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大友能直って何者なの? 大友氏の出自をちょっと調べてみた

大友(おおとも)氏は豊後国・豊前国(現在の大分県)を拠点に九州北部に君臨した一族である。その歴史は、大友能直(おおともよしなお)がこの両国の守護に任じられたことに始まる。

大友氏の出自を調べていくと、気になることも出てくるのである。

 

 

大友能直の略歴

大友能直は源頼朝に仕えた。『吾妻鏡』の文治4年12月17日(1189年1月)の条に、大友能直が出仕したことが書かれている。源頼朝にとって「無双寵仁」(いちばんのお気に入り)の家臣だったとも。大友能直は文治5年(1189年)の奥州合戦に従軍して活躍。また、建久4年(1193年)の「曾我兄弟の仇討ち」事件の際には、刀をとって自ら戦おうとした源頼朝を諫めて止めたことも伝わっている(『吾妻鏡』より)。

 

建久7年(1196年)1月17日、大友能直は豊後国・豊前国の守護に補任。あわせて鎮西奉行にも任じられたとされる。同年、豊後に兵を率いて入国したとも伝わる。速見郡脇濱(現在の大分県別府市のあたり)に着船し、大野郡神角寺山(現在の豊後大野市)で幕府に抵抗する国人衆を平定したという。

山間での合戦絵図

神角寺山の合戦絵図、『大友能直御一代記』より(国立国会図書館デジタルコレクション)

 

初代の大友能直・2代目の大友親秀(ちかひで)はおもに鎌倉に在任。豊後・豊前には代官を置いて統治していた。前述の入国に関しても、史実性はちょっとあやしいところである。

 

九州に移住したのは、3代目の大友頼泰(よりやす)の時代であった。これは、元寇への対応のために幕府から領国への下向が命じられたことによる。この頃から、九州では大友氏・少弐(しょうに)氏・島津(しまづ)氏の3つの守護家が、領国に定着していく。

 

 

 

 

 


名乗りは「近藤」「古庄」「中原」「大友」

大友能直はもともと「近藤能直(こんどうよしなお)」と名乗った。あるいは「古庄能直(ふるしょうよしなお)」とも、「中原能直(なかはらのよしなお)」とも。

大友能直は相模国(現在の神奈川県)の出身とされる。父は近藤能成(こんどんよしなり)、母は利根局(とねのつぼね)または大友局(おおとものつぼね)という名が伝わっている。

近藤能成は相模国愛甲郡古庄(ふるしょう、現在の神奈川県厚木市)の郷司であった。所領にちなんで古庄氏とも称した。そして「大友」というのは、相模国足柄上郡大友(神奈川県小田原市の大友)に由来する。こちらは母方の波多野(はたの)氏の所領である。この地を継承することになり、「大友能直」と名乗るようになったのだという。

 

また、近藤能成は若くして亡くなったため、大友能直(近藤能直、古庄能直)は中原親能(なかはらのちかよし)の猶子として育てられた。それで、中原姓も名乗ったらしい。中原親能は幕府で要職を務める。「十三人の合議制」のひとりで、政所公事奉行人や京都守護に任じられている。中原親能との縁が、大友能直の出世に大きく影響したことは容易に想像できる。

大友局(利根局)と中原親能の妻が姉妹であったともされる。また、中原親能は豊前国・豊後国に所領を持ち、これを猶子である大友能直に相続したとも考えられる。

 

大友能直には源頼朝の御落胤という伝説も。大友局(利根局)が源頼朝の子を身籠り、御台所(北条政子)が深く妬んだため、子は中原親能に預けられた、と。ただし、これを裏付ける史料は見つかっていない。

ちなみに、島津氏祖の惟宗忠久(こねむねのただひさ、島津忠久)にも源頼朝の御落胤という伝説がある。話の流れも、ちょっと似ていたりもする。

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重要なのは母方の家柄か?

普通に考えるともっとも強い名乗りは「中原」なのではないだろうか。中原親能が幕府の要職にあるのだから。でも、あえて「大友」なのである。その理由は何だろう? まずは、それぞれの家柄について見てみる。

 

近藤氏は、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の後裔を称する。「近」は近江国に由来するという。

また、大友局(利根局)は波多野経家(はたのつねいえ)の娘とされる。波多野経家は上野国利根荘(とねのしょう、群馬県沼田市のあたり)の郡司であったとされるが、相模国の大友を本貫としたという。それで「大友経家」とも呼ばれている。

波多野氏も藤原秀郷の後裔を称する。相模国波多野荘(はたののしょう、神奈川県秦野市のあたり)を開墾した一族とされる。

 

中原氏は明経道・明法道に関わる家柄である。もともとは十市(とおち、といち)氏で、大和国十市(とおいち、奈良県橿原市のあたり)から起こった古代氏族の流れをくむ。中原親能の出自も諸説あり。藤原光能(みつよし)の子で、母方の中原氏の養子に入ったとも伝わる。

 

近藤氏(古庄氏)と波多野氏(大友氏)、そして中原氏はもともと深いつながりがあったのではないかと思われる。

能直は古庄と大友を相続することになったが、「大友」「波多野」のほうが重要な土地、あるいは家柄だったのだろう。

 

もちろん、たんに大友氏に後継者がいなかったから、という可能性もある。「大友」の地が大友経家から中原親能に相続され、さらに大友能直に相続されたとも考えられる。

 

 

波多野氏の祖は佐伯経範

大友・波多野のラインが重要である、という仮説のもとにもうちょっと考察してみる。

 

波多野氏は前述のとおり藤原秀郷の後裔を称しているが、波多野氏の祖は佐伯経範(さえきのつねのり)とされる。相模国波多野荘に土着していたことから、「波多野」を名乗ったのだという。

『陸奥話紀』に佐伯経範の名が出てくる。源頼義(みなもとのよりよし)の家人で、前九年の役(1051年~1062年)に従軍して討ち死にしている。相模国の人であるとも書かれている。

 

佐伯経範の出自については、藤原公光(ふじわらのきんみつ、藤原秀郷の後裔)の子と伝わる。ただ、だいぶあやしい感じがする。

『秦野市史 本編』では、波多野氏のルーツが秦氏にある可能も指摘されている。古くから相模国司には秦氏の名が見える。秦三田次・秦井手乙麻呂・秦為彦・秦連正など。秦氏の一族が藤原秀郷の後裔を称した、と。

 

「佐伯」を名乗りとしたのは、母が佐伯氏の出身であるとも伝わる。この「佐伯」も気になるところ。

 

 

「佐伯」って何だ?

古代において「佐伯部」という軍事集団があった。ヤマトに従った蝦夷が従事していたとも伝わる。佐伯部は播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波などに送られたという。

佐伯氏は、この佐伯部につながる。佐伯部と関係のある家柄であったり、「佐伯」に由来する地名からとっていたり……と、そんな感じであろう。

 

有力な佐伯氏のひとつに、大伴室屋(おおとものむろや)を祖とする一族がある。大伴氏は軍事を司る古代氏族として知られ、「佐伯部」を率いていた。大伴室屋の子のひとりが「佐伯連(さえきのむらじ)」を名乗ったという。佐伯連は朝廷に仕え、軍事や警固などを行っていた。武人の一族であった。のちに宿禰(すくね)姓を賜る。

地方豪族に佐伯直(あたい)・佐伯造(みやつこ)・佐伯首(おびと)などもある。佐伯部氏もいる。これらは佐伯部に関わりがある氏族と見られ、佐伯連(佐伯宿禰)とのつながりもうかがえる。

佐伯経範(波多野経範)は、佐伯氏の後裔ということだろうか? もしかしたら大伴氏と関係があるのかも?

 

豊後国佐伯(大分県佐伯市)にゆかりのある佐伯一族も。宇佐八幡宮の社家の大神(おおが)氏を祖とする佐伯氏である。ほかに大神氏支族には、臼杵(うすき)・戸次(べっき)・朽網(くたみ)・大野(おおの)・上野(うえの)・緒方(おがた)・賀来(かく)などがある。中世以降、大友氏配下に見られる家名も多い。

九州の大神氏は、宇佐八幡宮の初代大宮司の大神比義(おおがのひぎ、おおがのなみよし)を祖とする。大神比義の出自についてはよくわからない。大神一族は古代より豊前国・豊後国で大きな力を持っていた。前述の神角寺山の戦いで激しく抵抗したのも、大神氏の一族とされる。


大友氏・波多野氏につながる佐伯氏の家系は、もしかしたら大神氏系佐伯氏とも何かしらの関係があったりもするのかな?

 

 


大友能直が『上記(ウエツフミ)』を編纂?

こちらは大友能直の肖像画。明治22年(1889年)に出版された『大友能直公御一代記』に掲載されているものだ。絵の右上にて、「能直公上記御起草」と説明している。

大友能直上記御起草

『大友能直御一代記』より(国立国会図書館デジタルコレクション)

 

大友能直が『上記(ウエツフミ)』を編纂した、と伝わる。『上記』というのは、古代の文字(神代文字)とされる豊国文字で記された古文書。『古事記』や『日本書紀』とは異なる神話や古代史を伝えるものであるが、一般的には偽書とされている。

 

『大友能直公御一代記』も『上記』も、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる。

dl.ndl.go.jp

 

 

<参考資料>

『大友能直御一代記』
著/加藤賢成 1889年

『吾妻鏡 吉川本 上巻』
編・発行/国書刊行会 1915年

『群書類従 第拾參輯』
編/塙保己一 出版/経済雑誌社 1894年
※『陸奥話紀』を収録

『豊薩軍記』 ※『改訂 史籍収覧第7冊』より
著/長林樵隠 編/近藤瓶城 発行/近藤活版所 1906年

『秦野市史 本編』
発行/秦野市 1990年

『秦野市史 第1巻(古代・中世寺社史料)本編』
発行/秦野市 1985年

『豊後大友氏の研究 増訂』
著/渡辺澄夫 発行/第一法規出版 1982年

『日向国史 古代史』
著/喜田貞吉 出版/史誌出版社 1930年

ほか