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出水麓の「竹添邸」、薩摩の武士の暮らしを垣間見る

出水麓(いずみふもと、鹿児島県出水市麓町)は薩摩国の北部に位置する。ここは肥後国との国境が近いこともあって、精強な武士団が守っていた。

江戸時代の島津家は領内に「外城(とじょう)」を設けて地方統治の拠点とした。また、有事の防衛拠点でもあった。「外城」は「麓(ふもと)」「郷(ごう)」とも呼ばれる。出水麓もその中のひとつである。

ここには、17世紀初め頃に形成された武家町の雰囲気がよく残っている。「出水麓武家屋敷群」として国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。また、日本遺産にも認定されている。観光地としてもよく整備され、散策を楽しめる。

 

武家屋敷も多く残る。そのうちの「竹添邸(たけぞえてい)」「税所邸(さいしょてい)」が一般公開されている。入場料は「出水麓歴史館」とセットになっている(大人510円)ので、まずはこちらから行くべし。

出水麓歴史館も素敵な施設だった! 詳しくはこちらの記事にて。

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出水麓歴史館で知識をちょっと入れてから武家屋敷へ。この記事では「竹添邸」を紹介する。

 

 

 

 

 


質実剛健な雰囲気

出水麓歴史館の駐車場から護国神社をはさんですぐの場所に竹添邸の武家門がある。ここから中へ。

立派な門がある

竹添邸の武家門、石垣もある

 

すぐに中庭がある。ここから客間にあがる。籠で訪れた場合も中庭につける。祠もあった。出水麓では各屋敷で氏神を祀っているとのこと。

古い家

中庭と屋敷

 

屋敷にはガイドさんが常駐している。中へを入るよう促され、あがらせてもらう。

竹添氏は郷士年寄(「あつかい」ともいう)を務めた家柄とのこと。この地の責任者である地頭に次ぐ役職であった。もともとは肥後国球磨(熊本県の人吉市のあたり)にルーツがあり、相良氏の一族であるとも伝わっている。屋敷は幕末の大火で焼失したのだという。明治時代初め頃に建て直され、江戸時代の様式を引き継いでいる。

 

前述の中庭のほうの部屋が屋敷の「おもて」。客間にもなる空間だ。まずは、こちらのほうへ。ガイドさんがすごく詳しく説明してくれる。ありがたい! 表の一角が、この家の当主の部屋とのこと。ここからは、中庭から門にかけて視界がよく抜ける。仮に侵入者があった場合も、すぐにわかるようになっているというわけだ。鴨居の上には槍も掛けられている。

武家屋敷から庭を見る

主人の座敷から


門から見て屋敷の奥のほうへ。こちらには囲炉裏のある広間。

囲炉裏のある部屋

ここまでが「おもて」

 

さらに奥へ。家が連結されたような造りで、段差がある。奥のほうが少し床が低く、こちら側は「なかえ」と呼ばれている。家族が暮らす空間で、「おもて」に比べて造りも質素だ。

家の中に段差がある

写真の手前側が「なかえ」


「なかえ」側の縁側。こちらもいい雰囲気である。日射しがあたたかであった。

落ち着ける空間

「なかえ」の縁側

 

武家屋敷らしさは庭にも

庭に出てみる。写真は「なかえ」につながる玄関を庭からみたところ。中には土間もある。

古い家屋

「なかえ」の玄関

 

庭には離れの風呂場もあった。

小さな離れ

この中が風呂場

昔ながらの風呂場

中はこんな感じ


風呂場の横にはこんなものも。薬丸自顕流(やくまるじげんりゅう、野太刀自顕流)の稽古場である。稽古法は「エーイ!」と叫びながら気合を込め、木刀を袈裟斬りに打ち込む。

薬丸自顕流の稽古場

木刀で叩く


蔵もある。

武家屋敷の蔵と紅葉

白壁の蔵

 

ちょっと歩くと井戸があった。井戸の横には石の何かがある。「太刀洗(たちあらい)」と呼ばれる石製タライだ。刀についた血を洗い流すものだ。説明看板によると、野田(のだ、出水市野田)の本田家屋敷から移設したものとのこと。

屋根付きの古井戸

井戸

石造りの洗い場

太刀洗

 

 

庭にはシラス像も。小松帯刀(こまつたてわき、小松清廉、きよかど)である。

小松帯刀のシラス像

似ているのかな?


ちなみに竹添邸は、2008年放送のNHK大河ドラマ『篤姫』のロケ地だったりもする。劇中では小松帯刀が活躍していたけど、コレつながりなのかな?

 

 

公開武家屋敷「税所邸」については、こちらの記事にて。

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