母智丘神社(もちおじんじゃ)は宮崎県都城市横市町に鎮座する。「母智丘」と呼ばれる山があり、その周辺は母智丘公園として整備されている。
三島通庸が大改修
御祭神を豊受毘賣神(トヨウケヒメノカミ)・大年神(オオトシノカミ)
現在の境内は、明治3年(1870年)に三島通庸(みしまみちつね)により整備されたものである。三島通庸は明治2年に鹿児島藩の日向国都城地頭に任じられた。この地の開発を手がけ、地域振興の守護神として神社も整備された。
もともとは「持尾稲荷(もちおいなり)」と呼ばれていた。創建時期は不明。持尾の山の上には巨石群があり、古くから信仰されていた。巨石群は「石無禮」「石岑」ともいい、三島通庸はこの一帯を整備して明治3年に「石峯稲荷神社」とする。さらに、社殿を設けて「母智丘神社」とした。また、この頃から「もちお」に「母智丘」の字をあてるようになった。
神社の創建とともに三島通庸は桜の木を植えた。母智丘公園は桜の名所としても知られている。参詣したのはまだ寒い頃であった。機会があれば、桜の季節に訪れてみたい。
長い石段をのぼって
母智丘公園のほうから登る。駐車場は山頂近くにもあるが、せっかくのなので長い参道を歩いてみることに。
石段はかなり長い。登りはじめてすぐに後悔する。「やっぱり車で上まで行けばよかったかな」と。
山頂のほうへ。石段は数えてみたとこころ288段だった。鳥居をくぐって境内へ。このあたりの標高は240mほど。
社殿の裏手のほうにまわる。巨石群がある。こっちのほうが母智丘神社の本体とも言える場所だ。陽石と陰石は母智丘神社の整備の際に掘り出されたもの。縁結びと安産の御利益があるとか。
陽石。周囲は約17.3m、高さは約3.3m。
割裂神石。高さ約1.2m、幅は約2.4m。スパンと割れた断面が特徴。高龗神(タカオカノカミ)がましますとも。
陰石。周囲は約19.3m、高さは約1.7m。陰石と並んで「雨乞い場」の岩もある。
陰石からさらに奥に、もう一つ大きな石。「稲荷大石」と呼ばれる。
鳥居を下りていくと祭壇がある。こちらが石峯稲荷大明神。「稲荷大石」を御神体とする。
稲荷大石の内部は洞穴になっているとも。ここには白狐が住むとも伝わる。
碑名のない記念碑
石峯稲荷大明神の鳥居の近くに記念碑がある。「上荘内郷役館の碑」と呼ばれている。明治3年(1870年)10月に稲荷神社を改修して母智丘神社を整備したことを示す記念碑である。ところがこの記念碑は碑名のあるはずの場所が空白になっている。碑の下のほうに地頭の三島通庸をはじめ、関わった役人の名が刻まれているのは確認できる。
明治4年(1871年)7月に「廃藩置県」の詔が出され、鹿児島藩は消滅した。地頭館の役人も職を解かれた。そのめに建碑は中断。未完成のまま現代に伝わっている。
<参考資料>
『都城市史』
編/都城市制四十周年記念都城市史編さん委員会 発行/都城市 1970年
ほか