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『旧記雑録』って本がすごい! 島津家に関する膨大な史料を編年で網羅

『旧記雑録』という編纂物がある。『薩藩旧記雑録』ともいう。島津家の歴史を知ることができる史料集だ。膨大な史料を年代順に書写・編集したものである。

 

まず、情報量がとんでもないのである。原本が失われてしまった史料も含まれている。そして、編年方式なので目当ての情報が見つけやすい。同じ事象においても、複数の史料・資料を一度に参照できる。すごく便利なのだ。

 

『旧記雑録』は、鹿児島県発行の「鹿児島県史料」の中で翻刻されている。鹿児島県のホームページ内で、pdfにて閲覧できる。個人的には、とても重宝している。

www.pref.kagoshima.jp

 

 

 

 

 


伊地知季安と伊地知季通

編纂者は伊地知季安(いじちすえよし、すえやす)・伊地知季通(すえみち)の親子である。

伊地知季安の来歴については『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集一』の「解題」(五味克夫氏による)に情報があった。つぎのとおりである。

伊地知季安は天明2年(1782年)の生まれ。もともとは鹿児島城下士の伊勢氏の次男であったが、伊地知氏の養子に入ったという。藩に出仕するも、文化5年(1808年)の「近思録崩れ」(薩摩藩のお家騒動)に関わり、喜界島へ配流となる。文化8年(1811年)に鹿児島に戻るも謹慎は続く。この頃に学問に打ち込むようになった。謹慎が解かれたあとも藩への仕官は認められず、在野の学者として多くの著作を手掛けた。

精力的な研究活動は薩摩藩の記録所の妬みを買う。そして、藩命ですべての著作を提出させられる(没収された)。だが、伊地知季安の著作は藩主の島津斉興(しまづなりおき)の目に留まる。その見識が大いに評価されたことから、弘化4年(1847年)に再仕官。御徒目附、軍役方掛、記録方添役、薬園奉行、軍役方取調掛などを任される。そして、嘉永5年(1852年)には島津斉彬(なりあきら)より記録奉行に任じられた。

 

『旧記雑録』の編集は文政元年(1818年)頃から。島津領内にある古文書類の書写・編集が進められた。だが、完成にはいたらず、慶応3年(1867年)に85歳で没する。

編纂事業は息子の伊地知季通に引き継がれた。ちなみに、伊地知季通も弘化年間(1844年~1848年)頃から編集を手伝っていた。

明治13年(1880年)にひとまず完成する。その後も、明治30年(1897年)頃まで増補改訂がなされた。

 

 

島津家本と内閣文庫本

『旧記雑録』には、島津家本と内閣文庫本がある。

島津家本というのは島津家が所蔵していたもので、現在は東京大学史料編纂所に収蔵。国の重要文化財に指定されている。前編48巻、後編102巻、附録30巻、追録182巻の全362巻。このうち前編・後編は伊地知季安がおもに手掛けたもので、附録・追録は伊地知季通によるものとのこと。

内閣文庫本は、明治13年(1880年)に内閣修史局に提出されたもの。現在は国立公文書館が収蔵。同館ホームページでも公開されている(ただし、手書き本のために読みにくい)。こちらは前編36巻、後編32巻という構成。鹿児島県立図書館収蔵本というのもある。前編・後編の構成は内閣文庫本とほぼ同じ。さらに追補3巻・附録5巻もある。

なお、鹿児島県史料『旧記雑録』は、島津家本をベースに翻刻されている。

 

 

鹿児島県史料『旧記雑録』各刊の内容

鹿児島県史料『旧記雑録』は巻数が多い。どの本に、どの年代の史料が収録されているのか。各刊に収録されているものはつぎのとおり。

 

『旧記雑録 前編一』

「巻一」から「巻二十五」まで、長久2年(1041年)から延文元年(1356年)までの記録を収録。

おもに島津忠久(ただひさ)・島津忠時(ただとき)・島津久経(ひさつね)・島津忠宗(ただむね)・島津貞久(さだひさ)・島津師久(もろひさ)・島津氏久(うじひさ)の時代にあたる。

平安時代末期のこと、鎌倉時代や南北朝争乱期(前半)のことがわかる。

 


『旧記雑録 前編二』

「巻二十六」から「巻四十八」まで、延文2年(1357年)から天文23年(1554年)までの記録を収録。

島津貞久・島津師久・島津氏久・島津伊久(これひさ)・島津元久(もとひさ)・島津久豊(ひさとよ)・島津忠国(ただくに)・島津立久(たつひさ)・島津忠昌(ただまさ)・島津忠治(ただはる)・島津忠隆(ただたか)・島津勝久(かつひさ)・島津忠良(ただよし)・島津貴久(たかひさ)の時代にあたる。

南北朝争乱期の後半から戦国時代にいたるまでの史料がある。16世紀においては島津貴久が一族の抗争を制して覇権を握り、大隅合戦に入ったところ(岩剣城の戦い)まで。

 


『旧記雑録 後編一』

「巻一」から「巻十五」まで、弘治元年(1555年)から天正12年(1584年)までの記録。島津忠良・島津貴久・島津義久(よしひさ)・島津義弘(よしひろ)の時代にあたる。

大隅合戦・廻城の戦い・飫肥の戦い・真幸院の抗争・菱刈の戦い・大口の戦い・鹿児島湾の戦い・下大隅の戦い・木崎原の戦い・日向攻め・高城川の戦い(耳川の戦い)・肥後攻略戦・沖田畷の戦い(島原合戦)などの史料がある。

 

 

『旧記雑録 後編二』

「巻十六」から「巻三十五」まで、天正13年(1585年)から文禄4年(1595年)までの記録。島津義久・島津義弘・島津忠恒(ただつね)の時代にあたる。

阿蘇合戦・豊後攻め・豊臣軍との戦い・朝鮮出征(文禄の役)・梅北一揆などの史料がある。

 

 

『旧記雑録 後編三』

「巻三十六」から「巻五十八」まで、文禄5年(1596年)から慶長9年(1604年)までの記録。島津義久・島津義弘・島津忠恒(ただつね、島津家久、いえひさ)の時代にあたる。

朝鮮出征(慶長の役)・庄内の乱・関ヶ原の戦いなどの史料あり。戦後処理を経て本領安堵を勝ち取るまでの史料もある。

 

 

『旧記雑録 後編四』

「巻五十九」から「巻七十七」まで、慶長10年(1605年)から寛永2年(1625年)までの記録。島津義久・島津義弘・島津家久(忠恒)・島津光久の時代にあたる。

 


『旧記雑録 後編五』

「巻七十八」から「巻九十四」まで、寛永3年(1626年)から寛永15年(1638年)までの記録。島津光久の時代にあたる。

 


『旧記雑録 後編六』

「巻九十五」から「巻百二」まで、寛永16年(1639年)から寛永21年(1644年)までの記録。島津家久・島津光久の時代にあたる。

 

 

『旧記雑録 附録一』

「巻一」から「巻十二」まで、年不詳の史料を収録。

 

 

『旧記雑録 附録二』

「巻十三」から「巻三十」まで、年不詳の史料を収録。「海外史料」や「御支族列」(支族の系譜)も収録。

 

 

『旧記雑録 追録一』

「巻一」から「巻二十一」まで、正保2年(1645年)から元禄9年(1696年)までの記録。島津光久・島津綱貴(つなたか)・島津吉貴(よしたか)の時代にあたる。

 


『旧記雑録 追録二』

「巻二十二」から「巻四十五」まで、元禄10年(1697年)から正徳2年(1712年)3月までの記録。島津綱貴・島津吉貴・島津継豊(つぐとよ)の時代にあたる。

 


『旧記雑録 追録三』

「巻四十六」から「巻七十」まで、正徳2年(1712年)4月から享保14年12月(1730年1月)までの記録。島津吉貴・島津継豊・島津宗信の時代にあたる。

 


『旧記雑録 追録四』

「巻七十一」から「巻九十四」まで、享保14年12月(1730年1月)から延享4年(1747年)4月までの記録。島津吉貴・島津継豊・島津宗信の時代にあたる。

 


『旧記雑録 追録五』

「巻九十五」から「巻百二十」まで、延享4年(1747年)5月から宝暦13年12月(1764年1月)までの記録。島津吉貴・島津継豊・島津宗信・島津重年(しげとし)・島津重豪(しげひで)の時代にあたる。

 

 

『旧記雑録 追録六』

「巻百二十一」から「巻百四十一」まで、宝暦14年(1764年)から寛政元年12月(1790年1月)までの記録。島津重豪・島津斉宣(なりのぶ)の時代にあたる。

 

 

『旧記雑録 追録七』

「巻百四十二」から「巻百六十一」まで、寛政2年(1790年)から天保6年(1835年)9月までの記録。島津重豪・島津斉宣・島津斉興(なりおき)・島津斉彬(なりあきら)の時代にあたる。

 

 

『旧記雑録 追録八』

「巻百六十二」から「巻百八十二」まで、天保6年(1835年)10月から明治28年(1895年)9月までの記録。島津斉宣・島津斉興・島津斉彬・島津忠義(ただよし)・島津忠重(ただしげ)の時代にあたる。

 

 


『旧記雑録拾遺』

鹿児島県史料には『旧記雑録拾遺』というシリーズもある。『旧記雑録』の遺志を受け継いで、鹿児島県歴史資料センター黎明館が編纂したものだ。『諸氏系譜』『家わけ』『伊地知季安著作史料集』『記録書史料』『地誌備考』『神社調』といったものが刊行。『旧記雑録』に収録されていない史料の情報も見ることができる。これらも素晴らしい史料集だ。

 

鹿児島県の「鹿児島県史料」のページはこちら。

www.pref.kagoshima.jp