの・くりの、現在の鹿児島県湧水町)、そして横川も支配下においた。16世紀半ば頃まで、大きな勢力を有していた。

 

rekishikomugae.net

 

 

しかし、家督相続問題にからんで、北原氏は伊東義祐(いとうよしすけ)や島津貴久(しまづたかひさ)の介入を受けることに。北原氏は島津貴久の傘下に入ることとなるが、一族の中で横川城主の北原伊勢介は伊東方についた。永禄5年(1562年)に島津忠平(ただひら、島津義弘、よしひろ、貴久の次男)らの軍勢が横川城を攻める。そして陥落させた。

 

rekishikomugae.net

 

北原伊勢介の一族のなかに城を脱出した者があった。大隅国蒲生(かもう、鹿児島県姶良市蒲生町)に逃れ、「北原」の名乗りを避けて「川路」を称した。これが、川路利良の祖先にあたるという。さらにその後、川路家は比志島に移った。

 

横川の銅像の横には「民部塚」なるものも。北原伊勢介の弟の北原民部之助が自害した場所がここだと伝わる。また、横川は西南戦争の激戦地でもある。

小さな塚と銅像

民部塚

 

 

<参考資料>
『だんドーン』第1巻
著/泰三子 発行/講談社 2023年

『川路大警視』
著/中村徳五郎 発行/日本警察新聞社 1932年

『警察政策学会資料110』
発行/警察政策学会 2020年

『旧記雑録 後編一』
編/鹿児島県維新史料編さん所 発行/鹿児島県 1981年

ほか