ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

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河内の田の神・上名の田の神/鹿児島県いちき串木野市河内・上名

鹿児島県内にはタノカンサァ(田の神)がやたらといる。田の神像が盛んに造られるようになったのは18世紀初めからで、島津氏領内(現在の鹿児島県と宮崎県の一部)で流行ったようだ。その形は多彩である。田の神舞の姿を模したものがよく見られるが、僧形のものとか、衣冠束帯姿のものとかもあったりする。

 

タノカンサァ(田の神)の詳細についてはこちらの記事にて。

rekishikomugae.net

 


そして、こんなタノカンサァも。

 

一石双体田の神

男女双体のタノカンサァ

 

一つの石に二柱が並んでいるのである。男女双体のタノカンサァ(田の神)だ。こちらは「河内の田の神」と呼ばれている。鹿児島県いちき串木野市河内の道路沿いに立っている。

 

向かって左側は男神。メシゲ(シャモジ)を手に持ち、頭にはシキ(米を蒸す道具)をかぶる。田の神舞の姿である。

 

メシゲを持つ石像

左側の男神

 

右側には女神。こちらは手に笏のようなものを持っている。

 

笏のようなものを持つ

右側の女神

 

横から見るとこんな感じ。石の厚みはけっこうある。側面と背面には字が彫られている。その中に紀年銘があり、万延元年(1860年)の造立とのこと。

像の側面

レリーフ状になっている

 

調べてみたところ、串木野や川内(せんだい、薩摩川内市のうち)のあたりには男女双体型のタノカンサァ(田の神)がけっこうあるようだ。その姿は、道祖神の要素も入り込んでいるような感じである。

 

 

「河内の田の神」から800mくらい南西に行ったところでも、双体のタノカンサァ(田の神)を見つけた。上名交流センター(いちき串木野市上名)の敷地内に置かれている。

 

双体のタノカンサァ

上名センター前にて

 

向かって右が男神。左の女神のほうは巫女の姿か。手には神楽鈴のようなものを持つ。背面の紀年銘によると文久2年(1862年)の造立とのこと。「河内の田の神」と近い時期に造られている。


上名交流センターには単体のタノカンサァ(田の神)の姿もあった。

 

田の神像

こちらは双体ではない