龍門滝(りゅうもんのたき/りゅうもんだき)というのが、鹿児島県姶良市加治木にある。大きな滝で、けっこう遠くからも見える。高速道路(九州自動車道)を走っていると、加治木インターチェンジ近くで見ることができる。
昔から名瀑として知られていたようで、『三国名勝図会』でも紹介されている。絵が素晴らしい!
絵図と同じような角度から、写真を撮ってみるとこんな感じ。丘陵を網掛川が流れていて、この場所で一気に流れ落ちるのである。
『三国名勝図会』については、こちらの記事にて。
滝のすぐ目の前に丘がある。ここからの眺めが良い。駐車場からも遠くはない。ちょっと登るけど、ここまでは気軽に訪れることができる。「龍門滝 高さ46メートル 幅43メートル」とある。
丘の上からは滝と滝壺を見渡せる。また、滝壺のほうへ下りる道もある。ただし、水量が多い時は水しぶきがすごい。下りるときは注意。
こちらの写真は水量が多めのときのもの。大雨のあとは、すごいことになる。
『三国名勝図会』には、こんな感じで紹介されている。ちょっと抜き出してみる。
河水當邑古城の後を繞(めぐ)りて瀑水となる、高さ二十四間餘、濶(ひろ)さ十間餘あり、瀑勢壮大にて、奇観目を驚せり (『三国名勝図会』巻之三十七より)
「古城」というのは加治木城跡のこと。高さの「二十四間餘」は44メートルほど、幅の「十間餘」は19メートルくらいか。高さは現在のものとほぼ同じ。幅は違う。
春秋流水多し、彩虹数十條蒸起り、錦を掛たるが如くなり (『三国名勝図会』巻之三十七より)
いつも水量が多くて、虹が幾重にもかかる。錦をかけたみたいにきれいだ、と。
始羅郡の東南より、西南に至ては、地形平行にして、前は海に沿ふ、故に此瀑は数里の外より見にて、遠望の景状殊に奇ない (『三国名勝図会』巻之三十七より)
すごく遠くから見える、と。
瀑潭最多くして、其中に大なる亀、古昔より住居て、其甲の径り四五尺許あるとかや (『三国名勝図会』巻之三十七より)
大きな亀が住んでいて、甲羅の大きさは4尺~5尺くらい(1.5メートル前後)あるらしい。
昔唐土の人、當邑に来りし者ありて、此瀑を賞して、常に来り遊び、漢土龍門の瀑を見るが如しとて、龍門の瀑と名けしと云 (『三国名勝図会』巻之三十七より)
中国から来た人が大絶賛。中国の「龍門の瀑」に似ていることから、ここも「龍門の瀑」と名付けられたという。
瀑水の前一町計に小岡あり、観音の石座像を安ず、瀑観音と唱ふ、其小岡の上より瀑を観るに、特に佳勝なりとぞ (『三国名勝図会』巻之三十七より)
丘の上から、滝がきれいに見える。丘の上には「瀑観音」という石座像もある、と。で、その「瀑観音」は今もしっかりある。
「滝見観音」とも呼ばれる。寛政11年(1799年)に島津久徴(しまづひさなる)が造らせたもの。島津久徴は加治木島津家(島津氏の分家)の当主である。観音像の背には漢詩が刻まれている。
千尺巉嵓瀑雪前
石鐫大士且鑄蓮
寄言隨喜群遊者
供與花花日擲錢
加治木島津家については、こちらの記事にて。
また、『三国名勝図会』の絵には和歌も記されている。
往さ来さ道ゆく人も暫しとて
立かへり見る瀑の白糸
初代薩摩藩主の島津家久(島津忠恒)が詠んだものである。
<参考資料>
『三国名勝図会』
編/橋口兼古・五代秀尭・橋口兼柄・五代友古 出版/山本盛秀 1905年
加治木郷土誌
編/加治木郷土誌編纂委員会 発行/加治木町 1966年