太田神社(おおたじんじゃ)は鹿児島県曽於市大隅町月野に鎮座する。御祭神は太田田根子命(オオタタネコノミコト)。月野はかつての日向国救仁院(くにいん、志布志、しぶし)のうちで、大隅国との国境の地でもある。
オオタタネコを祭る神社が、なんでここのあるのか? 気になるのである。
オオタタネコ
古代の三輪山伝説にオオタタネコは登場する。『日本書紀』では「大田田根子」、『古事記』では「意富多多泥古」と書かれる。
ミマキイリヒコイニエノスメラミコト(御間城入彦五十瓊殖天皇/崇神天皇)の御代に疫病が蔓延し、国内の半分もの人が死んだという。その原因を、天皇はヤマトトトヒモモソヒメ(倭迹迹日百襲姫命)に占わせると、オオモノヌシノカミ(大物主神)が神がかりして「我を祭れ」と宣託する。その言葉にしたがって祭祀を行うも効果はなかった。天皇は教えを請いたいと願うと、夢の中でオオモノヌシノカミから「オオタタネコに祭祀させれば禍は治まる」と言われたのである。
天皇はオオタタネコを探させた。そして、見つけた。オオタタネコに話をきくとオオモノヌシノカミの子孫であることがわかる。
オオモノヌシノカミ(大物主神)は三輪山(みわやま)に住む。別名に「オオミワノカミ(大三輪神)」ともいう。オオタタネコを神主として三輪山で祭祀を行わせると、疫病は治まった。
この祭祀の場が大神神社(おおみわじんじゃ)である。鎮座地は奈良県桜井市三輪。三輪山を御神体とする。
三輪山の神はオオクニヌシノカミ(大国主神)の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)を三輪山に祭祀したのが始まり、とも。分霊を祭った……つまりオオモノヌシノカミはオオクニヌシノカミと同一と言われたりも。
また、カムヤマトイワレビコノスメラミコト(神日本磐余彦天皇/神武天皇)の皇后はヒメタタライスズヒメ(媛蹈鞴五十鈴媛)という。オオモノヌシノカミの娘である。
太田神社の由緒
旧称は「大田大明神社」。由緒は詳らかならず。御神体の鏡には13世紀頃のものもあり、創建年代はなかなかに古いようだ。本地は十一面観音の木像で、こちらの背には大永3年(1523年)の造立の文字あり。
山口六社大明神社(山宮神社、鹿児島県志布志市志布志町安楽)の末社だったという。もともとは月野の太田尾に鎮座していたが、のちに現在地へ遷座したとのこと。
山口六社大明神社(山宮神社)は天智天皇などを祭る。志布志には天智天皇がひそかに訪れたという伝説が残る。
オオタタネコが天智天皇の伝説といかなる関わりがあるのか? ……よくわからない。
ちなみに、オオタタネコは三輪氏の祖とされる。太田神社は三輪氏が関係している神社なのかな? とも想像させられる。調べてみたところ「三輪」の名字は宮崎県都農町に多いらしい。都農には日向国一之宮の都農神社がある。こちらの御祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)。オオクニヌシと同一とされる神様だ。
大きな水車が目印
鎮座地は国道269号沿い。場所はわかりやすい。大きな水車があり、そこの鳥居が見える。「太田神社」の白い標柱もよく目立つ。
水車は二つ。「笑こ希こ号(にこにこごう)」と「来る回る号(くるくるごう)」という名前がついている。読み方が独特だ。
神社前にはこんな看板も。「疫病退散」の文字とアマビエのイラスト入り。ここは病気平癒の神様として昔から崇敬されている。
鳥居をくぐると長い石段。数えてみると184段あった。
石段をのぼりきると社殿がある。雨に濡れて朱色が映える。
社殿のある広場には六地蔵塔と石仏があった。これらの由緒はわからず。
本殿の脇のほうには三宝荒神。上勢井(神社のやや北)にあった山城から遷されたものとのこと。
石段を下りて参道口のほうへ戻る。鳥居のあたりはちょっとした広場になっている。ここにも見どころがある。御神木も、なかなかの存在感だ。
「遊亀の杜」というエリアもある。石が並んでいるが、これがどういうものなのかはわからず。
タノカンサァ(田の神)もいた。
説明板によると、耕作放棄地の荒れ地に寂しく置かれていたところを所有者の了解を得て2010年にこちらへ。「チョットタビニデテキマス」の置紙をして移したとのこと。
棟札には島津義弘の名も
『大隅町誌』には太田神社の棟札の情報があった。書き出してみる。
◆天正14年12月28日(1587年1月)の「若松壱岐守藤原忠常」の華表造立の棟札あり。
◆文禄3年(1594年)11月の神舞殿造立の棟札には「若松大蔵」「若松壱岐守」「藤原義弘」の名がある。
若松氏は島津一族の伊作(いざく)氏の庶流。月野城をまかされたいた。また「藤原義弘」は島津義弘のこと。島津氏から篤く崇敬されていたことがうかがえる。
<参考資料>
『大隅町誌(改訂版)』
編/大隅町誌編纂委員会 発行/大隅町 1990年
『志布志町誌 上巻』
編・発行/志布志町 1972年
『三国名勝図会』
編/橋口兼古・五代秀尭・橋口兼柄・五代友古 出版/山本盛秀 1905年
国文六国史第1『日本書紀 上』
編/武田祐吉 発行/大岡山書店 1932年
『古事記』(岩波文庫)
校注/倉野憲司 発行/岩波書店 1963年
ほか