タノカンサァ(田の神像)は鹿児島県や宮崎県のあちこちで見かける。場所はいろいろだが、神社の境内にいることも多い。今回もそんな一例である。
場所は鹿児島県鹿屋市の吾平(あいら)の八幡神社。この境内の一角でタノカンサァが田園風景を見守っていた。そのまま「八幡神社の田の神」と呼ばれている。制作時期は不明だが、18世紀後半頃のものと推測されている。高さは約96㎝。情報は現地の説明看板より。

田の神は、五穀豊穣と子孫繁栄の神様である。島津氏領内で見られ、18世紀以降に盛んに作られるようになった。詳細はこちらの記事にて。
頭に大きなシキ(米を蒸すときに使う道具)をかぶる。表情は穏やか。鼻は欠けてしまったのか、補修をした形跡がある。

で、このタノカンサァ(田の神像)は鍬を持っている。

タノカンサァはメシゲ(しゃもじ)やスリコギを持っている場合が多い。これは収穫後の姿なのである。「米がたくさん穫れたよ」って感じで。つまり秋の結果を表すものなのである。一方で「鍬を持っている」というのは田植え前の姿だ。
背中には藁ヅト。その中身は種籾だと考えられているそうだ(これも現地看板より)。春先に現れたタノカンサァが種籾を播きに来た、という姿をあらわしているんだとか。

ちなみに、吾平の八幡神社は古い神社である。

もともとは「正若宮八幡宮」という。このあたりは姶良荘(あいらのしょう)と言われ、大隅正八幡宮(現在の鹿児島神宮、鹿児島県霧島市隼人町内)の荘園であった。正若宮八幡宮は大隅正八幡宮の別宮で、姶良荘の総鎮守であったという。
『三国名勝図会』によると、長久4年(1043年)の紀年銘と「平判官」の文字がある古鏡があったという。平判官というのは平良宗(たいらのよしむね)のこと。平良宗は平季基(すえもと)の弟で、兄とともに島津荘(しまづのしょう)を開いた人物でもある。
なお、八幡神社(正若宮八幡宮)は明治時代に現在地へ遷座。現在、もともとの社地(鹿屋市吾平町麓、鹿屋市吾平総合支所の隣地)には鵜戸神社がある。鵜戸神社(鵜戸権現廟)はもともと吾平山上陵(あいらやまのえのみささぎ)の近くにあったが、洪水の被害にあって明治4年(1871年)に八幡神社の境内に仮宮が設けられた。そのまま鵜戸神社が遷座されることになり、八幡神社が別の場所に移された、とそんな経緯がある。
<参考資料>
『三国名勝図会』
編/五代秀尭、橋口兼柄 出版/山本盛秀 1905年
ほか
