ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

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上之原の原五社神社、安永大噴火で桜島の黒神から、移住者が故郷を思う

鹿児島市の吉野に上之原(かみのはら)というところがある。吉野台地の端のほうにあたり、鹿児島湾と桜島をのぞむ。この地に原五社神社(はらごしゃじんじゃ)が鎮座する。桜島の大噴火と深いかかわりを持つ神社だ。

 

 

安永大噴火、黒神からの移住者

安永8年(1779年)、桜島が大噴火。大量の火山灰を吐き出し、火砕流やマグマも噴出したという。「安永噴火」と呼ばれる。

桜島からは2000人以上が鹿児島城下に避難する。その後もしばらく桜島の活動は続く。薩摩藩は避難民の一部を鹿児島に移住させた。

 

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桜島の黒神(くろかみ、鹿児島市黒神町)の住人も移住することに。現在の吉野中学校のあたりに住むようになったという。その移住者のうちの7家族が、上之原に移住して集落をつくる。

 

「桜島がよく見えるこの地に住みたい」と思ったのだろう。

 

上之原の移住者は原野を開拓し、この地に根を下ろす。そんな中で原五社神社は創建された。地域の鎮守として崇敬されるようになった。安政3年(1856年)に社殿が造営されたとのこと。これが創建年か。

黒神の腹五社神社(原五社神社)から勧請。現地の案内板によると、御祭神は瓊々杵尊(ニニギノミコト)・木花開耶姫(コノハナサクヤヒメノミコト)・彦火々出見命(ヒコホホデミノミコト)・鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)・玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)の五柱。

また、鹿児島神社庁のホームページでは、月讀命(ツキヨミノミコト)・ 瓊々杵尊(ニニギノミコト・ 彦火々出見命(ヒコホホデミノミコト)・鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)・須佐之男命(スサノヲノミコト)の五柱としている。

 

御祭神については諸説あるようだ。ただ、桜島にツクヨミノミコトやコノハナサクヤヒメノミコトを祭っているところが多い。こちらの二柱は関わっているような気もする(あくまでも個人的な予測)。

ちなみに、黒神の腹五社神社は大正噴火の埋没鳥居でよく知られている。社伝は失われていて、こちらの由緒はよくわからない。

 

黒神の腹五社神社についてはこちらの記事にて。

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地域の守り神

鎮座地は寺山公園のやや南の、鹿児島県道215号沿い。「原五社神社」の看板もありわかりやすい。

 

原五社神社の前

ジオパーク関連の整備で、看板もわかりやすい

 

原五社神社の前

高台から海を見下ろす場所に

 

神社の前は絶景だ! 黒神からの移住者たちが故郷を思ったことだろう。ちなみに黒神は、写真の左側の山裾の方角にあたる。

 

原五社神社からの風景

桜島と鹿児島湾


境内は地域の集会所のような施設の敷地内。もともと地域の人が集まる場所だったのではないだろうか、とそんな感じもする。敷地の奥のほうに鳥居が見える。

 

原五社神社

鳥居

 

社殿

 

社殿の横に、祭壇のようなものもう一つある。石祠などがまとめられている。こちらも黒神から遷された神様とのこと。

 

石祠がまとめられている

何かある

 

写真の真ん中に「荒神」。ほかに「山ノ神」「先祖の氏神」「人助の神」も。

 

石祠など

桜島から来た神々

 

「水の神」「不動明神(火の神)」「山の神」。

 

石祠など

神様が並ぶ

 

集会所の敷地内には「上之原集落発祥二百二十年記念祭記念碑」もある。平成10年(1998年)に建立されたもの。

 

発祥の碑

記念碑

安永溶岩

台座は安永溶岩とのこと

 

 

 

 

<参考資料>
『三国名勝図会』
編/橋口兼古・五代秀尭・橋口兼柄・五代友古 出版/山本盛秀 1905年

『桜島町郷土誌』
編/桜島町郷土誌編さん委員会 発行/桜島町長 横山金盛 1988年

ほか