鹿児島市の南のほうの谷山(たにやま)には、タノカンサァ(田の神)が多い。JR谷山駅の周辺を歩いていると、けっこうな数に出くわすのだ。そのうちの一つを紹介する。
タノカンサァ(田の神)の像は、鹿児島県内に大量にある。18世紀頃から島津氏領内で大量に造られるようになった。田の守り神であり、子孫繁栄の神でもある。
タノカンサァの詳細についてはこちらの記事にて。
公園の一角に
谷山には「永田川」というけっこう大きな川が流れている。その川沿いに「島ノ森公園」がある。それほど大きくない都市公園だ。その一角にタノカンサァがいる。近くのあぜ道に立っていたものが、区画整理の際にこちらの公園に移されたという。
「永田の田の神」と呼ばれている。このあたりは「永田」という地区である。その姿は地蔵っぽい感じ。手には錫杖を持ち、僧のような恰好をしている。ただ、頭にはシキ(米を蒸すための道具)をかぶっていて、そこで「田の神だなこれは」とわかる。享保6年(1721年)の銘があり、けっこう古いものだ。
やはり目が行くのが顔の部分である。壊れてしまって大きな穴が開いている。
後ろ姿はこんな感じ。顔が壊されている以外は、古いもであるにもかかわらずきれいに形が残っている。
見守る先は、田んぼではない。舗装された道路とコンクリートの街並みだ。
顔が壊されているのはなぜ?
タノカンサァ(田の神)は、顔が欠けているものがけっこうある。そうなってしまう理由は、おもに4つあると思われる。
一つめは、風化である。これは経年によるのも。
二つめは、オットイだ。「オットイ」というのは「おっ盗り」のこと。田の神を盗むのである。豊作だった地域の田の神を盗んできて、自分たちの集落に置くという風習がある。オットイ(田の神盗み)では田の神像を元の地域に還すことになっているが、オットリぱなし(盗んだまま)ということもあったりする。で、田の神像を運ぶ際に落としたりぶつけたりで顔が破損する場合があるのだ。
三つめは、「田の神いじめ」なる風習によるもの。地域によっては、田の神をわざと倒すことで豊作を祈願したりする。また、不作が続いたときには田の神像を痛めつけることで、豊作を願う場合もあったという。そんなこんなで像が破損する。
四つめは、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)である。明治の初めに寺院廃止や神仏分離が行われ、鹿児島県内では激しく寺院が破壊されたという。タノカンサァの中には、これに巻き込まれたものもある。
「永田の田の神」を見ると顔だけが徹底的に壊されている。まず風化ではない。そして、オットイでぶつけたくらいでは、こんなふうには壊れないと思う。
明らかに「破壊する」という意志のもとに、こうされた感じである。たぶん「田の神いじめ」か廃仏毀釈のいずれかによるものだろうか。
こちらの記事も、谷山にいるタノカンサァ。
<参考資料>
『谷山市誌』
編/谷山市史編纂委員会 発行/谷山市役所 1967年
ほか