霧島神宮(きりしまじんぐう)は鹿児島県霧島市霧島田口に鎮座する。かつては西御在所霧島権現社(にしございしょきりしまごんげんしゃ)と称した。高千穂峰の麓にあり、主祭神は天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊(アメニギシクニニギシアマツヒタカホコホノニニギノミコト)。高千穂峰は天孫降臨の場所とも伝わる。そして、御鉢と呼ばれる巨大な火口があり、かなり活発な火山でもある。
「待世神社跡(まつせじんじゃあと)」というのが、霧島神宮の南にほうへ5㎞くらいの位置にある。場所は霧島中学校の裏手のほう。ここは西御在所霧島権現社(霧島神宮)の仮宮が置かれたところだ。

西御在所霧島権現社はもともとは高千穂峰の山頂近くの脊門丘(せとお)にあった。現在ここには霧島神宮の元宮がある。延暦7年(788年)に御鉢が噴火して脊門丘の社殿は焼失。天慶3年(940年)に性空(しょうくう)により瀬多尾越(せとおごし)に再興。現在の霧島神宮古宮址がそれである。瀬多尾越の境内も文暦元年(1234年)の噴火で焼失する。

そして御神体を待世に遷して、仮宮が設けられた。文暦元年(1234年)から文明14年(1484年)まで約250年間にわたって、ここで祭祀が行われたのである。
文明14年(1484年)、島津忠昌(しまづただまさ)が僧の兼慶に西御在所霧島権現社の再興を命じる。そうして整備されたのが現在の霧島神宮となる。遷座以降は、仮宮のあった場所を「待世神社」とした。御祭神はここもニニギノミコトであった。
「跡」となっているとおり、ここには神社はもうない。明治44年(1911年)に天子神社(てんしじんじゃ)に合祀されている。「待世神社跡」の祠には稲荷神と馬頭観音が祭られている。

ちなみに「待世」というのは、「噴火がおさまって静かな世になることを待つ地」という意味合いがあるとも(『霧島町郷土誌』より)。
霧島神宮については、こちらの記事にて。
霧島神宮古宮址については、こちらの記事にて。
<参考資料>
『三国名勝図会』
編/五代秀尭、橋口兼柄 出版/山本盛秀 1905年
『霧島町郷土誌』
編/霧島町郷土誌編集委員会 発行/霧島町 1992年
『東襲山郷土史』
発行/東襲山村 1934年
ほか