ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

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『関ヶ原 島津退き口 -義弘と家康―知られざる秘史-』(著/桐野作人)、撤退戦の壮絶さを生々しく描き出す

「島津の退き口(しまづののきぐち)」。慶長5年9月15日(1600年10月21日)の関ヶ原の戦いの一場面である。島津義弘(しまづよしひろ)の「戦場の鬼」っぷりを印象づけるエピソードのひとつだ。

 

島津義弘は敗軍の将となり、戦場の真っ只中に取り残された。手勢は少ない。大軍に囲まれている。そんな状況でとった選択は驚くべきものだった。なんと、島津義弘隊は前に向かって退却。敵中を突っ切って戦場を離脱した。

なんとか窮地を脱した島津隊であったが、まだまだ始まりに過ぎない。帰るべき領国はすごく遠いのである。美濃国関ヶ原(現在の岐阜県不破郡関ケ原町)から大隅国富隈(鹿児島県霧島市隼人町住吉)までの道程は1000㎞以上。敵の追撃や落ち武者狩りから逃れ、飢えとも戦い、苦難の旅路である。さらには、大坂城に預けられていた人質(島津義弘の妻の宰相殿、島津忠恒の妻の亀寿など)を救い出し、一緒に連れ帰る。

旧暦10月3日に島津義弘は帰国をはたす。富隈城にいたり、兄であり当主である島津義久(よしひさ)に対面した。

 

「島津の退き口」の真相に迫る一冊が2022年10月に発売された。『関ヶ原 島津退き口 -義弘と家康―知られざる秘史-』である。著者は桐野作人(きりのさくじん)氏。購入して一気に読んだ。おもしろかった!

 

 


2010年作品の増補改訂版

本書は『関ヶ原 島津退き口 敵中突破三〇〇里』の増補改訂版である。旧著は2010年に刊行され、2013年には文庫版も発売されている。こちらの作品に手が加えられ、新書再版されたのである。

旧著についてはこちらの記事にて。

rekishikomugae.net

 

新刊の『関ヶ原 島津退き口 -義弘と家康―知られざる秘史-』では、「補論―家康と島津氏の意外に深い関係」という章が巻末に追加されている。

本編のほうは、大筋では旧著のとおり。ただ、加筆された部分はけっこう多い。旧著発行以降に著者が知り得た情報、新たな知見が盛り込まれている。真相の掘り起こしに向けてより精度が上がった印象だ。

 

 

膨大な史料から

島津家の歴史については、すごい史料集がある。『薩藩旧記雑録(旧記雑録)』である。薩摩藩の記録奉行である伊地知季安(いじちすえやす)・伊地知季通(すえみち)父子が幕末期から明治時代初めにかけてまとめたものだ。

島津家が所有していた膨大な史料を編年や家ごとに書写してあり、その中には原本が失われたものも含まれる。貴重な情報の宝庫である。

本書はこの『旧記雑録』の情報を基本に構成されている。桐野氏は丹念に読み込み、事実関係を精査し、丁寧に丁寧に当時の様子を掘り起こしているのだ。


『旧記雑録』には、関ヶ原の戦い前後の史料がたっぷりと収録されている。「山田晏斎覚書」「神戸久五郎覚書」「帖佐彦左衛門宗辰覚書」「大重平六覚書」「黒木左近兵衛申分」「井上主膳覚書」などなど。これらは実際に関ヶ原の撤退戦を体験した人物により書かれたものだ。島津義弘のかたわらにあって戦い、死地を潜り抜けて生還した者たちである。

島津義弘やその周囲の者たちが発した言葉だったり、陣中でのちょっとしたやりとりだったり、壮絶な戦いの様子であったり、道中での苦労話であったり……そういったことが生々しく記されている。

このような史料群を材料としていることもあって、すごい臨場感なのだ! その場に居合わせた当事者たちが何を考えていたのかも感じられたりもする。

 

通説とは異なっていたと思われるようなことも、いろいろと出てくる。本書で描き出されたことは、かなり真実に近いと思われる。

 


神戸久五郎について

松岡千熊という人物についての情報が、個人的に興味深かった。「第七章 退き口を彩る人物列伝」の中で紹介されている。2010年版には掲載されていない情報で、新たに追加されたものだ。

 

「覚書」の書き手のひとりである神戸久五郎と同一人物とのこと。生涯において何度か名前を変えていて、慶長5年時の名乗りが「松岡千熊」だったという。ちなみに、当時14歳(数え年)。島津隊の最年少であった。

松岡千熊(神戸久五郎)は島津義弘とともに国許に生還。50石の加増を受けている。その後、かなり長生きしたようである。覚書も多くしたためていて、「島津の退き口」の様相を島津家領内の若者たちに伝えたという。

 

 

 


旧著も持っているのだが、新刊もとても楽しめた。新たな発見もあった。

関ヶ原 島津退き口 - 義弘と家康―知られざる秘史 - (ワニブックスPLUS新書)

 

 

 

桐野作人氏のこちらの著作もおもしろい。島津義久の視点で描かれる小説である。

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