ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

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谷山城跡にのぼってみた、懐良親王を迎え入れて薩摩の南朝方の拠点に

谷山城(たにやまじょう)は薩摩国谿山郡(たにやまぐん、たにやまのこおり)にあった。場所は鹿児島市下福元町。シラス台地の丘陵に城郭群が築かれている、その東端に谷山本城(たにやまほんじょう)、さらに尾根に向かって弓場城・陣之尾城が連なる。谷山本城は別名に「千々岩城」「千々輪城」ともいう。読みは「ちぢわ」。

ここは薩摩国の歴史において重要な場所である。南北朝争乱期には城主の谷山隆信(たにやまたかのぶ)が征西大将軍の懐良親王(かねよししんのう)を迎え入れ、一時は九州の南朝方の拠点となった。また、天文8年(1539年)には島津貴久(しまづたかひさ)が谷山方面を攻め、敵対していた薩州家の島津実久(さねひさ)からこの地を奪った。

 

 

 

 

 

谷山本城にのぼる

3つの城郭のうち、谷山本城はのぼれるようになっている。城跡はJR慈眼寺駅から見える。住宅地として開発が進んでいるが、谷山城の山塊はなかなかに存在感がある。

駅前のロータリー

駅前より、写真奥が谷山城跡

 

車は駅前のコインパーキングに停めた。そこから山に向かって歩く。城跡の北側にまわり込んで住宅街の細い道を進んでいくと「谷山本城跡」「谷山城跡の森林」の看板が目に入る。そこの小路を入っていくと登山口にいたる。

谷山城の登城口

ここから登城


登山道をのぼると切通がある。狭いうえに折れ曲がっている。兵は一気に入ってくることはできない。

深く掘り込んである

切通を奥へ


しばらく行くと曲輪の入口のような形状の場所がある。ここをちょっとのぼってみる。すると、大きな山があった。ここも曲輪跡だろうか。

曲輪の跡

こっちも行けそう

大きな山がある

城郭跡と思われる山

 

登山道に戻る。深い空堀があった。浸食谷を利用している感じだ。

掘り込まれた地形

空堀、なかなか深い


空堀の横を抜けていくと、さらに上のほうに登山道がのびている。

山城跡の登山道

石の階段をいく


のぼっていくとちょっと広い空間に出た。ここが腰曲輪だ。小さな社殿がある。こちらは伊勢神社とのこと。社殿の背後にも小山がある。これも曲輪の跡だろうか。

山の中の神社

社殿の裏手の山も気になる

 

腰曲輪からさらに上へ。ここをのぼると本丸跡である。

山をのぼっていく

腰曲輪の向かって右側に登山道が続く

山中の曲輪っぽい地形

これも曲輪跡か、本丸にのぼる途中に見えた

 

広い空間に出る。本丸に到着。ここには桜の木も植えられている。花が咲く季節にまた来てみたい。

広場に桜の木が植えてある

本丸跡


本丸の奥のほうにいくと、一段高いところに社殿がある。愛宕神社とのこと。ここには城址碑もある。

山上の社殿

本丸の愛宕神社

小さな社殿が建つ

愛宕神社の社殿脇に城址碑

谷山本城(千々輪城)城址碑

城址碑


本丸跡の縁辺部の盛り上がりは土塁だと思われる。ここからは眺望が開け、眼下には市街地が広がっている。

眺望が開けている

曲輪の外側は土塁に

 

 

 

 

 

河邊一族の谷山氏

12世紀頃から薩摩国には平氏を名乗る一族が繁栄する。「河邊一族(かわなべいちぞく)」または「薩摩平氏(さつまへいし)」と呼ばれている。平良道(伊作良道、いざくよしみち)が薩摩国伊作(いざく、鹿児島県日置市吹上町)に下向したことに始まるという。伊作良道の子や孫たちは薩摩国中南部にそれぞれ領地を持った。地名にちなんで河邊(かわなべ)・頴娃(えい)・阿多(あた)・別府(べっぷ)・鹿児島(かごしま)・指宿(いぶすき)・知覧(ちらん)・薩摩(さつま)・串木野(くしきの)・谷山(たにやま)などを名乗った。

谷山氏は伊作良道の五男の別府忠明(べっぷただあき)の系統で、谷山忠光が祖とされる。別府氏の一族のうち、谿山郡司となった者が「谷山」を苗字にした。

 

谷山城の築城時期は不明。ただ、12世紀末から13世紀初め頃には谷山氏の居城であったと思われる。

12世紀末に源氏と平氏が争うが、河邊一族(薩摩平氏)は平家方にあったようだ。阿多氏など平家の没落とともに所領を失う者もあった。そんな中で、谷山氏は郡司としての地位を保っている。

源頼朝が鎌倉に武家政権を樹立すると、朝廷の国司・郡司とは別に、幕府の守護・地頭が任命されるようになる。薩摩にも鎌倉御家人系の守護・地頭が入ってきた。とくに惟宗忠久(これむねのただひさ、島津忠久、しまづただひさ)は薩摩国の守護であり、各地の地頭職にも任じられている。

谿山郡の地頭職は、島津忠継(山田忠継)の一族が譲り受ける。こちらの人物は島津忠時(ただとき、2代当主)の庶長子である。そして、谿山郡の山田(鹿児島市山田町・皇徳寺町のあたり)に入り、山田氏を名乗った。谷山氏と山田氏は土地の領有権をめぐってたびたび争ったようだ。幕府への訴えの記録も残っている。

 

河邊一族(薩摩平氏)についてはこちら。

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懐良親王が谷山に入る

元弘3年・正慶2年(1333年)、鎌倉の幕府が倒される。そして、後醍醐天皇による親政が始まった。しかし、新政権は長続きせず、足利尊氏の反乱により崩壊する。その後は、京に足利家による武家政権が樹立。大覚寺統の後醍醐天皇を追い出し、持明院統の光明天皇を即位させた。一方で、後醍醐天皇も諦めずに大和国吉野(よしの、奈良県吉野郡吉野町)にもうひとつの朝廷を立てる。幕府側の「北朝」を支持する者と、吉野の「南朝」を支持する者とに分かれ、日本中で争乱が展開されることになる。

薩摩国では多くの者が南朝方につく。足利尊氏は南九州の平定を薩摩国守護の島津貞久(さだひさ、島津氏5代当主)に任せた。

後醍醐天皇は征西大将軍に懐良親王(後醍醐天皇の皇子)を任命。その先遣として、建武4年・延元2年(1337年)に侍従の三条泰季(さんじょうやすすえ)が薩摩国に入る。

この頃の谷山氏の当主は、谷山隆信(たにやまたかのぶ)であった。河邊一族の知覧忠世(ちらんただよ)・指宿忠篤(いぶすきただあつ)らとともに南朝方につく。ほかにも鮫島家藤(さめじまいえふじ)・市来時家(いちきときいえ)なども。伊集院忠国(いじゅういんただくに)も島津氏の一族でありながら南朝方についた。

そして、康永元年・興国3年(1342年)に懐良親王は薩摩に入る。谷山隆信は谷山城に迎え入れ、領内に御所を設けて拠点とする。九州で最初の征西府である。

御所のあった場所は「御所原」「御所ヶ原」と呼ばれている。谷山城から3kmほど北にある丘陵がその場所だったとされる。ここには「征西将軍宮懐良親王御所記念碑」という立派な石碑もある。御所の近くには菊池城という支城も築かれたとされる。ここには肥後国の菊池氏の家臣が入ったという。

立派な石碑

御所跡の記念碑

 

同年、島津貞久は谷山に進軍する。佐佐野木原(ささのきばる、「笹貫」と呼ばれるあたりか)で決戦となり、この戦いでは南朝方が勝利した。

懐良親王が入国したことで薩摩の南朝方が勢いづいた。そして、九州全体でも南朝方が優勢になっていく。懐良親王は貞和3年・正平2年(1347年)に肥後国へ。征西府もこちらに移った。

 

その後、谷山氏の動向はあまり記録に出てこない(記録が残っていないだけで、活躍していた可能性もある)。14世紀後半は島津氏も南朝方に転じ、こちらに従っていたようである。しかし、応永4年(1397年)に島津元久(もとひさ、7代当主、奥州家2代)に攻められ、谷山氏は滅んだ。これ以降、谷山城は島津氏の支配下となる。

 

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伊集院頼久の乱

応永20年(1413年)、伊集院頼久は反乱を起こす。島津久豊(ひさとよ、8代当主、元久の弟)が出征のために鹿児島を留守にしたところを攻めかかった。これを皮切りに内乱状態となった。

伊集院頼久の乱の最終決戦が、応永24年(1417年)の谷山城の戦いだった。島津久豊が勝利し、伊集院頼久が降伏する。その後、島津久豊は対抗勢力をつぶして支配力を強める。薩摩国・大隅国を制圧することになる。


伊集院頼久の乱の詳細はこちら。

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島津貴久の谷山侵攻

16世紀前半の薩摩国は、島津氏の分家の相州家と薩州家が覇権を争った。

大永6年(1526年)、相州家の島津忠良(ただよし)は本宗家の実権を掌握。嫡男の島津貴久(たかひさ)を本宗家の後継者に送り込んだ。しかし、薩州家が反撃。島津忠良が出征している隙をついて鹿児島を攻め取る。その際に、谷山城も奪っている。

薩州家の島津実久(さねひさ)は、本宗家の島津勝久と手を組むが、のちに追放。自らが実権を握った。

相州家の島津忠良・島津貴久は、本拠地の田布施(たぶせ、鹿児島県南さつま市金峰)から少しずつ勢力を盛り返す。天文6年(1537年)には鹿児島を制圧した。

天文8年(1539年)、島津貴久は鹿児島から薩州家方の谷山を攻める。紫原(むらさきばる、鹿児島市紫原)の合戦に勝利し、大勢は決する。その後、苦辛城・神前城などの谷山の諸城を落とし、谷山本城も降伏させた。

谷山の戦いを制した相州家が、このあと薩州家を圧倒していく。

 

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<参考資料>
『三国名勝図会』
編/五代秀尭、橋口兼柄 出版/山本盛秀 1905年

『島津国史』
編/山本正誼 出版/鹿児島県地方史学会 1972年

『谷山市史』
編/谷山市史編纂委員会 発行/谷山市役所 1967年

『鹿児島縣史 第1巻』
編/鹿児島県 1939年

『鹿児島市史第1巻』
編/鹿児島市史編さん委員会 1969年

『鹿児島県の中世城館跡』
編・発行/鹿児島県教育委員会 1987年

ほか