ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

鹿児島神宮の本殿の裏手から参道が続く、末社の稲荷神社はなんとも不思議な雰囲気

鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は大隅国の一之宮。鹿児島県霧島市隼人町内に鎮座する。その歴史は神代から続くとされる。規模も大きく、摂社や末社も多く、稲荷神社も末社のひとつである。

こちらの稲荷神社は不思議な雰囲気。いかにも神威が強そうな感じなのだ。

 

鹿児島神宮についてはこちらの記事にて。

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本殿の背後に参道がのびる

鹿児島神宮本殿の背後の山の上に稲荷神社がある。参道入口は鹿児島神宮本殿裏手の石垣沿いにある。

鳥居が並ぶ参道の入口

稲荷神社の参道へ、左が本殿側の石垣

 

並ぶ鳥居をくぐりながら参道をのぼる。奥へと足を運ぶほどに、ただならぬ感じとなっていく。

鳥居をくぐって奥へ

参道に入る

森の中の参道

ずんずん進む

鳥居が並ぶ参道

鳥居が続く

参道の途中には祠がふたつ。大多羅知女神社(おおたらちめ)と山神神社(やまのかみじんじゃ)である。それぞれの御祭神は息長帯媛命(オキナガタラシヒメノミコト、神功皇后)、大山祇命(オオヤマヅミノミコト)である。参道の左右に配置され、奥の稲荷神社を守護しているような感じになっている。

祠がある

大多羅知女神社

小さな祠

山神神社

 

さらに奥へ。社殿が見えてきた。御祭神は宇賀魂命(ウカノミタマノミコト)・大宮売命(オオミヤノメノミコト)・猿田彦命(サルタヒコノミコト)の三柱である。

山の中の神社

社殿に到着

神聖な雰囲気の社殿

異界のごとし

 

社殿の向かって右奥のほうには、大きな岩がある。とくに祭っている様子はないが、なんだか気になる存在だ。

社殿の背後の岩

この岩は?

 

向かって左奥にも何かある。小さな窪みに小さな鳥居。岩穴が祠になっているような感じである。

森の中のお社

社殿の左側、こちらを奥へ

窪みに小さな鳥居

岩穴に祠か?

 

 

詳らかならず

鹿児島神宮末社の稲荷神社の由緒については、よくわからない。資料をいろいろ見てみたが、ぜんぜん情報が出てこないのである。

京都伏見稲荷神社より勧請したとも伝わるらしいが、この情報もあやふやな感じだ。創建年代も不明だ。

この神社は、かなりしっかりと祭祀されている。存在感もある。ちなみに、稲荷神社は島津(しまづ)氏の氏神でもある。それなのに、情報がぜんぜんないというのは妙な感じもする。

 

 

位置関係が気になる

鹿児島神宮の本殿との位置関係も気になるところ。稲荷神社は本殿の真後ろに位置する。方角は真北だ。鹿児島神宮を参拝すると、同時に稲荷神社も参拝するような感じになる。

また、稲荷神社の位置は、石體神社(しゃくたいじんじゃ)の拝殿の背後でもある。こちらからだと真西の方角にあたる。鹿児島神宮はもともと石體神社の場所にあり、和銅元年(708年)に現在地に遷宮したとされる。また、石體神社はヒコホホデミノミコト(彦火火出見尊、鹿児島神宮の主祭神)が住んだとされる高千穂宮(たかちほのみや)の跡地とも伝わる。

 

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古くからあるとされる南九州の神社には、山を御神体として祀っていた形跡がうかがえる。鹿児島神宮もそうならば、稲荷神社のある場所がもともとの御神体だった可能性もありそうだ。


何かを封じ込めている? という感じも受ける。

もともとこの地にあった隼人族の神(あるいは征伐された隼人族の酋長)が祟りをなさないようにヒコホホデミノミコトをはじめとする神々の力で封じ込めている、とか。そんな想像もさせられるのだ。

 

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<参考資料>
『三国名勝図会』
編/五代秀尭、橋口兼柄 出版/山本盛秀 1905年

『鹿児島神宮史』
編/三ツ石友三郎 発行/鹿児島神宮社務所 1989年

ほか