江戸時代の鹿児島藩(薩摩藩)では、外城制という地方統治の仕組みがあった。各地に武士団を配置し、その集落を「外城(とじょう)」あるいは「麓(ふもと)」「郷(ごう)」と呼ばれた。
薩摩国の出水麓(いずみふもと、鹿児島県出水市麓町)は、外城の中で最大規模を誇る。肥後国との国境は近く、精強な武士団が守りを固めていた。
現在も、17世紀初め頃の街並みが残っている。「出水麓武家屋敷群」として国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。また、日本遺産にも認定されている。観光地としてもよく整備され、散策を楽しめる。
武家屋敷のうち「竹添邸(たけぞえてい)」「税所邸(さいしょてい)」が一般公開されている。この記事では「税所邸」を紹介する。
出水麓歴史館についてはこちらの記事にて。
薩摩武士の屋敷
税所邸は大きな屋敷だ。ここに住んでいた税所氏は、出水麓の郷士年寄(「あつかい」ともいう)を代々務めた。郷士年寄(あつかい)は地方統治を任された要職である。
税所氏は薩摩国加世田(かせだ、鹿児島県南さつま市加世田)から移り住んだとされる。大隅国囎唹(そお、鹿児島県霧島市・曽於市の一帯)に繁栄した税所氏があり、出水の税所氏もこの一族だろうか。
立派な武家門がある。ここから入る。
門をくぐると玄関まで経路は折れ曲がっている。城の桝形虎口のような配置となっている。写真右側の小路をいくと勝手口にまわれる。
税所邸にはガイドさんが常駐。いろいろなことを教えてもらえる。屋敷は築250年ほどになるそうだ。ただ、老朽化がかなり激しかったとのことで、内装は大幅に改修されている。屋内の部材は新しいが、屋敷の基礎や構造は昔ながらのものである。
家の中にあがる。客間が連なるように配置されている。入口に近いほうから奥に向かって「下座敷」「次の間」「上座敷」とのこと。
客間に沿って中庭があり、屋内からの眺めも素晴らしい。
庭に出る。紅葉もきれいだった。
祠もあった。出水麓では各屋敷で氏神を祀っているそうだ。
下座敷から広間につながる。かなりの広さがある。ここに人が集まって、話し合いをしたりしたのかな。
広間からつながるこちらの部屋は、段差があってすこし低くなっている。土間には釜戸があり、勝手口から外に抜ける。表向きの場所ではななく、家族が過ごす空間だ。「なかえ」とも呼ばれる。
戦いに備えた仕掛けも
戦闘時を想定したとされるところが、あちこちに見られる。下座敷の長押の上には槍が掛けてある。
こちらは納戸。上のほうには屋根裏部屋のような空間もある。物置として使われたと思われるが、隠し部屋であったとも。
広間の囲炉裏の横の板が外れる。屋外への抜け道であったともされる。
出水麓の公開武家屋敷「竹添邸」については、こちらの記事にて。