ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

西田橋と高麗橋と玉江橋、鹿児島の城下町の風情をつたえる

鹿児島市にある石橋記念公園・祇園之洲公園には、アーチの美しい石橋がある。これらは19世紀半ばにつくられたもので、もともとは甲突川(こうつきがわ)に架けられていた。上流から玉江橋(たまえばし)・新上橋(しんかんばし)・西田橋(にしだばし)・高麗橋(こうらいばし)・武之橋(たけのはし)。これらをまとめて「甲突川五石橋」と呼んだりもする。

アーチのある石橋と門

西田橋

 

甲突川五石橋は近年まで生活道として使われていた。しかし、1993年8月6日に鹿児島市で水害があり(「8・6豪雨」や「8・6水害」という)、新上橋と武之橋は流失。残った玉江橋・西田橋・高麗橋も移設保存されることになった。解体と移設工事を経て、2000年に石橋記念公園が開園した。

現在は石橋記念公園で西田橋を、祇園之洲公園に高麗橋と玉江橋を見ることができる。

 

 

 

 


調所広郷の領内整備

甲突川五石橋の整備は、調所広郷(ずしょひろさと)が関わっている。調所広郷は島津重豪(しまづしげひで)や島津斉興(なりおき)に仕えた。茶坊主から抜擢され、最終的には家老にまで出世する。

薩摩藩は莫大な借金を抱えていた。調所広郷は財政改革を任され、そして立て直した。さらには領内の整備も手掛ける。港湾工事・河川工事・埋立工事・道路整備などなど。その一環として、甲突川の石橋も架けられた。

石橋の架橋は岩永三五郎(いわながさんごうろう)に任された。

 

 

西田橋

石橋記念公園の駐車場からすぐのところに西田橋がある。

西田橋は現在の鹿児島市西田と西千石町のあいだに架かっていた。主要街道にあった橋で、鹿児島城から西に1.5㎞ほどに位置する。石橋は弘化3年(1846年)に完成。

アーチの美しい石橋

西田橋を下から見る

 

参勤交代の大名行列がとおる橋でもあり、造りは豪華だ。架け替えられる前の木製の橋にも青銅製の擬宝珠がつけらていた。擬宝珠は石橋にも引き継がれた。西田橋には御門もあった。こちらも復元されている。

橋の上、欄干の造りも豪華

御門のほうへ歩く


西田橋のすぐ近くには石橋記念館もある。石橋に関する展示いろいろ。記念館から見る西田橋も素敵だ。西田橋の下は親水公園にもなっていて、夏場は子供たちでにぎわう。

石橋と桜島

石橋記念館側から西田橋を見る

 


高麗橋

水路をわたって祇園之洲公園に入る。こちらには高麗橋がある。西田橋と比較すると質素な造り。どちらかというと実用性重視という感じだ。

アーチの美しい石橋

高麗橋

 

架橋は弘化4年(1847年)。高麗町と加治屋町とのあいだに架かっていた。もともと橋があったあたりは、幕末期から明治期にかけて活躍した人物を大量に出した場所でもある。西郷隆盛や大久保利通も高麗橋をよくわたったことだろう。

 


玉江橋

海側の水路沿いには祇園之洲砲台跡の遺構が見られる。その並びに玉江橋もある。

玉江橋は甲突川五石橋のうちもっとも上流にあった。永吉町と下伊敷のあいだに架かっていた。架橋は嘉永2年(1850年)。祇園之洲公園の水路に移設され、現在も現役の橋として機能している。

水路にかかる石橋

玉江橋

石橋と桜島

玉江橋を別の角度から

 

 

岩永三五郎の像

祇園之洲公園には岩永三五郎の像もある。肥後国八代郡種山手永(たねやまてなが、現在の熊本県八代市東陽町)の人で、寛政5年(1793年)の生まれ。種山手永には石工の技術集団があり、「種山石工」と呼ばれていた。

岩永三五郎の石像

曲尺を持っている

 

岩永三五郎は石橋造りの名人として知られていた。「性質淡薄にして寡欲、石に良工なりしは人の能く知るところにして、水利を視、得失を考え、大数を測るに敏なる。初めて見る地といえども神のごとし」と評されていたという(像の説明版より)。薩摩藩は一族ともども招聘し、領内の土木工事にあたらせた。

石造と橋と桜島

高麗橋を見るよう感じで立っている

 

「永安橋」の石柱もある。永安橋は祇園之洲にあったもの。もともとは木製の端であったが、天保13年(1843年)に岩永三五郎によって石橋に架け替えられたものである。

石柱に「永安橋」とある

永安橋の石柱が残る

 

岩永三五郎が手がけた石橋としては、甲突川五石橋のほかにもいくつかある。指宿市西方の湊川橋(みなとがわばし)や薩摩川内市高江町の江之口橋(えのくちばし)などが現存している。

 

また、祇園之洲公園は砲台場の跡地でもある。詳しくはこちらの記事にて。

rekishikomugae.net

 

 

 

<参考資料>
『三国名勝図会』
編/五代秀尭、橋口兼柄 出版/山本盛秀 1905年

『鹿児島市史第1巻』
編/鹿児島市史編さん委員会 1969年

ほか