樋脇(ひわき)の玉淵寺(ぎょくえんじ)跡にタノカンサァがいた。「本庵(もとあん)の田の神」と呼ばれている。

鹿児島県のあちこちで田の神像に出くわす。田の神像は島津氏の領内で18世紀頃から盛んに作られるようになった。2000体以上あり、地域の守り神として親しまれている。
田の神像というと、田の神舞(たのかんめ)の姿を模したものが圧倒的に多い。大きなシキ(米を蒸す道具)を頭にかぶり、手にはメシゲ(しゃもじ)やスリコギ、お椀を持っていたりする。どんな姿かは、下のリンク先の記事を参照のこと。
タノカンサァの詳細はこちらの記事にて。
で、ここのタノカンサァはちょっと珍しい風貌をしている。武神の姿なのである。


正徳4年(1714年)の造立。タノカンサァの中では、けっこう古いほうである。田の神像のスタイルは当初は一定ではなかったっぽい。あちこちで造立されるようになり、その中で田の神舞スタイルが人気となり、定着したような感じだろうか。
もともとは近くの一之宮神社の門前にあり、昭和57年(1982年)に現在地へ遷されたとのこと。

台座の上に立っている。こちらの台座は蓮華台だろうか。ここは明寶山玉淵寺という寺院があった。石仏の残欠を利用したものだろうか?
