鹿児島県姶良市豊留に早馬神社(はやまじんじゃ)が鎮座する。創建年代は不明。御祭神は保食神(ウケモチノカミ)とされる。豊穣の神だ。
神社のある帖佐豊留(ちょうさとよどめ)は別府川と山田川が合流するところ。このあたりには水田が広がる。視界が広い。天気が良いと遠くに桜島も見える。
境内にはイチョウの木がある。存在感がある。紅葉の季節はきれいだ!



ここは夏も素敵だ! 緑いっぱいのイチョウの木は存在感あり、青々とした水田が広がる中で。



イチョウの木の下に石祠がある。中には石が安置されている。タノカンサァ(田の神)だという。「豊留の田の神」と呼ばれていたりもする。この一帯の田んぼを見守っている。

タノカンサァ(田の神)には神像や地蔵っぽいもの、石碑型などいろいろ形状がある。ここにあるのは、自然石の田の神だ。由緒については不明。古い信仰のカタチのような気もする。


タノカンサァ(田の神)は鹿児島県内でたくさん見かける。たぶん集落ごとにある。18世紀頃から盛んに作られるようになったようだ。豊穣の神であり、子孫繁栄の守でもある。
詳しくはこちらの記事にて。
「豊留」という地名も気になる。「豊」は九州北部の豊(トヨ)の国に由来するんじゃないのかと想像させられる。
『続日本紀』によると、和銅6年(713)に大隅国か設置されたという。そして、和銅7年には豊前国(現在の大分県と福岡県にまたがる)の民を移住させたという。その数は200戸。「戸」というのは家をひとくくりにした単位で、一つの戸は20人~40人ほどの家族で構成される。単純計算で4000人~8000人が移住したということになる。
豊前国には秦氏が多く住んでいた。移住してきたのも秦氏であった可能性は高い。ちなみに、このあたりは大隅国の囎唹郡(そおのこおり)のうち。のちに囎唹郡から分立して桑原郡(くわはらのこおり)となった。「桑原」も秦氏を連想させるものである。
なんだか、いろいろと想像をかき立てる要素があるようにも思う。
